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■ 予約2か月待ち! 焼き鳥職人

コンサルタントのつぶやき

『その一串は“未体験”』

この店の主人はいつもあることを大真面目に考えている。

「俺はどこまで、焼き鳥の気持ちになれているんだ?」

「どれだけ、その1本の串の気持ちになれるか。僕、日焼けするんですけど、日焼けしてて、ある意味、焼き鳥の気分っていうか、自分が串刺されて、焼かれてる気持ちで。きれいにムラが出来ないように、どうしたら焼かなきゃいけないかとか、本当に考えたりとかするんですよ。」

焼き鳥職人、池川義輝(44)。

20160411_池川義輝_プロフェッショナル

番組公式ホームページより

素材の味を引き出すと言われる究極の技。池川は焼き鳥の世界の最前線を行く。

「追い込まないと、いい焼きってできないと思うんですよね。やけどは日常茶飯事なんで。それでおいしく焼ければ、僕は全然痛いと思わない。」

焼き鳥職人池川は毎日歩いて店に通う。店は車一台ギリギリ通れるかという細い路地裏にある。広さは11坪、カウンター17席のみ。池川と妻、そして2人の弟子で切り盛りしている。シンプルな料理である焼き鳥。素材の味を引き出すには、ひとつひとつの工程を突き詰めなければならない。まずとりかかるのは鳥を丸ごと捌く作業。丸鶏は扱いが難しく、鳥専門の資格がないと捌くことができない。焼き鳥専門店でもその資格を持っている者は少ないという。

鶏はほぼ食べられないところはない。すでに捌かれた鶏ではなく、丸鶏を仕入れるのには訳がある。内蔵を見て鶏の健康状態をチェックするためだ。

「通常ですと、ここ(レバー)がダラーンとなっているんですけど、このエッジが効いているっていうのが非常に健康であるっていう証拠の一つですね。これで鶏の健康状態を、僕はバロメーターのひとつとして見ています。」

捌いた肉の切り分け。池川は一般より大きめにカットする。鶏のジューシーさをより感じてもらうのが狙いだ。そして仕込みで最も難しいのが串打ち。

「焼き鳥で一番大切なのは串打ちなんですよね。」

鶏肉は繊細だ。串打ち三年と言われ、手で持っている時間が長くなると、味が大きく落ちる。しかも正しく打てなければ肉がずれ動き、焼き加減に狂いが生じる。池川は肉を持つや否や、どう串を打つか瞬時に判断していく。

「少しこっちに片寄ってる場合は、こう縫って中心に持ってきてと。」

1本、200円~400円。その一本一本を池川は決して流れ作業にしない。

「すごくこの一本にいろんなことを考えて打たないと、やっぱりおいしさっていうのは引き出せないっていうふうにすごく感じます。もう本当にこっから勝負っていうか、そこでおいしさが決まってくるんで。」

開店が近づいてきた。閉店までの7時間、池川はぶっ通しで焼き場に立ち続ける。

 

■ 焼き鳥職人 常識外れの“焼き技”

池川の店の基本はお任せ。客の様子やお酒に合わせて、池川が出すものを決めていく。序盤を飾るのはもも肉を使った看板メニュー、かしわ。この一口に池川ならではの技が凝縮されている。

『近火の強火』

焼き鳥は強い火で、火から離して焼くのが常識。ところが池川は炭を高く積み上げ、串を極限まで火に近づけて焼く。10cm程度離すのが常識だが、池川の場合はわずか1cm。350℃を超す高温で表面を素早く焼き、中の旨味を閉じ込める。

「遠火ですと、どうしてもですね、じっくり火入れするので、どんどん火が入っていくと同時に水分が抜けてしまって、ちょっと固めのジューシーでない焼き鳥に仕上がってしまうんですけど、近火で強火で焼き上げて、肉汁が逃げないような形の焼き方がたぶん一番理想な焼き方でないかな。」

