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希望を灯(とも)す、魂の映画 アニメーション映画監督・細田守 2015年8月3日OA NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

TV番組レビュー
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■ 希望は絶望から生まれる 日本アニメを背負う男の300日

コンサルタントのつぶやき

「人生は幸せなものかもしんないってことをさ、大声で言っているもんなんだよ、幸せだなと思う瞬間が。そういうの続けてくれれば来るんだよ、というか来ると信じているんだよ」

撮影を始めたのは1年2か月前。この夏に公開の最新作「バケモノの子」。その制作現場に長期の密着取材が認められた。制作中に飛び込んだ巨匠、宮崎駿の引退。細田さんは次代を担う映画監督たり得るのか? かつてない規模で挑む超大作、制作は困難を極めた。真価が問われる勝負の1本。映画作りに命を捧げた男、300日の記録。

細田守_プロフェッショナル

番組公式ホームページより

書いていたのは絵コンテ。登場人物の動きから背景、セリフを決める監督の最も重要な仕事だ。3年ぶりの新作は心に闇を抱えた孤独な少年、九太が主人公。熊のバケモノ熊徹(くまてつ)と出会い、ぶつかり合いながら成長する物語だ。

細田さんは映画監督として燦々(さんさん)と輝いてきた道を歩んできたわけではない。脚光を浴びたのは38歳の時だ。「時をかける少女」(2006年)。23の映画賞を受賞。

映画に込めてきた思いがある。

『人生は、捨てたもんじゃない』

「映画ってさ、思うんだけどさ、イエーで感じで人生謳歌してる人のものじゃないと思うんだよね。何てゆうか、くすぶっている人のためのものだと思うんだよね、自分も含めてさ。「世の中も面白いよ」とかさ、これから生きていると「何かいいことあるかもよ」とかさ、「体験するに値するようなことがあるよ」ってことを言いたいっていう」

人生を肯定する映画、それは生半可な覚悟では生まれない。細田さんはいったん絵コンテを描き始めると、12時間以上も食事もせず、ぶっ続けで描き続ける。その姿はあたかも修行僧のようだ。午前2時、細田さんの手が止まった。主人公の九太がヒロインと初めて会話を交わす場面。心に闇を抱える九太が希望を見つけるきっかけとなる重要なシーンだ。シナリオでは小さな公園で2人が出会う設定になっていたが、描いてみるとなぜかしっくりこない。

背景は登場人物の心情を象徴する大切な役割を果たす。開放的な公園は孤独な九太にはそぐわないのか。「こんなピンと来ないなんてのを夜中の2時45分にやっている場合じゃないよね。案外こういう何でもないところで躓くんだよね。

 

■ 「作るのではない、作らされる」

「自分がこうしたいとか、こう作りたいとかっていうことで映画が御せるなんて大間違いで、その作品に引きずり回されるというか、「作品のためにお前死ね」みたいなくらいの勢いで迫ってくるわけだよね、作品つうのはね。もがいて見つけるしかないんですよ、本当。天才はこんな苦労しないよ、たぶん」

1時間後、思いついたのは2人にふさわしくない駐車場。

「お互いのことをまず最初に知る場所だとはとても思えないようなところが却って、こういう所から何かが始まるんだよなっていう気がするから」

5時間かけてひとつのシーンを描き上げた。

キャラクター作りに悩む細田さん。なんか違うという一言。その一言には細田さんの映画に対する姿勢が現れている。

『自由じゃない、正解は一つ』

「絵って自由だっていうイメージがあるもんね。でも俺そうじゃないと思ってんだよね。正解に支配されているわけ。答えは一個なんだっていうそれを目指してそれに向かって作っていくっていう。だから何でも好きなようにやっていいわけじゃないんですよ」

暗がりから作品を生み出す細田さん。映画には“あるもの”が必ず登場する。夏の入道雲。雄大な姿に“成長”を重ねている。

「入道雲がこうあるとさ、空がダイナミックだよね。だからなんか夏場に人間は成長すると思うんで、本当に。夏の暑い中で人間一皮むける何か重要な1日とかさ、重要な体験っていうのはあると思うんで。それと入道雲ってすごくセットになっているような気がしますね」

