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■ 人を育てるヒントがここに 63歳 スゴ腕保育士

コンサルタントのつぶやき_アイキャッチ

今日は、人を育てるプロ、保育士さんのお話し。子育てだけでなく、人材育成や人間関係をよくするヒントが満載です。

子供より元気な63歳、保育士・野島千恵子さん。かわいいニックネームを持つ。チェリーボンボン。

20160620_野島千恵子_プロフェッショナル

番組公式ホームページより)

40年間、3000人の子どもと真剣にぶつかってきた。野島はその育成法でコミュニケーションなど、社会的能力を伸ばすと注目を集めている。人は必ず成長できる。100人の子どもと真剣に向き合った記録。仕事場は、保育所と幼稚園、両方の機能を持つ「認定こども園」という施設。0歳から5歳までの160人の子どもが通う大きな園だ。50人の保育士(プラス、ヘルパー50人)が朝6時半から午後12時までつきっきりで対応する。

インクルーシブ保育。年齢だけでなく、障害や病気があってもごちゃまぜにして育てる先進的なやり方だ。まず、5歳児をリーダーにして7人から8人のグループを作る。そして子どもたち同士で助け合わせ、トイレなどの生活習慣を身に着けさせる。野島は極力手を出さず、自分たちで考えるよう促す。30年以上前から実践してきた手法だ。ひとつの信念がある。

『人の中で、人は育つ』

「何もかも(大人に)やってもらってばっかりっていうのではないと思う。考えられると思うので、子どもは。そう信じているので、かなり任せている部分があると思います。そのことを大人は見守っているので。」

あえて意見がぶつかりそうな課題を与えて、相手を尊重できる力を身に着けさせる。野島は足りない所を巧みにフォローし、考える力を引き出していく。問題が起きてもああしろこうしろと指示はしない。疑問を投げかけることで考えるように仕向けていく。5歳児は年下の仲間のために力を尽くすことで大きく成長する。3歳児と4歳児はそうした5歳児の姿を見て成長するという。

「子どもはね、ほかの子どもを教材として学んでいってると思うんですよ。人は人に影響されて自分の価値観も大切なこともみんな周りのいろんな価値観があるなと思いながら、自分で作っていくもんやというふうに思っているので。初めから何もかも全部あるわけじゃないので。やっぱり人に影響されながら、自分なりのこれがいいんちがうかなっていうのを、つくっていけるんちがうかなと。」

年齢や能力をバラバラの子どもたちを一緒に保育するとトラブルも起きやすい。トラブルこそ成長のチャンスと考える野島。この機を逃さず丹念にトラブルの理由を聞く。そしてとるべき行動を繰り返し伝える。

『育つ瞬間を、逃さない』

子どもに伝わるまで野島は決してあきらめない。

「ちゃんとやっぱりこれっていうときに、本人がコトンと落ちるまで言い続けるんです。何回も何回もその瞬間を見逃さないで、何回もすることによって、「これ、あかんねんな」というのは知っていきやるから。どっちが根負けするかですよね。」

 

■ 63歳保育士と100人の子ども 笑いと涙のドラマ

新学期が始まってから1ヶ月が過ぎ、ある問題が起こっていた。5歳児たちがまだ4歳の気分が抜けず、下の子たちを引っ張っていけない。子ども対大人の宝探しゲームで、わざと子どもたちの間にトラブルを起こさせ、5歳児たちの自覚を促す。

「人間ってひとつの塊じゃないから、いろんな面持ってるから、いろんな面を他の子も知っていくっていうかね。大人の世界でもそうですよ。もうこの人こういう人って決め付けたら、なかなかやっぱコンタクトとろうとしないじゃないですか。でも子どものできるだけ柔軟な間にいろんな見方できるほうが、大人になってからも生きやすいんちがうかなと思いますけどね。」

子どもたちにとってここは社会そのもの。人は、人の中でゆっくりと成長していく。

 

■ 2度のがん、夫の死… スゴ腕保育士 不屈の人生

野島さんは10年前に夫に先立たれ一人暮らし。孫と息子が暮らす家を週末に尋ねるのが楽しみのひとつだ。2度の大病。夫の死。この40年は決して楽な道のりではなかった。この道に進んだ理由は簡単だった。優しい幼稚園の担任の先生(古田先生)に憧れたからだ。給食を食べるのが遅い自分をずっと待ってくれ、取り柄もないのに発表会で花形の太鼓を打たせてくれた。