だが近火の強火はもろ刃の剣。すぐに黒焦げになるため、高度な技が必要になる。池川は串を絶え間なく返し、さらに置く位置をずらし続けることで、芯まで火を通していく。しかも、近火では中央(約350℃)と端(約200℃)とで温度差が激しいため、焼き加減に差が出やすい。そのため、池川は3つのサイズの肉を使い分ける。端には火の通りやすい小さな肉。中央には大きい肉が来るように串打ちし、全て同じ焼き具合になるように計算してある。そして素材の味を引き出すのに何より大切なのが、串を引き揚げるタイミングだ。最高の瞬間は何時か、肉と対話し、見極める。

「鶏の方から、串の方から、何か言ってもらえる瞬間、「もう焼きすぎだよ」とか、「もう、これ以上焼いたら、僕もう焦げちゃうよ」とか、向こうから声が聞こえた瞬間に、「あっ、今この子たちは、この瞬間上げた方がいいのかな」っていうふうに。」

さらに、それ以外の串にも様々な工夫が施されている。砂肝は表面の変化が乏しいため、火の入り方を目で判断するのは難しい。池川は串を軽く焼き台に当て、その反発度合いから焼き具合を感じ取る。とろけるようなレバーは味が焼き加減で瞬時に変わる。近火の強火で焼くのは至難の業だ。レバーは串を返すと、特に肉がずれやすい。串の先端に反発力のある「ハツ」を刺して止め、かつ正確に中心を射貫かなければ、繊細な焼き加減は実現できない。ぶ厚く串打ちすることでよりジューシーさを引き出した「皮」。更に粗挽きのつくねなど、焼き鳥は20種類以上に及ぶ。営業中、店は常に満席が続く。近火の強火の中、池川は常に串を返し続ける。指は常にやけどの状態。爪は割れて半分の状態になっている。常に言い聞かせていることがある。

『自分は未熟者』

「いいものが出せたなんて、僕は一度も思ったこと、いまだにそうですけど、思ったことは実はないんです。もうちょっとおいしいもの、もっと焼きものっていうか、もう少し焼けるんじゃないかって悩んだりとか、ずっと試行錯誤。戦い続けている日々です。」

深夜1時、修行僧のような池川の顔がやっと緩む。

 

■ 職人が教える 「焼き鳥のおいしい食べ方」

焼き鳥をどうすれば美味しく頂けるか。池川さんに教えてもらった。

おすすめ① 串から外さずに食べる
串から外すと、肉汁が逃げてしまい、肉も冷めてしまうという

おすすめ② 山椒はタレ味につける
甘辛のタレに合うように、粗挽きの華やかな香りのものを使っている

おすすめ③ 七味唐辛子は塩・タレどちらにも

おすすめ④ 大根おろしは皮やぼんじりなどの脂ものに
大根はジアスターゼという消化酵素を含む

 

■ 焼き鳥職人 「浅はかだった」修業時代

閉店後の日課は筋トレ。筋トレしていても頭の片隅から鶏は決して離れない。

「鶏もすごくきれいな形をしているので、やっぱりそういうフォルムになれるように。なれるって言ったら変ですけど。」

池川は休日も焼き鳥のことが頭から離れない。この日は、いつも鶏肉を仕入れている農家に出かけた。焼き鳥に最適な鶏を求めて、農家と積極的な意見交換を行う。

「農家さんが丹精込めて作ったものを、僕ら、やっぱもうちょっとこうしてほしいっていことも、農家さんにも伝えていくってことを使命として。」

まるで何かに追い立てられるように焼き鳥と対峙する池川。焼き鳥との出会いは遠く子供時代にさかのぼる。池川さんは昭和47年、東京の下町、小岩で生まれた。家は決して裕福ではなかった。池川はビンを拾い集めては酒屋に持っていってお小遣いを捻出していた。そしてそのお金でいつも商店街で焼き鳥を買った。

「お金を見ながらですね、自分の買える範囲で、今日だったら3本買えるかなとか、であれば、皮とレバーともも肉買おうとかですね。そのときにも炭の香りっていうか、何か分からないんですけど、なにか自分が、心が豊かになる瞬間だったのかなっていうふうに思います。」