 

■ 大きな挫折とダメ監督の烙印

細田さんは大切にしているものを見せてくれた。「もらった時はクッソーと思ってグチャグチャにしてパアッとやったんだよね」。スタジオジブリの就職試験に落ちた時、宮崎駿さんからもらった励ましの手紙だ。「就職試験的には落とすけど、作り手としては(この手紙は)そういう気持ちは大事だよってことを認めてくれるんじゃないかな、きっと。それがね、まさかね、その後ね、本当に宮崎さんとね、ジブリでまた会うとは思わなかった」

細田さんは、1967年富山県に生まれた。仕事人間の父はいつも不在。母に大切に育てられた。細田さんにはあるコンプレックスがあった。「どもりというかね、今もあるんだけど、ちょっと言語障害があって、小学校の低学年の時に特殊学級に行っていたんですよ。なんか言いたいことがなかなか言いづらかったりとか、て言うような子どもだったのね」

クラスに上手く溶け込めなかった細田さん。そんな時、母が一本の映画を見せてくれた。宮崎駿さんの映画「ルパン三世 カリオストロの城」。

未知の世界にいざなってくれるアニメーションの世界に心躍った。将来の夢が決まった。けれど大学卒業後、宮崎さんのスタジオを受験するも結果は不合格。それでも夢を諦めきれず別のアニメーション会社(東映アニメーション)に入社した。9年間の下積みの後、監督として手掛けた短編映画が話題を呼び、期待の新星となった。そんな中、あのスタジオジブリから思いがけない連絡が来る。

「映画の企画がある、やってみないか?」。日本最高峰のスタジオで長編映画を作るチャンスを得た。「「やったー」みたいな「ついに長編だー」みたいな。絶対作れると思ってたんだよね、これは」。これまで培ってきたやり方でやり遂げて見せる。ジブリに出向し、絵コンテに着手した。だが、与えらえた原作「ハウルの動く城」は、奇想天外で難解な物語。

どう構成すれば映画に仕立て上げられるか糸口がつかめなかったが、細田さんは誰にも助けを求めなかった。「「東映で学んだぞ」みたいな変な自負というか、安いプライドみたいなものがあって、宮崎さん高畑さんと相談したりとか、一種教えを請うってことも、今から思えばちょっとぐらいしてもよかったんじゃないかと思うんだけど、なんかこう一方で、「こうだ、ああだ」っていうふうに言われちゃうのもいやだなっていうこともあって」

細田さんは自らの殻に閉じ籠り孤立していった。8か月後、ついに絵コンテは行き詰った。担当のプロデューサーからこう告げられた。「細田君これもう無理だね」。

「4月21日です、2002年の。(その日のことは)覚えていますね、もう信用されるのは無理なんだな俺は、っていう監督としては、こういうふうになった以上は」

■ 失意の途中降板の先に待っていたものは?

失意の途中降板。だが本当の試練はそれからだった。元いた会社で映画の企画を出し続けるも一本たりとも通らない。「細田は終わった」と業界でささやかれた。苦境の細田さんをさらに試練が襲う。夢を後押ししてくれた大切な母が病に倒れた。故郷に帰って母の介護をするか、それとも映画を作るチャンスを追い求めるか。母と夢のはざまで悩み抜いた。

細田さんは夢を諦められなかった。母への思いを胸にしまい、黙々とTVの仕事をしながら通ることのない企画を書き続けた。鳴かず飛ばずで3年経った頃、ある誘いがあった。とあるアニメ会社の社長が細田さんの作った作品を見て、長編映画の監督に抜擢された。

「もう映画つくるチャンスはないと思っていたから。そんなやつにも映画を作るチャンスっていうか、そういうことをまた言う世の中がいい加減だと思ったけれど、本当にありがたいと思ったんだよね」

