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(あすへの話題)2017.5.1 いぶし銀の実力 アサヒグループホールディングス会長 泉谷直木 ‐ 人格主義とリーダシップ

新聞記事・コラム
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■ 人格主義とリーダーシップ論

改めて、大企業のトップマネジメントを務められた方の中には、人格主義者が多いことに驚かされます。

経営とスポーツと分野は違いますが、「人格」「人間性」を高めることが「気づき」を生み、「気づき」がその人の周囲への気遣いを生む。チームスポーツも組織経営も、指導者としての個人の力量は当然あるものとして、その上で集団を構成する個々のメンバへの気遣いを配れるヒトが自然淘汰的にリーダーの地位に押し上げられるのだと思います(本人の自由意思とは違っても)。

⇒「(サッカー人として)三浦知良 人間性を高めること 2017年4月14日 日本経済新聞朝刊より

経営学で教えられる「リーダーシップ論」においても、「仕事軸」:リーダー個人の力量と、「人間軸」:人間関係志向とのバランスで語られることが多く、論者によって整理法やアプローチは様々なものの、「人間」「共感」「協働」「他者への関心」が取り上げられていることは、小手先のスキルだけを磨いているヒトには大変な警鐘となると考えています。
(以前の筆者も、いわゆる職人気質で自分の技だけを磨くことに専念していた時代が長く続いていました)(^^;)

⇒「職人気質と商魂(1)あなたのワークスタイルはどっちですか?」

ということで、今回は、そういう視点で日本経済新聞夕刊を眺めていて、鮮烈に目に飛び込んできたトップマネジメントの「人格主義」「人間主義」的な珠玉のお言葉のご紹介になります。

 

■ 「経営」の語源から、現代の経営を語ってみる!

2017/5/1付 |日本経済新聞|夕刊 (あすへの話題)いぶし銀の実力 アサヒグループホールディングス会長 泉谷直木

「「経営」という言葉は古くは「太平記」に登場する。ひたすらどうすれば極楽に行けるかを考える、忙しく走り回り他人の世話や用事をする、創意工夫をして事を為すとの意味で使われていたようだ。」

(注)日本経済新聞の記事へ直接リンクを貼ることは同社が禁じています。お手数ですが、一旦上記リンクで同社TOPページに飛んでいただき、上記リード文を検索すればお目当ての記事までたどり着くことができます

「経営」も漢語なので、更に語源は古代中国にあると考え、失礼とは思いましたが、その先をちょっと調べてみました。

「経之営之=これを経しこれを営す」〔詩経・大雅・霊台〕

紀元前八世紀、周の国の詩人が謳ったものにぶつかりました。

「経」という文字の意味は、「まっすぐにとおった織物の縦糸」
「営」はもともと「營」と書いて、上部は「炎」が周囲をとり巻くこと。下部の「宮」(連なった建物の略体)と組み合わさって、周囲をたいまつでとり巻いた陣屋に棲むこと

「経」は、土木工事や建築に取りかかる際に、まず杭を立て、その間に縄をピーンと張り、削る所や掘る部分、支柱の位置などの予定をつけること。何かをなし遂げるために、基準となるモノを与える行為を意味します。

「営」とは、工事の初めに、外枠に縄を張りめぐらして杭を打ち込み、全体の大きさ、規模を定めること。自他の生存領域の境を明確にすることで、現代ビジネスに照らして考えると、事業領域(ドメイン)や業種業態、ターゲット市場の選定といったところでしょうか。

つまり、「経営」とは、これから成し遂げるもの・こと(エンタープライズ)に対して、方向をきっちり定め、生存領域(レーゾンデートル)を見極める行為といえます。

 

■ 出世の階段を駆け上った泉谷さんのその時その時の言葉を噛みしめる!

泉谷さんは、階段を一段ずつ上がる努力が大事と悟られ、そのステップステップで大事にしていたお言葉を私たちに披露して下さっています。

(1)執行役員「沈黙を聞け」
「指示命令で部下を説得するのではなく主体的に考えさせよ。その時に生じる沈黙を聞く謙虚さと我慢強さを身に付けよ。」

(2)取締役「気を掴(つか)み気を動かせ」
「取締役は会社全体を見る立場であり組織の気を注視せよ。そのためには情熱と教養の修養に努めよ。」

(3)常務「恕(じょ)」
「相手の立場に立って物事を考えよ。そのためには本物の感謝の心を持たなければならない。」

(4)営業の本部長「人の心に影響を与えよ」
「大軍の将は心で軍勢を引っ張るもの。そのためには本物の人間になれ。」

(5)専務「大義を考えよ」
「会社だけでなく常に世の中を見て存在意義を考えよ」

(6)社長「山頂の松に学べ」
「雨風にさらされ辛いことがあっても徳の根を張っていれば倒れることはない」

泉谷さんの素晴らしさは、こうした言葉は全て人間関係に恵まれて、その中からの多くの助言や指導の賜物で身に付けられたとの自然体としての「謙虚さ」から得られたというスタンス。

「人格の陶冶」と「他者への共感」が二本柱であることが窺い知ることができます。

「かつて父親から「経営者に派手な金は要らない。必要なのはいぶし銀の実力だ。ただし銀は休まずに磨き続けないとすぐに輝きを失い黒ずんだ塊に堕してしまうぞ」と注意されたことを改めて思い出している。」

他人を思いやる心は、つい、自己の欲求や些末な雑事を日々忙しくこなしていく中で忘れがちなもの。ここで思い出したのが、スティーブン・コヴィーの7つの習慣から「第七の習慣 刃を研ぐ」。

•肉体(運動、栄養、ストレス管理)
•知性(読書、視覚化、計画立案、書く)
•精神(価値観の明確化と遵守の決意、勤勉、瞑想)
•社会・情緒(奉仕、感情移入、シナジー、内面の安定)

この4つの面から毎日実践すべき習慣化する行為の中に「社会・情緒」がきちんと入っていました。こうして整理すると、先人の教えというのは、どこか期せずして同調するものがあるようで、同調性の高いものはそれだけで選別された、学んだり実践したりするだけの価値のあるプラクティスのように思えてくるのであります。

私が日々、実践できているかどうかは置いておいて。(^^;)

(注)職業倫理の問題から、公開情報に基づいた記述に徹します。また、それに対する意見表明はあくまで個人的なものであり、筆者が属するいかなる組織・団体の見解とも無関係です。

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