焼き鳥を頬張りながら池川少年は思った。僕はいつか焼き鳥屋さんになるんだ。

ところが、20歳を過ぎ、社会人となった池川。働き始めたのは人材派遣会社だった。まずは社会人経験を積み、休みの日には焼き鳥屋を回り、仕入れ先をゆっくり探そう。そして28歳の時、当代きっての職人と呼ばれる、猪股善人さんに弟子入りした。池川は当初、仕事はすぐに覚えられる、と思っていた。

「そんなに、焼き鳥なんていっても、まあ、串に刺してあるものを、塩を振るか、タレつけて、焼き台に乗っけて色を付けて、「はい、どうぞ」って出せば済むんだなっていう、何かそういう簡単な気持ちがあったんで。」

ノートに店の想像図を書き、2、3年で独立するつもりだった。だが、まず命じられたのは、「追い回し」と呼ばれる雑用係。掃除に皿洗い、そして大根のおろし作業の毎日。鶏肉には触れることさえできない。とにかく焼き場に立って、焼き方さえ覚えてしまえば何とかなる。それまでの辛抱と思い、仕事をこなした。数年後、ようやく焼き場に立てた。しかし、「焼き一生」と言われる世界。火を自在に操って見せると意気込んだが、炭が言うことを聞いてくれない。肉を焦がしてしまうこともしばしばだった。30歳を過ぎてもまだ独立できない。池川は焦り始めた。人生設計がどんどん狂っていく。

そんなある日のことだった。師匠の猪股さんからこう言われた。

「自分を出すな、素直になれ」

目の前にある鶏とある素材をまっすぐに見ろ、と言う意味だった。池川ははっとなった。これまで将来の夢ばかりを考え過ぎていた。鶏ともっと対話しなければいいものが焼けない。

「(鶏に対して)もうちょっと素直になれと。「相手のことを全く考えずにお前、焼いているから、いいものが出せないんだ」っていうふうによく言われて。親方は多分それ見抜いて、僕のそういう浅はかな物の考え方をすべて言って、もう全否定っていうんですかね、今までの考え方。」

 

■ 焼き鳥職人 “鶏”と対話する日々

池川さんは決意した。もう一度ゼロからやり直してみよう。池川は周囲に頼み込んで仕事を分けてもらい、人の倍以上も作業をやった。休憩時間も裸の串を使ってイメージトレーニングを行い、体に動きを覚え込ませた。そして実際に肉を焼くときには、刻一刻と変わる肉の表情を見逃さないように目を凝らし続けた。かつて、店の絵を描いていたノートには、自分の弱さ(強い精神力をつけてやる、絶対にくさるな)を素直に見つめる言葉が並ぶようになっていった。

いつも鶏のことを考え、素材を大切にする。そう心掛けるうちに何かが変わり始めた。

「つくねであったり、レバーであったり、その子たちの性格もいろいろと考え始めて、この子は強火でいっても、もうちょっと火入れても大丈夫だけど、自分がというより、むしろ、その相手の気持ちになった瞬間、少しずつお客さんから、「あっ、先週より何かよくなったんじゃないかな」とか、「つくねのタレの乗り具合が、今日は何か光ってて、ぷっくら見た目でおいしいよね」って。」

そして34歳の時、池川は念願の独立を果たす。路地裏の店にもかかわらず、その味はすぐに評判となり、多くの客が押し掛けるようになった。しかし、この世界に入ってたった16年。日本一予約が取れないお店と言われても、池川はかつてのように気を緩めることはない。

『自分を出すな、素直になれ』

 

■ 焼き鳥職人 無謀な闘いに挑む

1月、池川にある特別な依頼が飛び込んだ。訪ねてきたのは老舗百貨店の催事担当者。東京の一流の店を集めたイベントに出店してほしいという。しかし、難題があった。なんと、炭火専用の排気設備が無く、炭が使えないという。最も大事な炭火を使わずに満足いくものが作れるのか。挑むことの意味すら問われる難しい問題だった。だが、池川はあえて引き受けることにした。

