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一徹に直す、兄弟の工場 自動車整備士/小山 明・博久 2015年12月7日 NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

TV番組レビュー
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■ “車のドクター”兄弟コンビ

コンサルタントのつぶやき

『“神の手”を持つ兄弟』

自動車は一般には10万キロ走れば買い替えと言われる。二人の腕は想像以上。35万キロ走って、捨て置かれていたミニカ(三菱自 初代 LA20型)が蘇った。派手な宣伝もせず、ホームページも持たない。だが全国から整備士がその技術を学びにやってくる。整備一徹50年、油まみれの現場に密着。

20151207_小山明・博久_プロフェッショナル

番組公式ホームページより

広島・福山市、ここに車のドクター、小山兄弟の工場がある。1階は工場、2階は兄が住む自宅だ。兄の明は弟が手巾してくるまでの1時間、朝の7時半まで半世紀続ける日課がある。毎日工場の周りを掃除する。年に一度しか使わない機械も丹念に磨いていく。

「工場ものすごく汚くなっていたら、「うちはええ整備します」言うてお客さんどう思うかです。でしょう(笑)。それだけです」

工場で働くのは、博久の長男、芳徳を含め3人だけ。だがその腕を頼って、月に150件の依頼が殺到する。ディーラーが音を上げたものも少なくない。兄の明は主に車検の整備を担当。一方、弟の博久は急に持ち込まれる故障車の整備を担当。この日、弟の博久が故障したセダンを引き取ってきた。平成14年式の国産車。エンジンのかかりに異常があるという。アイドリングが続かない。このままでは何かの拍子に暴走して事故につながりかねない。持ち主は原因に心当たりがないという。博久はエンジン回りのホースがどこか外れていると読んだ。整備工場では珍しい、スモークを発生させる装置を使い、エンジンにつないで煙を送り込む。探すこと10分。奥まったところでホースが外れている場所を発見した。ホースを付け直しエンジンがかかるようになった。一般的な故障整備ならここで作業は終了。だが、仕事を終える気配がない。

『ただ「直す」だけなら、それは「整備」とはいわない』

「身近にあるもので一番危険なものじゃないですかね車って。そういうものを直させてもらいよるんで、いいかげんなことはできないんで。だから、とにかく安全の方には力入れて、とにかく心配で心配でしょうがないくらい直しなさいていうんですけどね。何で(ホースが)抜けるのかな、ほんまに。」

故障の根本原因は何か? それをつきとめてこそ整備といえる。点火プラグにわずかながら黒いススが。点火プラグが故障し漏電があった事実を示すものだ。点火プラグが故障すると、不燃ガスがエンジンの外へそのまま出てしまう。そのガスに引火し爆発が起きたことで、ホースが外れたことが分かった。これで同じトラブルは起きないはず。ようやくこれで整備が終わった。

仕事への姿勢は、車検担当の兄、明も同じだ。まず最初に行うのは洗車。本来、車検には洗車は不要。だが隅々まできれいにし、不具合部分を探す。そしてブレーキパッドという部品を交換すると言い出した。

「車検は通りますよ、これぐらいの厚さだったら。それでも(次の車検までの)2年間、途中で変えないといけんようになる。それで。」

全ての車検整備を終え、車を走らせた時だった。見た目には全く分からないが、ハンドルの振動が気になるという。この程度の振動なら車検は通る。だが明は部品を交換することにした。費用を抑えるため、4つある部品のうち、交換は1つだけにする。

「ここが一番よう劣化する。それが今までの経験。普通は全部変えりゃいいんですよ。それはお金がかかる。ここがポイントじゃけ。」

明は振動を抑えて見せた。

■ “車のドクター”兄弟のこだわり

小山兄弟の強みはどんな車でも直せること。外国車(アルファロメオ スパイダー・ヴェローチェ 1992年式)も、国産車(プリンス スカイラインGT S5型 1968年式)も、半世紀前のもの(ダッジ チャレンジャー 1970年式)も、最新のもの(ジャガー XJ 2013年式)も、そしてダンプカーも。

