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美味しすぎるツマミを続々開発!ユニーク珍味会社を生んだ父子鷹 伍魚福・山中勉会長・山中勧社長 2015年12月17日 TX カンブリア宮殿

TV番組レビュー
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■ 絶品珍味400種類で急拡大!スゴ腕工場が生む“やみつき味”

コンサルタントのつぶやき

とあるデパ地下でお客が群がっている売場がある。酒の肴(ツマミ)を売っている伍魚福の売り場だ。ここは珍味の専門店。商品の平均価格はおよそ500円。ひとつひとつの商品はお世辞にも安いと言えない値段だが、魅惑のラインナップでお客の心を掴んで離さない。伍魚福で扱う珍味は、400種類以上。ゴーダーチーズを熟成させた生ハムで巻いたワインにぴったりのもの、日本酒好きには焼津産マグロで作った酒盗、大人にも子供にも人気の年間100万袋を売り上げるピリ辛さきいか天。

現在伍魚福は、東京などの大都市圏から地方まで、全国4000か所で販売、売り場を持ち、売上高は22億円。珍味一筋の総合ツマミメーカーだ。

20151217_山中勉・山中勧_カンブリア宮殿

番組公式ホームページより

伍魚福の本拠は港町の神戸・長田区にある。創業1955年(60年前)で、従業員は65人。伍魚福ではボーナスも月給も現金手渡しだ。

「お金のありがたみと、従業員が家に持って帰ることもコミュニケーションにつながる。」

こうした昔気質の小さな会社で、どうやって400種類を超えるこだわりの珍味を提供できるのか、その秘密に迫る。

それは、ファブレス。地域地域の特産品をこだわりの上で使用して、かつ独自製法(石臼による練り機など)で他にない美味しいものを作るメーカーと共同で商品開発して、全国区のメジャー商品にまで育て上げる。

(伍魚福の商品担当者)
「効率重視の工場が増えている中で、本当においしいものを最優先に作っている工場は減ってきている。手間を惜しまず機械の効率は悪いけど、おいしいものを作る工場を選んでいる。」

(提携先の工場経営者)
「商談会で他のバイヤーと話していると、「イカの商品は置いても売れない」と言われることもあるけど、この商品(伍魚福向けの生イカの一夜干し)に関しては年々伸びている。どうやったら売れていくか、どうやったら広がっていくかを、伍魚福は考えて売ってくれるので、一丸となって売り上げを伸ばしてきた。いい縁だったと思う。本当に。」

伍魚福の協力工場は全国に約200社ほど。高い技術力で今までにない珍味づくりに挑んできた。勝負するのは「価格」ではなく「独創性」。その執念には協力工場も、「びっくりする依頼もあるが、伍魚福からの指摘やアドバイスを繰り返し実行すると、確実に商品は良くなっていく。」

伍魚福が販売している珍味はそのほとんどが別々の地方工場でつくられている。そういった工場を全国から見つけてくるのは至難の業のように見えるが、そのほとんどは既存の取引先からの口コミで、新規の協力工場が広がっていくそうだ。

小池さんが質問。
「そもそも珍味を作るメーカーは伍魚福さんみたいにいろいろなものを扱うのが普通なのか?」

「「乾き物」は“乾き物専業”のメーカーで、「イカ」だけを作る専業メーカーもある。例えば、さつま揚げだけを作るメーカーも多くあるが、1社で“冷蔵”も“乾き物”も400種類を扱っている会社は他にない。工場を自分たちで構えて、ものづくりをしようと思うと、「単品でたくさん売る」と、ならざるを得ないと思うが、伍魚福は、昭和50年代後半から工場を外注し、その全国の工場と協力しながら、我々が「おいしい」と思えるものだけを作り、売ってきた経緯がある。」

小池さんが質問。
「技術力以外で協力工場を選ぶ基準はどこにおいているか?」

「やはり同じような方向性で少し高くてもいいので、本当に自信を持って「おいしい」と思えるものを“一緒に作れる”だと思う。よく工場の人に言われるのが、だいたい他社に売り込みに行くと、「少しでも安くしろ」と、そういうことばかり言われるらしいが、伍魚福は「少し高くてもいいので、おいしいものを作ろう」と言っていて、「なんか勘が狂う」と言われる。」

村上氏が続ける。
「あれだけのものをつくれる人たちは、自分たちのものづくりに対してプライドが高いし、少し高くてもいいものを作ろうよ、と言われると、モチベーションも上がるんでしょうね。」