「炭を使わずにして、焼き鳥屋さんっていうものが、何か表現できればいいなっていう。それがお客さんが、おいしいと言っていただけるということと、焼き鳥屋に行ってもらう、その入り口として、何か僕らにできることってないものかなって。」

池川は作る一品をどんぶりものにしようと考えた。どんぶりものは店でも最後に出す一品で、焼き鳥屋らしさを表現できると考えた。そぼろと焼いた肉を乗せたどんぶりをベースに考えていこう。挑戦が始まった。

『焼き鳥屋の一分(いちぶん)』

海上となる百貨店の下見に出かけた。催事の来客見込は1日6000人。池川の店には600人ものお客が押し寄せると見込まれた。焼き鳥という食文化はおいしさと共に手軽さも楽しめるもの。今考えているそぼろと焼いた肉を乗せたどんぶりは手間がかかりすぎる。池川はさらに追い詰められた。

「やはり、来るお客さんが600人とか、それを絶え間なく待たせずに提供するっていう同じクオリティーでっていうことを考えると、かなり一からやり直さないといけないんで。」

三日後、池川は方針を決めた。手の込んだものではなく、店で出すようなシンプルで手間のかからないものにしなければならない。味、見た目、そして時間の要素を高い次元で兼ね備える必要がある。候補として考えたのは、そぼろ丼、キジ丼、親子丼の3つ。それらを試作し、作業時間や味を見る。試食の結果、短時間で出せることも考慮し、親子丼でいくことにした。

しかし、池川は、その後もイベントのメニューを店の片付けの時間、仕込みの時間中も考え続けた。親子丼は決して悪くないメニューだ。しかし、焼き鳥屋らしさがどこまで出せているのか。もっといいものが作れないだろうか。

「チャレンジし続けないと自分が伸びていかない。常に自分たちに負荷かけながら、何が今できるのかっていうことを、いつも自問自答しつつ。可能性をどう追っていくかっていうことが大事なんで、それが止まってしまったら、どんどん、どんどん、やっぱり退化していくので。自分も変化・進化していかないと。」

4日後のことだった。池川にあるアイデアが浮かんだ。きっかけは、卵管と卵を刺した「ちょうちん」という焼き鳥。池川のちょうちんは一般とは違い、レバーを使う。卵との相性が良いからだ。同じ組み合わせで親子丼が作れれば、焼き鳥屋ならではのメニューになるのではないか。試作してみた。レバーを使った親子丼のアイデアは悪くない。しかし、まだ素材の味を十分に引き出せていなかった。今度は普通の親子丼を試作してみる。やはり、素材の味を引き出せているのは正統の親子丼。レバー親子丼はやめることにした。池川は自分の未熟さを素直に認めることにした。

「親子丼って、昔の方がいろいろ考えて、これが作られた。またその方たちが、そこから創意工夫して、定番的なところもあるんですけど。自分のその未熟さも、何かこう痛感して、だから、また次やっぱ繋げて、自分はまだまだなんだなあっていうふうに思いましたし。」

しかしその後、仕込みの間に親子丼を作る池川がいた。中にはレバー。今回のイベントには出さない。だが、新しい親子丼を出すことは決してあきらめない。

「一年後、二年後、また変化して、それが今度定番になって、それがまた何十年たったときに、定番メニューの一つになっていれば、また面白いかなと思うんですよね。失敗して、またそこでなにかこうしたらいいんじゃないかなということが、どんどん見つかっているんで。答えが見つかるまでは、ずっとし続けようかなと。」

