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アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉(58)叱っても一時的効果しか得られない

本レビュー
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■ 子供に叱っても、同じことの繰り返し

コンサルタントのつぶやき

叱ると一時的には効果がある。
しかし、本質的な解決にはならない。
むしろ、相手は活力を奪われ、
ますます言うことを聞かなくなるだろう。

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アドラーは、特に子供の教育シーンでこの問題を取り上げます。子供に対し、「叱る」「罰を与える」「脅す」など、ある種の強制力を働かせて、子供を親(教育者含む)の言う通りに支配しようとします。

そのことにより、一時的に子供は、親(教育者)の意のままにコントロールされるように表面的には見えるかもしれません。しかし、心の底から、「叱られた」ことの原因となった言動を改めようとするでしょうか?

皆さんも経験があるはずです。子供の時の記憶で、理不尽な指導を受けても、本当に自分の考えが改まったことは少ないことを。

私も、小学5年生の時に、雪が積もっていた冬の時期に、学校の体育館脇からぶら下がっていた「つらら」を放課後に一本一本折って遊んでいました。その時、学校でも怖いと評判の中年の男性教師から強い口調で呼び止められて、思わず自宅に逃げ帰ったことがあります。

当然のように、翌日職員室に呼び出されて、現代では考えられないのですが、右頬を思いっきりビンタされました。

あれから、30年以上経っていますが、あの時の出来事は上記のように、鮮明に記述できる程、記憶に残っています。さらに、どうしてビンタされたのか、理由を一言も説明を受けていないのです。その理不尽さが、この歳になっても、ビンタの件を鮮明に覚えている理由なのです。

今から思えば、体育館の屋根に積もった雪が落ちて生き埋めになる可能性や、万が一、硬い「つらら」で怪我をするかもしれないから、そんな危ないことはしないように指導したかったのだろうかと推察もできます。

しかし、何事も注意を受けずに、ビンタだけされても、痛いという記憶が残るだけで、もう二度とその場所には近づかないでおこうと、理由もわからず心に決めましたが、当時は釈然としない思いでいっぱいでした。

時が移り、職業人となって、後輩や部下として、先輩や上司の指導を受け始め、その内に、今では若手を指導する立場にもなっています。その時の自分の言動はどうなのか? 改めて自省するところもありますが、いきなりビンタすることはありません。当たり前か!

自分が指導する場合は、現在流行っている「アクティブ・ラーニング」的に、自主的に考えることを促す方向になるように努めています。言われたことしかできない部下には、ずっと言い続けなければなりません。こっちも忙しいんです。いつまでも、手間暇をかけて指導する時間とエネルギーを節約したいのです。

「魚をただ与えるな、釣りの仕方を教えろ」

こういう一節が中国の古典にあります。古今東西、教育論というものはその本質は同じようで。。。

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