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アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉(77)信用するのではなく信頼するのだ!

本レビュー
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■ 裏付けの無い信頼をこちらから寄せることが共同体感覚を養うことにつながる

コンサルタントのつぶやき

「信用」するのではなく「信頼」するのだ。
「信頼」とは裏付けも担保もなく相手を信じること。
裏切られる可能性があっても相手を信じるのである。

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人生を幸福に過ごすには、「共同体感覚」を養うことが大事になります。前回は、

「自分と相手の不完全さを認めること」

の重要性を説きました。

今回は、いまいち日本語として違いが判然としない二つの言葉の違いを用いて、同じく「共同体感覚」を養うコツを説明します。

「信用」とは、過去の取引実績や担保など、何らかの「裏付け」があって初めて成立する取引または関係性を意味します。それは裏付けや担保と引き換えに相手を信じると、条件付きで相手を受け入れることを指します。

一方で、「信頼」とは、一切の裏付けや担保もなく相手を信じることです。何の裏付けもない、ということは、もしかすると相手に裏切られるかもしれないという可能性、言い換えるならリスクと背中合わせで人を信じるということを意味します。裏切られるリスクを度外視して、相手が裏切らない保証を求める以前に、こちらから先に信頼してしまうのです。

本書では、アドラーの言葉を次のように紹介しています。

アドラーの提唱した共同体感覚は、「信頼」をベースにしています。自己信頼と他者信頼は共に、裏付けなく、裏切られる可能性があっても信じることから始まります。相手を疑っているうちは、信頼関係は築けません。無条件に信じるのです。そして、信頼関係もまたあなたから始めるのです。それが幸福になる道、共同体感覚を高める方法なのです。

結果としての裏切り行為は意に介さない。裏切られて不利益を被ることがあっても、それを10程度と考えた場合、人を無条件で信頼することで得られる「共同体感覚」に起因する幸福感が大きく10以上になって返ってくる。裏切りにあった瞬間はとてつもなくマイナスに感じても、長い人生、振り返ると他人を信頼して得られる幸福感の方が差し引き大幅にプラスになるはず。

これは、アドラーが「人は主体的に生きることで幸せになる」という主張をしたことにもつながっています。裏切るかどうかは相手の問題。自分は自分の人生を生きるのみ。主体的に人生の選択を自主的に行っていれば、人生劇場の主役はあなた自身。相手を信頼した結果として裏切りにあっても、その不利益は、裏切り行為が直接もたらしたマイナスだけ。あなたが人生を幸福に過ごす際に、あなた自身の視界に入るこの世の全てのことは、あなたの解釈、あなたのビューがすべて。あなた自身の目に世の中がどう映っているかが問題なのであって、あなたの視野に入る相手があなたを裏切るかどうか、いちいち気にすることほど、大したことではない、些末なこと。

明日から、「信用」ではなく、相手を「信頼」してみてください。

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