焼き鳥職人の道を続けて、いまだ16年。その修行の道ははるか遠い先まで続いている。

プロフェッショナルとは

相手に対して、素直に向き合い、
日々格闘し続ける人。
それがプロフェッショナルだと思います。

——————
プロフェッショナル 仕事の流儀2016年4月11日の番組ホームページはこちら

鳥しき[食べログ]はこちら

鳥しき[ぐるなび]はこちら

→再放送 4月18日(月)午後3時10分~午後3時59分 総合

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己を追い込み、未到の味へ 焼き鳥職人・池川義輝 2016年4月11日 NHK プロフェッショナル 仕事の流儀http://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/f2dde0c815f506d35f39301dbbb486e41-e1428166267398.jpghttp://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/f2dde0c815f506d35f39301dbbb486e41-150x150.jpg小林 友昭TV番組レビュープロフェッショナル,池川義輝,焼き鳥職人,鳥しき■ 予約2か月待ち! 焼き鳥職人 『その一串は“未体験”』 この店の主人はいつもあることを大真面目に考えている。 「俺はどこまで、焼き鳥の気持ちになれているんだ?」 「どれだけ、その1本の串の気持ちになれるか。僕、日焼けするんですけど、日焼けしてて、ある意味、焼き鳥の気分っていうか、自分が串刺されて、焼かれてる気持ちで。きれいにムラが出来ないように、どうしたら焼かなきゃいけないかとか、本当に考えたりとかするんですよ。」 焼き鳥職人、池川義輝(44)。 (番組公式ホームページより) 素材の味を引き出すと言われる究極の技。池川は焼き鳥の世界の最前線を行く。 「追い込まないと、いい焼きってできないと思うんですよね。やけどは日常茶飯事なんで。それでおいしく焼ければ、僕は全然痛いと思わない。」 焼き鳥職人池川は毎日歩いて店に通う。店は車一台ギリギリ通れるかという細い路地裏にある。広さは11坪、カウンター17席のみ。池川と妻、そして2人の弟子で切り盛りしている。シンプルな料理である焼き鳥。素材の味を引き出すには、ひとつひとつの工程を突き詰めなければならない。まずとりかかるのは鳥を丸ごと捌く作業。丸鶏は扱いが難しく、鳥専門の資格がないと捌くことができない。焼き鳥専門店でもその資格を持っている者は少ないという。 鶏はほぼ食べられないところはない。すでに捌かれた鶏ではなく、丸鶏を仕入れるのには訳がある。内蔵を見て鶏の健康状態をチェックするためだ。 「通常ですと、ここ(レバー)がダラーンとなっているんですけど、このエッジが効いているっていうのが非常に健康であるっていう証拠の一つですね。これで鶏の健康状態を、僕はバロメーターのひとつとして見ています。」 捌いた肉の切り分け。池川は一般より大きめにカットする。鶏のジューシーさをより感じてもらうのが狙いだ。そして仕込みで最も難しいのが串打ち。 「焼き鳥で一番大切なのは串打ちなんですよね。」 鶏肉は繊細だ。串打ち三年と言われ、手で持っている時間が長くなると、味が大きく落ちる。しかも正しく打てなければ肉がずれ動き、焼き加減に狂いが生じる。池川は肉を持つや否や、どう串を打つか瞬時に判断していく。 「少しこっちに片寄ってる場合は、こう縫って中心に持ってきてと。」 1本、200円~400円。その一本一本を池川は決して流れ作業にしない。 「すごくこの一本にいろんなことを考えて打たないと、やっぱりおいしさっていうのは引き出せないっていうふうにすごく感じます。もう本当にこっから勝負っていうか、そこでおいしさが決まってくるんで。」 開店が近づいてきた。閉店までの7時間、池川はぶっ通しで焼き場に立ち続ける。   ■ 焼き鳥職人 常識外れの“焼き技” 池川の店の基本はお任せ。