■ 貧乏スルメ工場から大逆転! “絶品”を求めた執念の60年

毎週月曜の朝、伍魚福では恒例の会議が行われる。始まったのは新商品の試食会議。主役は、伍魚福会長・山中勉。

「(試食会では)食わなあかん。80歳のおっちゃんが、どんどん食うくらいでないと売れへん。“食べたらつい手が出る”これがないと商売にならない。食べたら「うまいな、これ」「もうないわ」「どこで売ってたん?」「買って来いや」これや、これが伍魚福の出番や。」

工場を持たずに膨大な数の珍味を売る。そんなユニークな会社を作り上げた勉会長。実は伍魚福、昔は小さな珍味工場だった。小さな工場が総合珍味メーカーに変身した。そのきっかけはある光景に。勉会長が生まれたのは1936年。16歳の時、父のスルメ工場が倒産。兄と二人でその再建に奔走する。そして20代のある日、東京への出張で立ち寄ったアメ横で驚きの光景を目にする。そこでは伍魚福が造っている珍味を2倍以上の値段で売っていた。「こんなんやったら、卸に売るより直接小売りに売った方が儲かるんちゃうか?」そこで勉会長が参考にしたのが、当時話題になっていたコカ・コーラのビジネス本(「コカ・コーラの秘密 実戦用マーケティング教科書」田口憲一著)。日本では当たり前の卸を通さずに、直接小売りに販売する手法(「ルート・セール方式」と表現されていた)が紹介されていた。

(勉会長)
「工場直販で珍味を直接酒屋さんに売ろうと。酒屋なら売れると思った。酒のツマミだから。」

勉会長は早速神戸に帰り、町中の酒屋に営業に出かけた。当時、立ち飲み屋を併設していた酒屋では、ツマミは出していたが、ピーナッツなど、簡単なものしかなかった。

(勉会長)
「酒屋で売っていたのは5円か10円のツマミ。私は35円の商品を売った。「こんな高いもん売れるか」と言われたが、置いたらすぐに電話がかかってきて、「こんなに売れるものは初めてだ」と、どんどん売れた。」

やがて、立ち飲み客を満足させるために、全国のメーカーを回り、どんどん他社製品を買い付けて販売し始めた。

(勉会長)
「お前の店のイカの燻製を分けてくれ」と言って。例えばワカサギやエビの串焼きが四国にはあった。伍魚福の商品をお客が食べて、「うまい、もっと食いたい」と言ってくれる売り場を作りたかった。」

その後、1980年代に大規模な酒の量販店が登場すると、そのニーズを汲み取るために、さらに品ぞろえを充実させるべく、協力工場を増やしていった。そして、伍魚福は自社生産から撤退。全国の工場を駆使して膨大な数の珍味を売る「工場無き総合珍味メーカー」となった。

そんな伍魚福の営業担当は別名、「お客様繁盛係」。依頼があれば、全国どこにでも行き、珍味売り場を作りたいという(小売りの)お客の要望を受けて、あっという間に品揃え豊富な売り場を作り出す。店が繁盛するように、ポップなども用意する。手がけた売り場は、伍魚福が入った途端に、1.5~2倍の売り上げを上げるようになる。

試食会議での食べっぷりを理由を聞かれて、

(勉会長)
「自分が食べるのと人に売るのは別。つまり、“買っていただく珍味”と“普通にうまい”は別だと思う。」

万人に受けるものはダメ。10人中、9人が嫌いと言っても、一人が熱烈なファンになってくれる商品がいいんだとか。

(勉会長)
「やはり個性が無いとダメ。例えば、“もらい物”なら、みんな「まずい」とは言わない。「うまい、うまい」と言うでしょ。でも「それを買うか?」と言ったら買わないでしょ。個性が無いとダメ。万人向けはダメ。」

勉会長は、「コカ・コーラの秘密」で、卸を通さずに直接小売りに販売するビジネスモデルに衝撃を受けた。

(勉会長)
「昔の商売は「ツケ」で、お金は1年に1回しかもらえなかった。ルートセールスをやっていたコカ・コーラは現金で取引をしていた。それを「なるほど」と。」

村上氏が言う。
「伍魚福は当時はもっと小さな会社だったはず、それが巨人のコカ・コーラをお手本にしようと考えるなぞ、相当思い切った判断だったはず。」

(勉会長)
「それは今でこそ、そういう風に見られるけど、困った挙句、なんとか“光”を見つけるために、真っ暗な所にいて、明るい所に行こうとするのと一緒。“困った挙句”であって、相談相手もいないから。「これしかない」ということ。