「普通、できてる子が大事にされるっていうのはあると思うねんけど。自分でもできへん子やなっていうのは分かっているけど、それをも受け入れてくれる人やなって。」

そんな先生になりたいと野島さんは二十歳で幼稚園に就職。教育熱心な先生とすぐに保護者の信頼を集めていった。4年後、転機が訪れる。第2次ベビーブームで子どもの受け入れ先が不足。野島さんの幼稚園は保育園に衣替えし、障害児も受け入れることになった。最初は障害のある児を個別に保育していたが、野島さんはあることが気になった。障害児たちをほかの子どもたちが特別視していた。どうすれば子どもたちの心が変わるのか。新たな保育方法を模索し始めた。頭に浮かんだのは自分の幼いころの経験。かつては、年齢も体格も違う子どもたちと、路地裏で一緒に遊んでいた。ぶつかり、ケンカし合いながらも人を思いやる心を育んできたはずだ。

『子どもの中で、子どもは育つ』

野島さんは、障害のある子や年齢の違う子たちを一緒のグループに入れ、行動を共にさせた。しかし、成長に差がある子どもたちは、なかなかまとまらず、ケンカやトラブルが頻発。しかも、一部の親からは、発育が遅れるので年齢別に子どもを分けて保育してほしいとクレームが来た。それでも野島さんは子どもの力を信じて貫いた。

「大人がこう教え諭すもんじゃなくて、自分らの力で、子どもらに伝えていくっていう。大人が介入せんでも子どもらはそういう力を持っているよっていう。」

 

■ 2度のがん乗り越え 活躍 63歳 スゴ腕保育士

それから10年後、38歳の野島さんを異変が襲った。子宮癌だった。2か月の入院。でも志半ばで止めるわけにはいかないと、退院後半年で復帰。後遺症など発熱に悩まされながらも子どもらに向き合った。その後も、野島さんは何度も苦境に立たされても立ち上がった。53歳で夫に先立たれても、61歳で再び癌になってしまっても。子どもの前に笑顔で立ち、一緒に保育を続けた。そして今、野島さんが進めてきた方法は、世界でも同じように行われ、「インクルーシブ保育」と呼ばれている。大学や他の保育所から視察が相次ぎ、全国各地に広がっている。

 

■ 保育の問題に次々と対策 63歳 スゴ腕保育士

野島が気になる子がいる。自分の思うままに行動し、時たま人の嫌がることをしてしまう。幼い子が自分の欲求だけに従ってしまうことはよくある。だが、4歳になった今、人を思いやり、集団で生きる力を養ってほしいと野島は思っていた。両親もどうすれば思いやりのある子に育つのか悩んでいた。まだ4歳の4月。野島はまだ変われると信じていた。

頼まれれば頑張るという長所を子どもたちから聞きだし、3歳児の面倒を見るようにした。年下の子の面倒を見るには、自分の欲求を抑えて、相手に合わせる必要がある。4歳児には少し難しい課題だ。

更に仕掛ける。汽車ごっごの先頭を任せてみた。後ろにつながる子のペースも考えてスピードを調整する必要がある。なかなか、ルール通りに動くことができない。しかしあきらめない。子どもたちで話し合いを続けさせる。

『子どもの中で、子どもは育つ』

何度もトライし、ようやく一度も乱れることなくゴールすることができた。

楽しい時に笑い合い、つらい時に励まし合う。一歩ずつ成長していく。

プロフェッショナルとは、

先のことは誰にもわからないじゃないですか。
でも今日とは違う、
また成長した自分が明日にはきっとあるというふうに、
強くこう信じられる人のことじゃないかと思います。

——————
プロフェッショナル 仕事の流儀2016年6月20日の番組ホームページはこちら

幼保連携型認定こども園 聖愛園のホームページです – 路交館へようこそ!!