客の様子やお酒に合わせて、池川が出すものを決めていく。序盤を飾るのはもも肉を使った看板メニュー、かしわ。この一口に池川ならではの技が凝縮されている。 『近火の強火』 焼き鳥は強い火で、火から離して焼くのが常識。ところが池川は炭を高く積み上げ、串を極限まで火に近づけて焼く。10cm程度離すのが常識だが、池川の場合はわずか1cm。350℃を超す高温で表面を素早く焼き、中の旨味を閉じ込める。 「遠火ですと、どうしてもですね、じっくり火入れするので、どんどん火が入っていくと同時に水分が抜けてしまって、ちょっと固めのジューシーでない焼き鳥に仕上がってしまうんですけど、近火で強火で焼き上げて、肉汁が逃げないような形の焼き方がたぶん一番理想な焼き方でないかな。」 だが近火の強火はもろ刃の剣。すぐに黒焦げになるため、高度な技が必要になる。池川は串を絶え間なく返し、さらに置く位置をずらし続けることで、芯まで火を通していく。しかも、近火では中央(約350℃)と端(約200℃)とで温度差が激しいため、焼き加減に差が出やすい。そのため、池川は3つのサイズの肉を使い分ける。端には火の通りやすい小さな肉。中央には大きい肉が来るように串打ちし、全て同じ焼き具合になるように計算してある。そして素材の味を引き出すのに何より大切なのが、串を引き揚げるタイミングだ。最高の瞬間は何時か、肉と対話し、見極める。 「鶏の方から、串の方から、何か言ってもらえる瞬間、「もう焼きすぎだよ」とか、「もう、これ以上焼いたら、僕もう焦げちゃうよ」とか、向こうから声が聞こえた瞬間に、「あっ、今この子たちは、この瞬間上げた方がいいのかな」っていうふうに。」 さらに、それ以外の串にも様々な工夫が施されている。砂肝は表面の変化が乏しいため、火の入り方を目で判断するのは難しい。池川は串を軽く焼き台に当て、その反発度合いから焼き具合を感じ取る。とろけるようなレバーは味が焼き加減で瞬時に変わる。近火の強火で焼くのは至難の業だ。レバーは串を返すと、特に肉がずれやすい。串の先端に反発力のある「ハツ」を刺して止め、かつ正確に中心を射貫かなければ、繊細な焼き加減は実現できない。ぶ厚く串打ちすることでよりジューシーさを引き出した「皮」。更に粗挽きのつくねなど、焼き鳥は20種類以上に及ぶ。営業中、店は常に満席が続く。近火の強火の中、池川は常に串を返し続ける。指は常にやけどの状態。爪は割れて半分の状態になっている。常に言い聞かせていることがある。 『自分は未熟者』 「いいものが出せたなんて、僕は一度も思ったこと、いまだにそうですけど、思ったことは実はないんです。もうちょっとおいしいもの、もっと焼きものっていうか、もう少し焼けるんじゃないかって悩んだりとか、ずっと試行錯誤。戦い続けている日々です。」 深夜1時、修行僧のような池川の顔がやっと緩む。   ■ 職人が教える 「焼き鳥のおいしい食べ方」 焼き鳥をどうすれば美味しく頂けるか。池川さんに教えてもらった。 おすすめ① 串から外さずに食べる 串から外すと、肉汁が逃げてしまい、肉も冷めてしまうという おすすめ② 山椒はタレ味につける 甘辛のタレに合うように、粗挽きの華やかな香りのものを使っている おすすめ③ 七味唐辛子は塩・タレどちらにも おすすめ④ 大根おろしは皮やぼんじりなどの脂ものに 大根はジアスターゼという消化酵素を含む   ■ 焼き鳥職人 「浅はかだった」修業時代 閉店後の日課は筋トレ。筋トレしていても頭の片隅から鶏は決して離れない。 「鶏もすごくきれいな形をしているので、やっぱりそういうフォルムになれるように。なれるって言ったら変ですけど。」 池川は休日も焼き鳥のことが頭から離れない。この日は、いつも鶏肉を仕入れている農家に出かけた。焼き鳥に最適な鶏を求めて、農家と積極的な意見交換を行う。 「農家さんが丹精込めて作ったものを、僕ら、やっぱもうちょっとこうしてほしいっていことも、農家さんにも伝えていくってことを使命として。」 まるで何かに追い立てられるように焼き鳥と対峙する池川。焼き鳥との出会いは遠く子供時代にさかのぼる。