村上氏が問う。
「自社生産から撤退し、他社工場から買い付け始めた理由は?」

(勉会長)
「お酒のツマミが毎日一緒だったら飽きるでしょ。変わったもの、食いたいじゃないですか。そうすると、伍魚福の商品はあっても3種類ぐらいしかない。私が飲む立場ならば、“おかき”も“豆”も欲しい。うちの商品では不足だと気づいたから、それが、アウトソーシングをしていくきっかけになった。」

その後、1980年代に入り、量販店が登場し始めると、周囲の反対を押し切り、それまでお得意先だった酒屋のライバルとなる量販店を営業で開拓し始めていった。勉会長は、新入社員1名、中途採用の3人だけでその営業を始めた。

(勉会長)
「1ヶ月に普通の酒屋さんで売れても3万円。なんと量販店はその100倍売れた。」

■ ワンマン経営からの大転換 社員一丸! 商品開発の秘密

伍魚福と協力工場のタッグで生まれた商品は他では見られないユニークな商品ばかり。いったい、この自由な発想はどこから来るのか? 本社の一室で行われていた、年2回行われる商品プレゼン大会。なんでも、全社員がチームに分かれて、新商品のアイデアを発表し合うという。試食サンプルが配られ、全員で採点。部門を超えたチーム編成とすることで、既成概念にとらわれないアイデアを創出させる。伍魚福流の商品開発だ。例えば年間25万パックを売り上げるヒット商品「クリームチーズ生ハム包み」。これもチームワークが生み出した商品だ。

そうしたチーム力を生かした商品開発を進め、父親のワンマン経営から脱却させたのが勧社長だ。

(勧社長)
「ワンマン経営でできる時代じゃない。多分、会社が回らないと思う。全員、やっている仕事は違ったりするけど、最終の目的はお客に喜んでもらい、評価してもらってなんぼ。リレーをしているようなもの。本当にチームプレーだと思う。」

それは会社全体をひとつのチームとしてみる経営、「チーム経営」。名付けて、「チーム伍魚福」。その基本は従業員全員による参加型。パートも含め、全従業員が新商品を提案(1件100円)。そんな中、直営店の店長:山中さんは、お客の声をまとめ、日々膨大な数の新商品提案を行っているという。

(山中店長)
「毎月、10~20件を提案する。商品開発の部門が商品を作って、ただ販売するだけじゃなくて、店舗でも開発にも携わっていく。「みんなが商品開発担当だ」とやっている。伍魚福のすごくいいところだと思う。」

社内の風通しの良さについて。部門横断商品開発チームについて。

(広域営業グループ:藤原さん)
「当時は、物流センターの人と商品について話すことは絶対に無い。事務の方とも無い。通販担当と量販担当が知恵を出し合うことも当時は無かった。会長一人の能力に頼っていた。」

(経理・総務チーム:栄さん)
「一人一人が常にアンテナを張っていないと、「私は経理だから」と経理の仕事だけでいいのかというと、そうではない。いろいろな所に行って見た商品が「伍魚福の参考になるのかな」とか、「これにプラスアルファすれば、伍魚福の商品になるかな」とか、そういう思考になってくる。」

(物流管理チーム:横谷さん)
「「みんながまとまる」という意味で、“チーム”は素晴らしいと思う。」

(勧社長)
「“ワンマン経営”を受け継ぐのは、キャラクター的にも難しいと思う。全て、一緒に仕事できるわけではないので、みんなが同じ方向を向いてお客に喜んでもらうために、きちんと仕事できるようにしたいと思っている。」

(勉会長)
「今日初めてビデオ見て、「なかなか、ええことやっているな」と思います。」

なんでも、勉会長はこれまでプレゼン大会を見たことが無かったとか。

(勉会長)
「やはり人間関係、縁があって同じ会社にいるわけだから、今後の伍魚福も社員もいずれ年齢がいくでしょ。年月に合わせて成長していける会社にならないとあきません。「伍魚福にいて良かった」「いい思い出が残っている」「人の役に立っている」と、そういうふうになったらいいと思う。」

『人の役に立っていると、社員が思える会社に』

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番組ホームページはこちら
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20151217.html

KOBE 伍魚福のホームページはこちら
http://www.gogyofuku.co.jp/

おつまみ専門店 神戸伍魚福 【通販オフィシャルショップ】はこちら
http://gogyofuku.com/




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