→再放送 6月27日(月)午後3時10分~午後3時59分 総合

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人生で大事なものは、ここにある 保育士・野島千恵子 2016年6月20日 NHK プロフェッショナル 仕事の流儀http://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/f2dde0c815f506d35f39301dbbb486e4.jpghttp://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/f2dde0c815f506d35f39301dbbb486e4-150x150.jpg小林 友昭TV番組レビューインクルーシブ保育,プロフェッショナル,保育士,聖愛園,野島千恵子■ 人を育てるヒントがここに 63歳 スゴ腕保育士 今日は、人を育てるプロ、保育士さんのお話し。子育てだけでなく、人材育成や人間関係をよくするヒントが満載です。 子供より元気な63歳、保育士・野島千恵子さん。かわいいニックネームを持つ。チェリーボンボン。 (番組公式ホームページより) 40年間、3000人の子どもと真剣にぶつかってきた。野島はその育成法でコミュニケーションなど、社会的能力を伸ばすと注目を集めている。人は必ず成長できる。100人の子どもと真剣に向き合った記録。仕事場は、保育所と幼稚園、両方の機能を持つ「認定こども園」という施設。0歳から5歳までの160人の子どもが通う大きな園だ。50人の保育士(プラス、ヘルパー50人)が朝6時半から午後12時までつきっきりで対応する。 インクルーシブ保育。年齢だけでなく、障害や病気があってもごちゃまぜにして育てる先進的なやり方だ。まず、5歳児をリーダーにして7人から8人のグループを作る。そして子どもたち同士で助け合わせ、トイレなどの生活習慣を身に着けさせる。野島は極力手を出さず、自分たちで考えるよう促す。30年以上前から実践してきた手法だ。ひとつの信念がある。 『人の中で、人は育つ』 「何もかも(大人に)やってもらってばっかりっていうのではないと思う。考えられると思うので、子どもは。そう信じているので、かなり任せている部分があると思います。そのことを大人は見守っているので。」 あえて意見がぶつかりそうな課題を与えて、相手を尊重できる力を身に着けさせる。野島は足りない所を巧みにフォローし、考える力を引き出していく。問題が起きてもああしろこうしろと指示はしない。疑問を投げかけることで考えるように仕向けていく。5歳児は年下の仲間のために力を尽くすことで大きく成長する。3歳児と4歳児はそうした5歳児の姿を見て成長するという。 「子どもはね、ほかの子どもを教材として学んでいってると思うんですよ。人は人に影響されて自分の価値観も大切なこともみんな周りのいろんな価値観があるなと思いながら、自分で作っていくもんやというふうに思っているので。初めから何もかも全部あるわけじゃないので。やっぱり人に影響されながら、自分なりのこれがいいんちがうかなっていうのを、つくっていけるんちがうかなと。」 年齢や能力をバラバラの子どもたちを一緒に保育するとトラブルも起きやすい。トラブルこそ成長のチャンスと考える野島。この機を逃さず丹念にトラブルの理由を聞く。そしてとるべき行動を繰り返し伝える。 『育つ瞬間を、逃さない』 子どもに伝わるまで野島は決してあきらめない。 「ちゃんとやっぱりこれっていうときに、本人がコトンと落ちるまで言い続けるんです。何回も何回もその瞬間を見逃さないで、何回もすることによって、「これ、あかんねんな」というのは知っていきやるから。どっちが根負けするかですよね。」   ■ 63歳保育士と100人の子ども 笑いと涙のドラマ 新学期が始まってから1ヶ月が過ぎ、ある問題が起こっていた。5歳児たちがまだ4歳の気分が抜けず、下の子たちを引っ張っていけない。子ども対大人の宝探しゲームで、わざと子どもたちの間にトラブルを起こさせ、5歳児たちの自覚を促す。 「人間ってひとつの塊じゃないから、いろんな面持ってるから、いろんな面を他の子も知っていくっていうかね。大人の世界でもそうですよ。もうこの人こういう人って決め付けたら、なかなかやっぱコンタクトとろうとしないじゃないですか。