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のどを守って200年 龍角散再生の奇跡ドラマ 龍角散社長・藤井隆太 2015年7月23日OA TX カンブリア宮殿

TV番組レビュー
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■ 日本ののどを守って200年 龍角散 伝統と革新の経営

コンサルタントのつぶやき

創業は、秋田藩主、佐竹氏のぜんそくの治療のための生薬づくりから。のどにこだわった商品作り。最近では、のど飴や服薬ゼリーなども有名。服薬ゼリーは世界35ヵ国で特許を取得。今では年間350万個を販売する大ヒット商品となった。

「あまり大きな規模でなくても、そこでオンリーワンになればいい。龍角散の製品が無くては困ると言ってもらえるものを作る」

藤井隆太_カンブリア宮殿

(番組公式ホームページより)

売上高は右肩上がり、今年度は初の100億円越えを達成する見込みだ。

なぜ、中国からの観光客が龍角散の製品を爆買いするのか?
「龍角散に限らず、日本の家庭薬は世界的に有名で評価が高い。その理由は、「歴史 = 安全性」ではないけれど、歴史の中で厳しい局面があって、ダメな商品は消えていった。残った家庭薬はつわもの」

龍角散は江戸時代から成分は変わっていないのか?
「基本的な処方は変わっていない。変えようがない。もちろん安全性を上げるとか、品質を上げるとか、行政の指導もあって一部変わっている所もあるが、基本的にいいものは変わらない」

先代から言われたことは?
「まず言われたことは、「慎ましくしろ」「贅沢はいかん」「お客様を大事に」。もともと、殿様のための薬だったから、大儲けしてはいかんというのがある。余計なお金を稼いではいかん、というのが家訓。誰のためにやっているんだ? お客様のためでしょうと。だから、薬というものは、難しいもので何でもかんでも欲しいものを出せばよいというものではない」

 

■ 音楽家志望から家業を継ぐ!

藤井社長は、元は音楽家志望。高大と音楽の名門の桐朋学園で学び、フランスに留学、地元の有名なコンクールで賞もとった。音楽教員の免許も持っているが、家業を継ぐために音楽の道を断念。帰国後は、武者修行のため、他の製薬会社等に勤めていた。1995年、父親が病に倒れたため、急遽35歳の若さで社長に就任。ところが当時、龍角散の売上は急降下。小さな匙ですくって飲むスタイルが時代にそっぽを向かれていたのだ。

年商40億円の時代に、負債も40億円抱え倒産寸前。
「あの時は本当に愕然としましたね。まさにこれは終わった会社だと。どう考えても5年持たない、3年も厳しいんじゃないかと」
経営会議で窮状を訴える藤井社長。しかし、古参幹部たちに全く危機感は無かった。
「龍角散? あれはもう終わった商品だよ」「胃薬が売れているそうだからウチでも出しゃ売れるだろう」
泥縄式で出した製品はどれも失敗に終わった。
「無理して作った新製品は上手くいかない。ほとんど失敗したという状況だった」

 

■ 世界初の服薬ゼリー きっかけは“薬まぜご飯”

● 藤井改革その1 のど専門という原点に帰る
そのひとつがルーツともいえる龍角散そのものの見直しだった。匙ですくって飲むタイプとは別に、一回ずつ小分けにした顆粒のスティックタイプのものを発売した。さらに、「ゴホン!といえば龍角散」というあの有名なキャッチコピー。この「ゴホン」が風邪薬をイメージさせるものだとコピーから外してしまった。その代りにつけたのが、「のど、直接、うるおう」のコピー。すると、風邪が流行る冬だけでなく、のどを守る薬として通年売れる商品になった。

● 藤井改革その2 世界初の服薬ゼリーを開発
この商品開発を提案したのが、薬剤師の資格も持つ福居篤子さん(現、開発本部長)。病院勤めの経験もある福居さんは、高齢の患者さんが服薬に苦労し、ご飯に混ぜる患者までいたことを訴えたが、当初、役員はその訴えを全く信じなかった。しかし、藤井社長が現場を視察することとなり、のどの力が衰えてきた高齢者が、おかゆや味噌汁に混ぜて服薬せざるを得ない状況を目の当たりにした。

「衝撃的でした。それを当社の技術で少しでも状況を改善できるのであれば、誰が止められるのか。これは開発すべきだと思いました」

社長の行動力はそれだけではない。水とゼリーの飲み比べでは自ら実験台として名乗りを上げた。水だと、水と薬がのどの奥で分離し、薬が胃に到達するまでに16秒。一方、ゼリーの場合は、ゼリーと薬が一体となってのどの中を滑り、5秒で胃に届いた。口元ではゼリーでツルッとしたゲル状だが、一つの塊として入っていってお腹では崩壊して、水に戻るゼリーとすることができた。

ゼラチン、こんにゃくゼリー、あらゆるものを試したが、行き着いたのは寒天だった。寒天は胃で素早く溶け、薬の効果に影響を与えない。服薬ゼリーは累計4000万個を売る大ヒット商品になった。

倒産寸前だった龍角散は、藤井改革によって再生を果たす。

 

■ 藤井社長、就任時の秘話を明かす

「10年サラリーマンして戻ってきたら、営業会議では毎月、売上計画は未達、工場では作るものが無く、草むしりでもしようかという状態。この会社ダメだと思いました。いよいよ社長になって40億円の負債を見せられたら、「これ本当か?」と一回怒りました。父親である先代に、「それでも社長か? このざまは何か」と怒鳴った。先代が「俺にはできなかった。全てをお前に託す」と。「手段を選びませんよ、それでもいいですね」「よし分かった」というやり取りから社長業が始まりました」

「ダメな会社でも会社として生きている。変えようと思うと勇気がいる。下手をしたらガタッと落ちるかもしれない。大きく変えようというのは内部からは難しい」

「この時に、既に服薬ゼリーのアイデアは社内にあった。この関係でお役に立てることはないかと。実は薬が飲みにくい方が病院にはいっぱいいらっしゃると、じゃあやってみるかと。でも反対はたくさんありましたね。大したマーケットサイズではないと」

「何が良かったかというと、我々しかやらなかったから。薬の問題を解決しようなんて誰も考えなかった。業界でも誰もやっていなかったし、うちにしかできないと突き進んだ。現場に行ってみたらわかりますよ。食事というものは最後の楽しみでしょ。それがなかなか食べられません、それに薬まぜちゃうでしょ、そりゃ命つなぐ薬で食事を台無しにしたら、こんな切ないことありませんよね。現場に行って、これは何とかしなきゃならないと。売れるかどうか分からなかったけど、我々が頑張れば少しでも改善できるんだったら頑張ろうと」

「小さくてもいいから成功例があると人は分かる。この会社はいけるかもしれないと。今までは何をやってもダメだった。売り上げも落ちてね、給料も下がってお先真っ暗と。このゼリー、こんなうまいことができるのか、それで会社は変わることができますよ」

 

■ 老舗企業が続く秘訣とは?

どうすれば老舗企業が永く経営を続けることができるのか?

「残念ながら、人体はいずれ年をとっていずれ死ぬ。若返ったり生まれ変わったりすることはできない。ですけど、企業は若返ることができる。私みたいな外圧が入って無理やり進化させると。進化しないと絶滅するんだから。素晴らしい製品やサービスも時代が変われば陳腐化する。一番変わるのはライフスタイル。我々みたいな身の回り品はライフスタイルの変化に一番左右されるから。守るべきところは守るけど、進化させることも必要」

企業は若返らせることができる!!

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