「ここに持ってきたらどんな車でも完全に新車の状態に戻る。」

県外からも兄弟の腕を頼ってわざわざお客が訪ねてくる。その秘密を探りに全国の同業者の見学が引きも切らないが、皆が驚くのは道具の豊富さだ。輸入車専用の、コンピュータ制御の車につなぎ、故障を発見する最新の機械(スキャンツール)。

「ざっと20種類ぐらいかね。得手不得手があるけ、車種によって。これだったらラテン車みられる、アメ車はいけんとか」

さらにかすかな音の異常も発見できる聴診器も使う。限られた儲けの中から最大限道具に投資。それを使いこなすのが博久さんの役割だ。一方、兄の明さんの役割は、車や整備の最新情報を掴むことだ。月に13誌もの専門誌を熟読。明さんはいわば兄弟コンビのブレイン役だ。更に明さんは道具の展示会に足を運び、工場で役に立ちそうな道具を探しだす。

「(最新の道具を)何も知らなんだらね、お客さんに迷惑かかるでしょ。お客さんの方がインターネットでよう勉強しとったらいけんでしょ。やっぱりお客さんの上に立っとかな。」

仕事場では話をしたり、共同作業をすることはほとんどない二人。だけど二人はいつも役割を分担し、支え合っている。

■ 驚き! 自動車整備のプロ

9月下旬、博久はひときわ難しい整備にとりかかっていた。37年前に製造された有名スポーツカー(フェラーリ 308GTS 1978年式)。車の持ち主は50代の男性。この車に乗るのが長年の夢で、6年前に購入。しかし最近、エンジンの調子が悪いという。博久は不調の原因だった部品を2日かけて交換した。だが、あることを気にしていた。この車の人気のひとつは安定したエンジンの音。だが今は詰まった感じの不安定な音がする。悩み始めた。この車のエンジンは8気筒。8か所の気筒の中でそれぞれ爆発が起き、それがエンジン音になる。その音を左右するのが気筒の中に空気とガソリンを混ぜて送り込むキャブレターという装置だ。空気とガソリンの混ぜ具合は極めて繊細。うまく調整できていないと不安定な響きになってしまう。

「8気筒あるんですけど、それの1個か2個が同じように爆発していないんですよね。たなに「ボス」いうのは、どっかが打っていないとか、打ち方が悪いとか、そういうバランスの悪さですね。」

キャブレターの動きを調整するねじを動かし始めた。コンピュータ制御の車にはこのねじは存在しない。こうした調整ができる整備士は今、ほとんどいないと言われる。挑み始めて3日目。博久は車を走らせてみた。普通の速さで走るには問題はない。だが、まだ満足できない。音の問題は肝心な乗り心地にもかかわる。整備のプロとしてひとつの信念を心に刻んできた。

『客が気付かないことも気付き、追求し続けてこそ、プロ』

「たぶんこういう車乗っている人は、ここら辺が大切なんだろうないうのを自分で考えて全部直したい。直すと喜んでもらえるじゃないですか。そういうのがすごい一番うれしい感じなんで。」

その後も博久はミリ単位の調整を繰り返した。そしてお客さんに試乗してもらい、満足との言葉をもらった。ところが、博久は浮かない顔だ。

「僕は満足はしてないです。ちょっと気に入らんので。でもお客さんは満足されたんで。今度(客が)来た時に、ちょっとずつ調整したらもっと良くなる」

真剣であればある程、不満足になる。それが兄弟の毎日だ。

「「ほんま大丈夫なんかな?」と、いつも心配している方がまっとうだと思います。満足することなんて絶対ないですからね。(満足すれば)絶対痛い目に遭いますからね。

■ “車のドクター”兄弟の50年

兄、明さんは毎月父、稔さんのお墓詣りを欠かさない。小山さん兄弟二人の工場は昭和34年、ディーラーに勤めていたお父さんが独立して始めたものだ。兄、明さんは高校を卒業すると、すぐに工場で働き始めた。

