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京都の冬、もてなしを究める 日本料理人・石原仁司 2016年1月25日 NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

TV番組レビュー
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■ 京都・世界に誇る日本料理人 半年待ち!? 感動の“もてなしの味”

コンサルタントのつぶやき

『一生に一度は食べてみたい』

またお断りしなければならないかもしれない。「半年待っても食べたい」。そんな日本料理が京都にある。並ぶのは四季折々の旬の食材。五感を刺激する料理の数々。その美しさは芸術品とも呼ばれる。味だけではない。そこにはもてなしの極意が詰まっている。店の主はちょっと強面のはにかみ屋。

石原仁司。京都が生んだ世界に誇る料理人。

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番組公式ホームページより

ここ7年で6回、あのミシュランの三つ星を獲得。究極のもてなしを追求する石原。その極意とは? 石原の料理は茶の湯から生まれた茶懐石がベース。その真髄を独自に進化させてきた。ただひたむきに客の期待に応える。もてなしの心がここにある。

■ 京都・“もてなし”を究める男 密着!スゴ腕料理人の一日

石原のトレードマークはスマートフォンとつながった無線イヤホン。

「仕事中に電話かかってきたら、どうしても手をとられるんで。仕事中でも仕事しながら通話ができるようにしといた方がね。」

朝9時、店に向かう前にひと仕事。季節の草花を見つけては、店の飾りつけに使う。その足で食材の仕入れに向かう。毎朝の仕入れは石原の仕事。弟子にはまだ任せられないという。石原がこだわるのは旬の中の旬。値段やサイズなど、表面的なことには惑わされない。この道47年の石原の目に仕入のプロも舌を巻く。仕入れは専門店ばかりとは限らない。柿を探し求め、スーパーにやってきた。熟す前のちょっと硬めのものが欲しかった。

「用途によって違うんでね。これは柿なますにするんですけどね。ちょっと硬い方が。すぐ柔らかくなるんでね。(取材担当者からの取り寄せた方が便利ではとの問いに対して)だけど、硬さとか見て買わないと分かんないでしょ。」

自分が納得できるものが手に入るなら京都じゅうを探し回る。

「スーパーも直接の仕入れみたいなんがあるじゃないですか、独自の。だから、よそにないものを置いてたりね。直接取引しているようなとこも置いてたりしてるんですよね。その中にいいものがあったりするんでね。いいものじゃないと今は売れない時代ですよ、なかなかね。だからそういう所を、ちょこちょこのぞいてみるというのも大事なことで。」

石原が店を構えるのは、桜や紅葉の名所、円山公園の一角。数寄屋造りの店全体が、料理を味わってもらうための舞台装置となっている。

「ここまで来るまでがね。この自然がいっぱいあるでしょ。そういうものを吸収しながら(店に)入ってもらうと。あそこ(玄関)をくぐってもらうのは結界ですからひとつのね。あそこで世の中のね、ちりを払って入ってもらいたい。」

店の中も細部まで計算されている。客を迎えるのは一日一回のみ。カウンター席の14名のみ。それが対面で細やかに目配りできる限度だという。客の目線からは庭が見え、奥行きを感じられるようになっている。逆に、床の間はあえて席の後ろに設け、押しつけがましくないようにしている。

「なかなか(草花を飾るのは)四苦八苦しますよ。自然に咲いているのが一番きれいやけど、それを(店に)持ち込んで何とかしようと思ったらね。」

料理と共に、店の設えにも力を注ぐ石原。目指す理想がある。

■ 京都・“もてなし”を究める男 料理で目指す「一座建立」の世界

『一座建立』

一座建立(いちざこんりゅう)とは、千利休が大成した茶の湯の世界で大切にされてきた言葉だ。亭主が心を尽くしてもてなし、客が感動して満たされた時に生まれる特別な一体感のことをいう。石原は、一座建立の精神を日本料理の世界で体現しようとしている。

「料理人としてね、“もてなす”ということ。ただ料理だけを作っているんじゃなくて、すべてを味わっていただく。それが日本料理というか、日本文化というかね。おいしいというのは何かということなんですよね。それを追求してるわけですよ。それがもてなしでもあるわけですよ。」

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■ 京都・“もてなし”を究める男 密着!スゴ腕料理人の一日

午後1時、料理の仕込みが始まった。店で出すのは3万5千円の月替わりの懐石コースのみ。全15品を5人の弟子を指揮して作り上げる。客一人に出す食材の数は厳選した旬のもの、300種以上にもなる。

「旬のものをふんだんに使ってくというのがね、季節を味わうということにつながるんで。やっぱり、いろんな臭覚とか記憶されるでしょ、脳みそに。香りとか、味覚とかね。それがまた深みにつながってくんですよね。」