細田さんは14年勤めた会社を辞め、退路を断って裸一貫でやることを決めた。もはや安いプライドに振り回される細田さんはいなかった。壁にぶつかれば周囲に相談し、スタッフ達には常に頭を下げた。どんなことをしてでもこの映画を完成させる。映画監督としての本当の覚悟が細田さんを突き動かした。描いたのはドジな主人公が失敗を繰り返しながらも成長していく物語。挫折の連続だった自分の姿と重ね合わせた。

注目されることなく、わずか6つの映画館から始まった上映。しかし、口コミで評判は広がり、異例のヒットとなった。その後も細田さんは親戚との不仲や子供についての悩みなど、自らの苦しい経験を作品にぶつけていった。

映画は、多くの人の希望となった。

『人生は、捨てたもんじゃない』

「映画を作るとか観るとかってことは、世界に希望を持っていますよってことを表明するような行為でさ、そうでないにも関わらずね、その時の自分は幸せじゃないかもしんないけれども、「人生は幸せなものかもしれない」ってことをさ、大声で言っているようなもんなんだよ。それは、幸せじゃない人だからこそ、それを作ったり言ったりする権利があるってことだよ」

 

■ 「バケモノの子」公開直前!! ラストスパート! 亡き父を想い、、、

昨年夏、制作現場は佳境に入っていた。宮崎駿さんが引退した今、細田さんにかかる期待は大きい。細田さんは取材を受ける余裕もなくなっていった。重圧の中で映画を完成に持って行けるのか、細田さんの真価が問われていた。

年明け、徐々に映画が出来上がって来た。ひとつずつ細かいチェックを入れていく。そんな中、細田さんが意外なことを言い出した。この土壇場にも関わらず、ストーリーの一部を変更したいという。細田さんが変えようとしていたのは映画終盤の重要なシーン。成長した主人公、九太が父親代わりとして見守ってきてくれた熊徹に別れを告げるシーン。熊徹は九太の言葉をだまって聞いているだけで何も答えないことになっていた。

「セリフを言おうかというふうに思います。「おう見せてもらおうじゃねえかと」と(言って)笑うと」「九太と熊徹の絆の深さというか、信頼感みたいなものっていうかな、全部こうお互いのことを分かっている存在だっていう感じっていうのが、やっぱり上手く出るといいなと思うし」

スケジュールが遅れているにも関わらず、変更したのには訳があった。熊徹には細田さん自身の父への想いが込められていた。鉄道会社に勤めていた父親は不在がちで、家庭を顧みず、関係は希薄だった。その距離を埋めることなく父は細田さんが30歳の時に急病で亡くなった。細田さんは自らを九太に重ね合わせ、叶わなかった父との関係を映画の中で結び直そうとしていた。

「思い返すと、やっぱこうなんかもっとあれこれ親父と話せばよかったなとか、気持ちがすれ違ってね、クッソーと思ったりとか、そういうこともっとやればよかったなっていうふうに、その後悔っていうのをなんか埋めて何らかで埋めなきゃと思っているじゃないかなっていう」

映画公開までとうとう4カ月を切る。細田の疲労はピークに達していた。それでも細田さんは憑りつかれたように映画を作り続ける。4月初め、最後の山場、アフレコが始まる。始まって4日後、とうとうあの九太と熊徹の別れのシーンを撮る時がやって来た。今の自分を父が見てくれていたなら、何て言ってくれるだろうか。その思いを熊徹に託す。

『人生は、捨てたもんじゃない』

「現実にはね、なかなかそんな都合よく励ましっていうのがやって来ないわけじゃない。そういうリアリティっていうのは、よく分かるのよ。でも励ましやさ、何かこう肯定的な言葉っていうのが必要なのは現実なわけで。絶対そういうものを糧にしてさ、自分を奮い立たせて前を向いていくものじゃない。映画の中でもささやかな一言がさ、誰かのちょっとした力になるかも分からんからさ」

細田さんの思いが映画に刻み込まれた。その3か月後、公開初日を迎えた。

プロフェッショナルとは?

「え、分かんないよ、そんなの。
 俺はプロフェッショナルなのかな。
 映画とか、
 映画を作ることの心理を見極めたいと思っている。」

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→再放送:8月8日(土)午前0時55分~午前1時43分(金曜深夜)総合

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