(明さん)
「親父と二人でそれはもう大変でした。一日でエンジンのセミ・オーバーホール(分解修理)しよった。日曜日、全然休みなしです。」

一方、8歳年下の博久さんは、まだ子供。兄は頼りがいのある大きな存在だった。

(博久さん)
「小さいころ模型とか、うちら貧乏だったので買ってくれたのも、兄貴が給料みたいな小遣いもらうじゃないですか。ああいうので買ってもらったの今でも覚えていますね。でっかい戦車の模型買ってくれました。」

その10年後、博久さんも兄を追うように工場に入るようになった。でも二人の整備士人生は順調に始まったわけではない。

『気が付けば支え合っていた』

博久さんが工場に入ると、驚いたのは兄の働く姿だった。当時の主な仕事は青果市場や運送会社のトラックなど、法人の故障車の整備。明さんは早朝から深夜まで注文に応えるために、仕事に追われていた。法人の担当者から無理な値引きを迫られることもあり、神経をすり減らしていた。でもまだ経験不足の博久さんには明さんを助けることはできない。故障車の整備を担当することになったものの、時間がかかり、逆に心配されることもあった。しかしそんな博久さんを明さんは決して叱ったりしなかった。

(博久さん)
「ほんま、じっくり直させてもらいましたね。「早よせい」というのはあんまり聞いたことが無いです。それはすごいありがたかったですね。」

そんな兄弟に転機が訪れたのは、父、稔さんが引退した後。工場の中心となった明さんは大きな決断をする。法人の車の整備を止め、個人の車の整備だけに絞ることにした。

(明さん)
「仕事の評価でなしに、やっぱり担当者にゴマすらにゃいけんでしょ。やっぱりそれが嫌で」

博久さんは心配になった。大口の取引先がなくなった穴は埋められるのか? でも兄の思うようにさせてあげたい。反対はしなかった。案の定、工場の経営は苦しくなっていった。売り上げは落ち込み、3人いた従業員はゼロになった。そんな中でも必死に働く兄の姿を見て、博久さんは思った。

『兄ちゃんのちからになりたい』

格好の仕事があった。当時流行していたアマチュアのモータースポーツ、その車の整備だ。スポーツカーの整備はチューニングや改造など、故障車の整備以上の高い技術力が求められる。1件でも多く手がけよう。必死になって厳しい客の要望に応えていった。すると、思わぬことが起こった。スポーツカーも手がける整備士がいると遠方からも客が次々と訪れるようになった。ところがその直後、兄弟を試練が襲う。明さんが喘息で倒れた。長年体を酷使したのが祟ったのか、工場に出てこられない日が続いた。その間、博久さんは必至に工場を切り盛りした。そして胸に誓った。

(博久さん)
「仕事ができんくらいひどかったので、兄貴がそんなんでね、僕らも競技にしても仕事にしても、「それなりの成績出さないけんな」とは思いよりましたけど。競技とは成績出しゃ、兄貴も喜ぶんで。」

その1年後のことだった。博久さんの手がけた車が全日本選手権で1位から4位まで独占するという快挙を成し遂げた。博久さんは真っ先に兄に電話した。「そうかよかったな」返事はそっけなかったけれど、胸の内は違った。あのかわいかった弟が今や工場を支える大黒柱になった。

(明さん)
「そりゃもう嬉しかったです。そりゃもう。報告があるでしょ。「優勝した」いうて。そのときはバンザイしよりましたよ。そりゃもう、立派だと思いますよ。」

兄と弟、小さな工場で歩んだ半世紀。今二人が思うこと。

『ふたりだから、頑張れた』

(明さん)
「(弟は)やっぱり何でもできるきね。そりゃもう感謝しとります。任せときゃ全部してくれるんで。」

(博久さん)
「よかったことですか? なんでしょうかね? ケンカしませんからね、あんまり。ケンカしてもそれで終わりますからね。兄弟は(ケンカして)別れて別々にってよく聞きますけど、僕らはそんなことなかったですね。たぶん、どっちか欠けたら仕事できないんで。僕もそう思っている。」