池川さんは昭和47年、東京の下町、小岩で生まれた。家は決して裕福ではなかった。池川はビンを拾い集めては酒屋に持っていってお小遣いを捻出していた。そしてそのお金でいつも商店街で焼き鳥を買った。 「お金を見ながらですね、自分の買える範囲で、今日だったら3本買えるかなとか、であれば、皮とレバーともも肉買おうとかですね。そのときにも炭の香りっていうか、何か分からないんですけど、なにか自分が、心が豊かになる瞬間だったのかなっていうふうに思います。」 焼き鳥を頬張りながら池川少年は思った。僕はいつか焼き鳥屋さんになるんだ。 ところが、20歳を過ぎ、社会人となった池川。働き始めたのは人材派遣会社だった。まずは社会人経験を積み、休みの日には焼き鳥屋を回り、仕入れ先をゆっくり探そう。そして28歳の時、当代きっての職人と呼ばれる、猪股善人さんに弟子入りした。池川は当初、仕事はすぐに覚えられる、と思っていた。 「そんなに、焼き鳥なんていっても、まあ、串に刺してあるものを、塩を振るか、タレつけて、焼き台に乗っけて色を付けて、「はい、どうぞ」って出せば済むんだなっていう、何かそういう簡単な気持ちがあったんで。」 ノートに店の想像図を書き、2、3年で独立するつもりだった。だが、まず命じられたのは、「追い回し」と呼ばれる雑用係。掃除に皿洗い、そして大根のおろし作業の毎日。鶏肉には触れることさえできない。とにかく焼き場に立って、焼き方さえ覚えてしまえば何とかなる。それまでの辛抱と思い、仕事をこなした。数年後、ようやく焼き場に立てた。しかし、「焼き一生」と言われる世界。火を自在に操って見せると意気込んだが、炭が言うことを聞いてくれない。肉を焦がしてしまうこともしばしばだった。30歳を過ぎてもまだ独立できない。池川は焦り始めた。人生設計がどんどん狂っていく。 そんなある日のことだった。師匠の猪股さんからこう言われた。 「自分を出すな、素直になれ」 目の前にある鶏とある素材をまっすぐに見ろ、と言う意味だった。池川ははっとなった。これまで将来の夢ばかりを考え過ぎていた。鶏ともっと対話しなければいいものが焼けない。 「(鶏に対して)もうちょっと素直になれと。「相手のことを全く考えずにお前、焼いているから、いいものが出せないんだ」っていうふうによく言われて。親方は多分それ見抜いて、僕のそういう浅はかな物の考え方をすべて言って、もう全否定っていうんですかね、今までの考え方。」   ■ 焼き鳥職人 “鶏”と対話する日々 池川さんは決意した。もう一度ゼロからやり直してみよう。池川は周囲に頼み込んで仕事を分けてもらい、人の倍以上も作業をやった。休憩時間も裸の串を使ってイメージトレーニングを行い、体に動きを覚え込ませた。そして実際に肉を焼くときには、刻一刻と変わる肉の表情を見逃さないように目を凝らし続けた。かつて、店の絵を描いていたノートには、自分の弱さ(強い精神力をつけてやる、絶対にくさるな)を素直に見つめる言葉が並ぶようになっていった。 いつも鶏のことを考え、素材を大切にする。そう心掛けるうちに何かが変わり始めた。 「つくねであったり、レバーであったり、その子たちの性格もいろいろと考え始めて、この子は強火でいっても、もうちょっと火入れても大丈夫だけど、自分がというより、むしろ、その相手の気持ちになった瞬間、少しずつお客さんから、「あっ、先週より何かよくなったんじゃないかな」とか、「つくねのタレの乗り具合が、今日は何か光ってて、ぷっくら見た目でおいしいよね」って。」 そして34歳の時、池川は念願の独立を果たす。路地裏の店にもかかわらず、その味はすぐに評判となり、多くの客が押し掛けるようになった。しかし、この世界に入ってたった16年。日本一予約が取れないお店と言われても、池川はかつてのように気を緩めることはない。 『自分を出すな、素直になれ』   ■ 焼き鳥職人 無謀な闘いに挑む 1月、池川にある特別な依頼が飛び込んだ。訪ねてきたのは老舗百貨店の催事担当者。東京の一流の店を集めたイベントに出店してほしいという。しかし、難題があった。なんと、炭火専用の排気設備が無く、炭が使えないという。