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アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉(57)叱ってはいけない、ほめてもいけない

本レビュー
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■ ほめても叱っても、その場限りの動機づけなら一時的効果しか期待できない

コンサルタントのつぶやき

叱られたり、ほめられたりして育った人は、
叱られたり、ほめられたりしないと行動をしなくなる。
そして、評価してくれない相手を
敵だと思うようになるのだ。

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でました。アドラー心理学の真骨頂のひとつ、「叱ってはいけない、ほめてもいけない」!

「叱る」「褒める」という行為には2つの問題があります。

ひとつは、「叱る」「褒める」という行為の主体と客体の人間関係が、「上下関係」になってしまうこと、あるいは「上下関係」があることを前提とした行為であるということです。

「上から目線」という言葉がありますが、「叱る」というのは、上位者が下位者に対して、言動を正しい(と本人が思い込んでいる)方向に導こうとして、矯正するために行われる態度です。一方、「褒める」というのは、上位者自身が「良し」としている行動規範に沿っていることを、下位者に認定証を出すようなものです。これも、上下関係があって初めて成り立つ行為です。

アドラーは、対等な人間関係、友人同士の交友、を前提としたコミュニケーションを「是」としますので、上下関係が前提の行為は推奨しないのです。

ふたつには、「褒める」「叱る」というアメとムチが与えられた時にだけ、人間の脳が反応し、ほめられたり、叱られたりしないときには、人間の脳が反応しなくなり、監督者(褒めたり叱ったりする上位者)の目が届かない所では、監督者の意に沿うような行動をすることをさぼりがちになる、という問題があります。

罰を与えて、相手の行動を制限したり、ご褒美や褒め言葉で相手の行動を意のままに操ったりしている場合、罰やご褒美が無いと、動かない人間を作ってしまう恐れがあるのです。

褒められ続けることで、モチベーションを保ち、日頃の行動を選択している人間が行き着くところは、上位者からの褒め言葉が無くなった瞬間に、「どうして褒めてくれないんだ?」「褒めてくれないなら、この作業(態度)はや~めた!」となるのは必定です。

叱ったり、褒めたりして、上手く相手をコントロールしているつもりが、実は、「褒め言葉」「お叱り」依存症の人間を作るだけで、何の教育効果もないし、その相手の人生の足しにもなっていない。アドラー心理学はそのように考えるのです。

私は、経営管理・管理会計のコンサルタントとして、業績評価制度の構築のお手伝いをしているのですが、アドラー心理学に出会ってから、その種の依頼の正当性や効果に疑いを持つようになりました。目の前に「にんじん」をぶら下げただけで得られる業績のストレッチは、「にんじん」が無くなった時には、あっけなく雲散霧消します。「にんじん」制度がエスカレートして、行き過ぎた業績変動給制度が、会計不正等の真因になる事も目にしてきました。

報奨制度がなくても、従業員のやる気を引き出す経営。結果だけ見てお金で報いる評価制度しかない会社は、そこそこしか業績が伸びないようです。非連続で成長するためには???

まあ、小職に一度相談してみてください。「ストックオプション」とか「クローバック」の話に終始していては、驚くほどの企業成長は見込めませんよ!(^^;)

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