石原の料理人としての凄味はその包丁さばきにあると言われている。イカの表面に1ミリ以下の間隔で切れ目を入れていく。この一つの手間が味や触感をガラリと変える。

「剣先イカの場合は、上だけが繊維がね、硬いのがあるんでね。それだけをいま断ち切ってやってんですけど。イカのある程度の食感残しながらも、こう繊維を切ってね、軟らかく食べてもらうという。」

絶妙な食感を生み出し、身の奥にある甘みも最大限引き出す。これが石原の技だ。さらに石原は驚くほどの細やかな心配りを見せる。味には影響しないが、見た目によくないということで、マグロの赤身から血管をすべて丹念に抜いていく。

■ 京都・“もてなし”を究める男 料理で生み出す“感動の空間”

午後5時45分、一期一会の幕が上がる。石原は主人として客を迎える。客は地元京都や兵庫、そして東京などからやってきた10組14名。見知らぬ者同士が無言のままカウンターを囲む。午後6時、最初の料理が出された。汁と飯、そして向付。茶懐石では酒の前に汁と飯を出す習わしがある。それに倣い、悪酔いを防ぐために、まず暖かいものをお腹に入れてもらう。米は島根県の天日乾燥、無農薬米。「煮えばな」という米が炊き上がる直前の甘みが最も引き出された状態で出される。簡素な世界から一転、華やかな世界に客を引き入れる。マグロにブリ、鯛やイカがふんだんに盛られた造り。豪勢かつ優美な盛り付けは石原の真骨頂だ。

料理はほぼ同じタイミングで全員に振る舞われる。皆でおいしさを共有してもらうことが狙いだ。今日初めて会った客同士が感動を分かち合う。これが石原の一座建立。その頃、調理場では次の椀物の準備が始まった。椀物の命ともいえるだし汁は日本料理の神髄。その味を石原は毎日追求し続けている。客に出す5分前。石原がだし汁に熱を入れ始めた。だしは温度によって微妙に味が変わるという。また、飲み進めるにつれ、味の感じ方も変化していく。石原は客が実際に感じる味わいを予測しながら、微調整を繰り返す。

『ただひたすらに、突き詰める』

「手抜きしないということ。見えないところで手抜いても分かんないでしょ、お客さん。だけどそれをしたんでは何にもならんいうことです。分かるとか、分からないんじゃなくて、自分の生き方なんです。生き方がそれ(料理)に出てくるわけです。」

石原の料理に近道はない。見えない努力をどれだけ積み重ねられるか。そこにこそ、人の心動かすものが生まれると石原は信じている。一座建立の夜。これが石原のもてなしだ。

■ 京都・“もてなし”を究める男 日本料理人 石原仁司の日常

日本料理の道は日々勉強だと石原さんは言う。店の設えには欠かせない四季の草花や掛け軸について知識を蓄えてきた。器も料理の一部。古今東西の陶磁器や漆器についての勉強も欠かさない。

「日本なんかその季節しか使えない器があったりするわけでしょ。そういうもんで料理をやっているんですから、器があっての料理、料理があっての器でしょ。力って大きいです。そういう意味では。」

さらに、47年続けてきたのは書道。お品書きなど文字の印象一つで味も変わってくるという。料理人として、石原さんはひとつの姿勢を貫く。

『未在 - 未だここに在らず』

未在とは禅の言葉。修行に終わりはなく、常に向上心を持って上を目指す、という意味だ。

「もっと違うものとか、さらなるものを求めていくというかね、そういう気持ちを持ってないと、物事などんどんどんこう自分では守っているつもりとか、維持しているつもりでも落ちていきますから。それなりに自分がずっと鍛錬していかないと出てこない。出てくるものが、人を何か感じさすものが出てくるわけ。」

いかに客をもてなすか。ずっと考え続ける石原さん。

■ 京都・“もてなし”を究める男 半世紀におよぶ真剣勝負

石原さんは島根県の生まれ。兼業農家の三男坊として育った。石原さんの料理の原点。それは、正月や盆に振る舞われた母のご馳走だという。

「いっぱい出して、おなかいっぱい食べてほしい。喜んでほしいと思って一生懸命作るわけですよ。そしたらどれもせっかく作ってくれたから味見しようと思って食べますよね。それでやっぱり幸せ感とか、こんな思いまでして、たくさん作ってくれたんだなとか。」

中学を卒業すると、料理人を志し、大阪の料亭に就職した。料亭の主人は天才料理人と言われた湯木貞一さんだった。当時、客をもてなす茶の湯の文化を料亭に取り入れ、懐石料理というジャンルを開発していた。だが、下働きだった石原さんには雲の上の人。石原さんは懸命に腕を磨いた。やがて頭角を現し始めた石原さん。27歳の時、異例の若さで京都にある支店の料理長に抜擢された。そして間もなく、あの湯木さんとの真剣勝負が始まる。湯木さんは毎週、石原さんの目の前に座っては料理を食べた。石原さんはその度にカツオを削り、だしをひく。しかし、湯木さんはだしを飲むたびにこう言った。「もう一回」。多い時には、一日に3回もだしをひき直した。それでも言われた。「もう一回」。そんな日々が18年続いた。「もう一回」という湯木さんの言葉に応えるうちに、石原さんは京都銃にその名を知られる料理人となっていた。湯木さんは最後まで「こうしろ」とは言わずにこの世を去った。