最も大事な炭火を使わずに満足いくものが作れるのか。挑むことの意味すら問われる難しい問題だった。だが、池川はあえて引き受けることにした。 「炭を使わずにして、焼き鳥屋さんっていうものが、何か表現できればいいなっていう。それがお客さんが、おいしいと言っていただけるということと、焼き鳥屋に行ってもらう、その入り口として、何か僕らにできることってないものかなって。」 池川は作る一品をどんぶりものにしようと考えた。どんぶりものは店でも最後に出す一品で、焼き鳥屋らしさを表現できると考えた。そぼろと焼いた肉を乗せたどんぶりをベースに考えていこう。挑戦が始まった。 『焼き鳥屋の一分(いちぶん)』 海上となる百貨店の下見に出かけた。催事の来客見込は1日6000人。池川の店には600人ものお客が押し寄せると見込まれた。焼き鳥という食文化はおいしさと共に手軽さも楽しめるもの。今考えているそぼろと焼いた肉を乗せたどんぶりは手間がかかりすぎる。池川はさらに追い詰められた。 「やはり、来るお客さんが600人とか、それを絶え間なく待たせずに提供するっていう同じクオリティーでっていうことを考えると、かなり一からやり直さないといけないんで。」 三日後、池川は方針を決めた。手の込んだものではなく、店で出すようなシンプルで手間のかからないものにしなければならない。味、見た目、そして時間の要素を高い次元で兼ね備える必要がある。候補として考えたのは、そぼろ丼、キジ丼、親子丼の3つ。それらを試作し、作業時間や味を見る。試食の結果、短時間で出せることも考慮し、親子丼でいくことにした。 しかし、池川は、その後もイベントのメニューを店の片付けの時間、仕込みの時間中も考え続けた。親子丼は決して悪くないメニューだ。しかし、焼き鳥屋らしさがどこまで出せているのか。もっといいものが作れないだろうか。 「チャレンジし続けないと自分が伸びていかない。常に自分たちに負荷かけながら、何が今できるのかっていうことを、いつも自問自答しつつ。可能性をどう追っていくかっていうことが大事なんで、それが止まってしまったら、どんどん、どんどん、やっぱり退化していくので。自分も変化・進化していかないと。」 4日後のことだった。池川にあるアイデアが浮かんだ。きっかけは、卵管と卵を刺した「ちょうちん」という焼き鳥。池川のちょうちんは一般とは違い、レバーを使う。卵との相性が良いからだ。同じ組み合わせで親子丼が作れれば、焼き鳥屋ならではのメニューになるのではないか。試作してみた。レバーを使った親子丼のアイデアは悪くない。しかし、まだ素材の味を十分に引き出せていなかった。今度は普通の親子丼を試作してみる。やはり、素材の味を引き出せているのは正統の親子丼。レバー親子丼はやめることにした。池川は自分の未熟さを素直に認めることにした。 「親子丼って、昔の方がいろいろ考えて、これが作られた。またその方たちが、そこから創意工夫して、定番的なところもあるんですけど。自分のその未熟さも、何かこう痛感して、だから、また次やっぱ繋げて、自分はまだまだなんだなあっていうふうに思いましたし。」 しかしその後、仕込みの間に親子丼を作る池川がいた。中にはレバー。今回のイベントには出さない。だが、新しい親子丼を出すことは決してあきらめない。 「一年後、二年後、また変化して、それが今度定番になって、それがまた何十年たったときに、定番メニューの一つになっていれば、また面白いかなと思うんですよね。失敗して、またそこでなにかこうしたらいいんじゃないかなということが、どんどん見つかっているんで。答えが見つかるまでは、ずっとし続けようかなと。」 焼き鳥職人の道を続けて、いまだ16年。その修行の道ははるか遠い先まで続いている。 プロフェッショナルとは 相手に対して、素直に向き合い、 日々格闘し続ける人。 それがプロフェッショナルだと思います。 —————— プロフェッショナル 仕事の流儀2016年4月11日の番組ホームページはこちら 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