■ 自動車整備 兄弟の挑戦

10月下旬、博久が10年来の付き合いのある客の元を訪ねた。システムエンジニアをしている藤井剛さん。藤井さんは脳性小児まひの後遺症で足に障害がある。一番の趣味は車の運転。ジムカーナ(自動車競技)に参加するのが何よりの楽しみだ。今回、藤井さんが依頼してきたのは8年前に中古で買った競技に使う軽自動車だ。実は藤井さん、5月に階段で転び、首を骨折する重傷を負った。4ケ月ほどの入院の間、この車を野ざらしにせざるを得ず、エンジンが全くかからなくなってしまったという。藤井さんにとっては生甲斐ともいえる愛車。できるだけのことはしたい。

『「直す」の先へ』

今回は故障整備と点検整備。両方を兼ねているので、二人がかりで行うことになった。まず明が4ケ月の汚れを丹念に落とす。

(明さん)
「もう乗れるようになってほんまにうれしかったです。車が無かったらリハビリの元気が出んでしょ。車があったら、リハビリ頑張ってしようかいうて。ミニサーキット走るよけ、整備は足回りもカチッと。ブレーキなんか特に」

一方、博久、エンジンがかからない原因を探っていた。キーを回し、電流をチェックする。流れる電流が弱い。燃料ポンプを新たなものに交換することにした。さらに、燃料タンクも中まで錆びてしまっていた。燃料タンクにクリーニング剤を入れ、一晩寝かす。そして、錆びを予防するコーティング剤をかける。整備作業は順調に進んだ。

今、懸命にリハビリを続けている藤井さん。首を骨折して入院した当初は、もう車を運転できないと落ち込んだ。だがその時、励ましてくれたのが小山兄弟だった。

(藤井さん)
「入院して一週間ぐらいの時だったと思うんですけど、病院に来ていただいて、「手は動くん?」「足は動くん?」って言っていただいて、自分は「こんだけしか動かないんですよ」と言ったんですけど、「そんだけ動きゃ十分だ、車は運転できるよ」と言っていただいて、いろいろと助言していただいたんで、本当に感謝しています。」

整備を初めて1週間、藤井さんが工場にやってきた。半年ぶりに愛車を運転する。無事、試乗が終わった。だが、藤井さんが引き上げた後のことだった。博久がまた整備を始めるという。外しだしたのはサイドブレーキ。実は試乗中、気になっていたことがあった。それは藤井さんの左手の動き。藤井さんは長期の入院で、腕力がやや落ちていた。それを見て、博久はサイドブレーキを改造し始めたのだ。まずは握る場所を5センチ伸ばす。てこの原理で藤井さんが少ない力で引けるようにする。さらに、握りやすいように溶接で先端に角度を付けることにした。ただ一徹に、考え続ける。

『客が気付かないことも気付き、追求し続けてこそ、プロ』

サイドブレーキを取り付ける。僅かながら先端を助手席側に向ける。最後は明の出番だ。ねじの緩みは無いか、摩耗した部品は無いか。

納車の日を迎えた。再び試乗して、サイドブレーキの調子を見る。一度はあきらめかけた車の運転。藤井さんは楽しんでいた。

プロフェッショナルとは?

小山明「当たり前のことを当たり前に。心を込めて、もうそれだけです。
特別に何かをしよるんじゃなくて、それが当たり前になっている。」

小山博久「どんなボロでも、どんな高級車でも、向き合う姿勢は真剣にしたい。
手を抜かない。それが伴った仕事に対して、
お客様が満足してお金を払ってもらえるのが、プロじゃないですかね。」

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番組ホームページはこちら
http://www.nhk.or.jp/professional/2015/1207/index.html

小山自動車の紹介ページはこちら「知りすぎニュース」
http://saract.com/news/koyama_automobile_mechanic-2637

→再放送 12月12日(土)午前0時55分~午前1時43分(金曜深夜)総合

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