石原さんは今、こう思う。

『道の到達点 未だここに在らず』

「毎日毎日、真剣勝負でやっているのは、そういうとこですよね。一つ一つの積み重ねですよね。やっぱりね。楽なことをしてもね、楽なことをしたら、楽なだけの仕事でしかないんです。楽な方を選ぶとね、それなりの仕事でしかないですよね。何でも。」

湯木さんが無くなってから7年後、石原さんは独立し、自分の店を持った。51歳での決断だった。湯木さんの懐石料理の心を守りながらも、自分なりにアレンジし、精一杯客をもてなす。まだ見ぬ到達点をめざし、今日も客の前に立つ。

■ 京都・世界に誇る日本料理人 半年待ち!? 感動の“もてなしの味”

11月下旬。一年を締めくくる師走の料理。その献立が話し合われていた。何か月前から予約して、特別な思いで来てくれる客の期待にどう応えるか。

『師走のもてなし』

いよいよ明日から師走。石原は支度に追われていた。このところ体調がよくない。連日の疲労と寒さが重なり、喉をやられていた。喉だけではない。10年ほど前から首や腰に神経痛を患っていた。仕事の合間を縫って病院通いが続いている。下半身の痺れは最近、包丁を持つ手にまで及ぶことがある。

「やっぱりちょっとでもいい状態で自分の体をもってっとかないと、(料理の)味に影響したりしたら困るでしょ。」

今年63歳になる石原。料理の道はこれからだ。

「ちょっとでも、ちょっとでも(仕事を)長く続けたい。」

■ 京都・“もてなし”を究める男 “師走のごちそう”とは何か

なんとか順調におさめてきた12月の半ば。お造りにする鯛が小ぶりなものしかない。大物に比べ、脂の乗りが落ちるが他に選択肢はない。旬の幸を相手にする以上、こんな日もある。今日はこの鯛で勝負すると決めた。

「結構、毎日毎日プレッシャーですよ、それは。半年ね、待って食べにこられるいうたら、ものすごう楽しみにされているんでね。そういう人はね。」

この日は、地元京都や東京などから4組13名の客が訪れる。その半数近くがリピーターだった。今日も満足のいくもてなしができるか。石原が動いた。まずとりかかったのは焼きものの肉にかける特製ソース。蜂蜜の味を効かせた人気のソースだ。石原はあえてその味をガラリと変え始めた。柑橘系の果汁を次々と足していく。開店の時間が迫る。次はあの小ぶりな鯛が待っている。石原どう仕上げるか。どうやら“鯛霜”として出すようだ。いつもは皮を取るが、この日はあえて残すことにした。皮に含まれる脂によって、脂分の少なさが補われると考えた。ただし、そのままでは皮が固い。包丁で切れ目を入れ、軟らかく仕上げていく。客を迎えるギリギリまで手を尽くす。

『ただひたすらに、突き詰める』

午後5時半、客が集まり始めた。

(東京で和菓子店を経営する常連客の谷口さん)
「石原さんに会いに来ているような部分が半分。格好良く言うとあるんですけど。やっぱり石原さんのおもてなしの心をいただきに来てるっていう感じがするんですね。」

師走の料理が始まった。七品目の八寸は、ある趣向が凝らされていた。手書きの紙縒りと正月のしめ縄用のわらで飾り付ける。一人一人にメッセージが添えられていた。来年も福が来るように願う言葉や、過ぎた日々を懐かしむ言葉が並ぶ。全14品を出し終えた。仕込から9時間、石原はずっと立ちっぱなしだった。だが、苦でもない。長い一日が終わった。

一人、一日の仕事を振り返る石原。道の到達点は見えたのだろうか。

プロフェッショナルとは

いつも思っているレベル以上の仕事ができないとダメ。
そして、やっぱり完璧というものはないかも分からない。
完璧はないかも分からないけど、その完璧を近づけようと、
努力するのがプロフェッショナルかなと。

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番組ホームページはこちら
  (http://www.nhk.or.jp/professional/2016/0125/index.html

 

未在のホームページはこちら
 (http://mizai.jp/
食べログのリンクはこちら
http://tabelog.com/kyoto/A2601/A260301/26002279/dtlrvwlst/3363419/

→再放送 1月30日(土)午前2時55分~午前3時43分(金曜深夜)総合

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