パブロ・ピカソ(1)私は捜し求めない。見出すのだ

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■ 考えるな、感じるんだ!

I do not seek, I find.

私は捜し求めない。見出すのだ。

20170821_パブロ・ピカソ

(スペイン出身の画家、彫刻家 / 1881~1973)
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私は、仕事柄、企画やアイデアを絞り出す役目を果たさなければならないことが多々あります。頭を捻って、うんうん唸りながら、思い詰めて、吐き気で毎朝、トイレに駆け込むこともあります。しかし、理路整然と理詰めで考えたアイデアは大抵、何かのどこかの「焼き直し」に過ぎません。いつか見たものの応用に過ぎない、ということです。

当然、私は、ひらめきや思いつきがいとも簡単に得られる天才などでは決してない(ことをきちんと自覚しています)ので、乾ききった雑巾をさらに絞るように、頭と胃を痛めながら、文字通り体を酷使して、アイデアを絞り出します。まるで、歯磨き粉のチューブをさらに丸めて、最後の一回を求めるように!

そのように苦悶を続けていると、ぼんやりとビジョンが頭の中に現われるのです。それはイメージ、何かに気付いた、という感覚のものです。最初に答え(アイデア)が出てしまうのです。その後から、どうしてその答え(アイデア)が今回の問いに対して、適切かどうかの、解説を考え始めます。なぜなら、職業柄、思いついたひらめきは、誰かに何かをさせなければならない性質のものなので、そのひらめきを実行するためには必ず誰かを説得する必要があるからです。

悶々と悩む → ひらめき → 後講釈を考える → より洗練された実行プランに練り上がる

こういう思考の道筋で、企画ものを片付けるようにしています。

私は、「直観」というものの存在を知っています。それは、無意識の中で見つけた当然の理(ことわり)で、自分だけが正しいと思えるものです。仕事として、それを他の人と共有する必要があるので、どうしても言語で表現し、意味を共有する必要があります。「直観」はその人の脳内にしか生息できないものなので、本来的に、他人と共有できる代物ではありません。

他人に論理的に説明できないものは正しくない、と断言する人もいます。そういう人は、自分の左脳で考えたロジックでしか物事を判断できない、または、それで用が足りてきた人生しか送ってきていない人です。自分のギリギリの所で勝負している人は、必ず、他人に説明できない「直観」をたくさん持っているはず。

ただ、他人と共有するために、左脳(言語野)を使って、図形(記号)や文章の形を借りて、疑似的な代物を共有するだけのことなのです。

冒頭の言葉は、適切には、「考え抜け。その後に、感じるものが登場する。それが正答だ!」

見えます、見えます。(占い師風)

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