でも子どものできるだけ柔軟な間にいろんな見方できるほうが、大人になってからも生きやすいんちがうかなと思いますけどね。」 子どもたちにとってここは社会そのもの。人は、人の中でゆっくりと成長していく。   ■ 2度のがん、夫の死… スゴ腕保育士 不屈の人生 野島さんは10年前に夫に先立たれ一人暮らし。孫と息子が暮らす家を週末に尋ねるのが楽しみのひとつだ。2度の大病。夫の死。この40年は決して楽な道のりではなかった。この道に進んだ理由は簡単だった。優しい幼稚園の担任の先生(古田先生)に憧れたからだ。給食を食べるのが遅い自分をずっと待ってくれ、取り柄もないのに発表会で花形の太鼓を打たせてくれた。 「普通、できてる子が大事にされるっていうのはあると思うねんけど。自分でもできへん子やなっていうのは分かっているけど、それをも受け入れてくれる人やなって。」 そんな先生になりたいと野島さんは二十歳で幼稚園に就職。教育熱心な先生とすぐに保護者の信頼を集めていった。4年後、転機が訪れる。第2次ベビーブームで子どもの受け入れ先が不足。野島さんの幼稚園は保育園に衣替えし、障害児も受け入れることになった。最初は障害のある児を個別に保育していたが、野島さんはあることが気になった。障害児たちをほかの子どもたちが特別視していた。どうすれば子どもたちの心が変わるのか。新たな保育方法を模索し始めた。頭に浮かんだのは自分の幼いころの経験。かつては、年齢も体格も違う子どもたちと、路地裏で一緒に遊んでいた。ぶつかり、ケンカし合いながらも人を思いやる心を育んできたはずだ。 『子どもの中で、子どもは育つ』 野島さんは、障害のある子や年齢の違う子たちを一緒のグループに入れ、行動を共にさせた。しかし、成長に差がある子どもたちは、なかなかまとまらず、ケンカやトラブルが頻発。しかも、一部の親からは、発育が遅れるので年齢別に子どもを分けて保育してほしいとクレームが来た。それでも野島さんは子どもの力を信じて貫いた。 「大人がこう教え諭すもんじゃなくて、自分らの力で、子どもらに伝えていくっていう。大人が介入せんでも子どもらはそういう力を持っているよっていう。」   ■ 2度のがん乗り越え 活躍 63歳 スゴ腕保育士 それから10年後、38歳の野島さんを異変が襲った。子宮癌だった。2か月の入院。でも志半ばで止めるわけにはいかないと、退院後半年で復帰。後遺症など発熱に悩まされながらも子どもらに向き合った。その後も、野島さんは何度も苦境に立たされても立ち上がった。53歳で夫に先立たれても、61歳で再び癌になってしまっても。子どもの前に笑顔で立ち、一緒に保育を続けた。そして今、野島さんが進めてきた方法は、世界でも同じように行われ、「インクルーシブ保育」と呼ばれている。大学や他の保育所から視察が相次ぎ、全国各地に広がっている。   ■ 保育の問題に次々と対策 63歳 スゴ腕保育士 野島が気になる子がいる。自分の思うままに行動し、時たま人の嫌がることをしてしまう。幼い子が自分の欲求だけに従ってしまうことはよくある。だが、4歳になった今、人を思いやり、集団で生きる力を養ってほしいと野島は思っていた。両親もどうすれば思いやりのある子に育つのか悩んでいた。まだ4歳の4月。野島はまだ変われると信じていた。 頼まれれば頑張るという長所を子どもたちから聞きだし、3歳児の面倒を見るようにした。年下の子の面倒を見るには、自分の欲求を抑えて、相手に合わせる必要がある。4歳児には少し難しい課題だ。 更に仕掛ける。汽車ごっごの先頭を任せてみた。後ろにつながる子のペースも考えてスピードを調整する必要がある。なかなか、ルール通りに動くことができない。しかしあきらめない。子どもたちで話し合いを続けさせる。 『子どもの中で、子どもは育つ』 何度もトライし、ようやく一度も乱れることなくゴールすることができた。 楽しい時に笑い合い、つらい時に励まし合う。一歩ずつ成長していく。 プロフェッショナルとは、 先のことは誰にもわからないじゃないですか。 でも今日とは違う、 また成長した自分が明日にはきっとあるというふうに、 強くこう信じられる人のことじゃないかと思います。 —————— プロフェッショナル 仕事の流儀2016年6月20日の番組ホームページはこちら 幼保連携型認定こども園 聖愛園のホームページです - 路交館へようこそ!! →再放送 6月27日(月)午後3時10分~午後3時59分 総合現役の経営コンサルタントが管理会計をテーマに情報発信します