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そうか、君は課長になったのか。(18)褒めるが8割、叱るが2割 - 大事なのは「本気」であること

本レビュー
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■ 私自身は褒められて伸びるタイプに違いないのですが、、、

コンサルタントのつぶやき

このシリーズは、現在、東レ経営研究所特別顧問:佐々木常夫さんの16万部を超える「課長本」の決定版の1冊から、私が感銘を受けた言葉をご紹介(時には、私のつまらないコメント付きで)するものです。

佐々木さんのご紹介:オフィシャルサイト

課長(管理職)になって、最初に悩むであろう、課長あるあるは、「部下をどうやって叱るか、どうやって褒めるか」に違いありません。世の中の課長たちがどうやっているのか、本当に知りたいものです。佐々木さんも、課長自身の性格もあるし、褒める・叱るの対象となる部下の性格もあるので、一概に言えないが、という前置きをしつつ、「褒めるが8割、叱るが2割」と喝破されています。

本書によりますと、とある実験結果が示され、①部下を叱って仕事をさせたチーム、②部下を褒めたチーム、③部下を褒めも叱りもしなかったチームの業績を比較したところ、立ち上がりは①の叱ったチームの業績が高かったそうですが、最終的には②の褒めたチームの業績が一番になったそうです。その要因は、叱ったチームは、最初の内は緊張して頑張るので成果が出るのですが、叱られてばかりいるとモチベーションが下がって意欲が長続きしないのだそうです。佐々木さんはこの実験結果を鵜呑みにはしていないのですが、ご自身の性格と経験から、褒める主体の指導法を採用されているそうです。

ただし、時には叱って緊張感を失わせないようにすることも重要だと説きます。

 

■ 模範解答は存在しない。課長自身が手探りで見つけるしかない!

とある課長は、叱ってばかりいるそうです。そうすると、部下は叱られ慣れしてきます。叱られるのが常態化するのです。そうすると、うるさ型の課長が時たま褒めたときには、部下は飛び上がらんばかりに嬉しくなり、次の仕事に対する意欲が湧く。そういうマネジメントを実践している課長もいます。どうやって部下の力を引き出すのか? 世の中の課長はいずれも、その課題に真剣に向き合って、自分流の答を見つけていくものなのですね。

あまり手の内を見せると、私自身がやりにくくなるので、実践している手法のごく一部だけをここで紹介すると、「褒める」も「叱る」も、課長一人でやっていると、課長は疲れてきませんか? 私はものぐさなので、非常に疲れてしまいます。そういう場合は、他の人に叱ったり、褒めてもらったりします。コンサルタント商売をしているので、いの一番に、活用させて頂いているのが、クライアントです。部下だって、上司である私に叱られたり、褒められたりするより、お客様に叱られたり、褒められたりした方が、気持ちを引き締めたり、気分がよくなるに決まっているじゃないですか。それに、私というたった一つの眼鏡で部下を見るより、いろんな人に見てもらって、多面的に評価を受けた方が、部下も参考意見がより多く耳に入り、自分の適切・適正な成長に役立てることができます。

ここで、あまり多くの人の意見を聞きすぎて、自分を見失う。そういうデメリットは脇に置いといてください。そう感じる人は、はじめから、どうやろうとも、指導のし甲斐が無い人なのだとあきらめましょう。(^^;)

 

■ 私が、叱る・褒めるのバランスより大事にしていることとは?

自分自身の経験から、そして佐々木さんの意見から、どうしてもこの件に対して「金言」をひとつ、提示しなければならないとしたら、

「叱るも褒めるも、その人の性格に合わせていくべきである」

ということになると思います。

それじゃきれいごとすぎますか? じゃあ、私の最近の経験談から事例をひとつ紹介します。そのことを端的に表す言葉が「パンチドランカー」。(^^;)

プロジェクトを長くやっていると、どうしても、チームメンバが壁にぶち当たる局面が発生します。そのメンバ自身が未経験領域を新たに担当したり、相手にするクライアントとのコミュニケーションに悩んだり、納期が厳しいタスクを同時に複数担当することになったり。

そういう時、私は、感情むき出しにして(激怒りして)、指導を始めます。本人の為という表向きのきれいごとだけではなく、指導する立場である私自身もやさしく丁寧に指導することにイライラして、ストレスが高じて、結局、指導コミュニケーションがダメになるので。つまり、「真心」「本気」「真剣」に部下と対峙するのです。上司から何かを言葉をもらう時、上司の感情が乗っている言葉というのは、それを受け取る部下にとっても印象が強く残るはずです。それが怒りであったり、喜びや悲しみであっても。私は、部下にうざがられていることを承知で、常に本気で、言葉を選ばずに(本質を突くという意味で。人格否定や口汚くののしるということではありません)、叱ったり褒めたりします。それが、たった3分間の口上であったとしても、その間に、何度も怒ったり、笑ったりしながら指導を実践します。

つまり、感情むき出しとはいえ、部下の人格や存在に対する感情ではなく、部下の行いに対する感情をあらわにするだけなのです。さっき、叱り飛ばした部下と、今度は笑いながら冗談を言い合えます。自分の対人感情をいつまでも引きずらないのです。

「人を憎まず。行いを憎むだけ」

その部下の仕事上の振る舞いに対して怒りをあわらにするだけなので、部下がその振る舞いを修正してくれれば、その部下と次の瞬間には冗談や世間話をすぐに始めることができるのです。

その結果、私が大声でいくら喚き散らしても、部下たちは、「もうパンチドランカーになっているので、いくら大声で怒鳴られても平気になりました」とのこと。(^^;)

私は決しておだてたり、えこひいきもしません。叱るも褒めるも本気でやります。部下だけでなく、クライアントや上司に対しても。いわゆる熱い奴です(翻訳すると、暑苦しい奴だそうですが、、、)。

アドラーは褒める・叱るは、人間関係に上下関係をもたらすダメなことと、否定しています。しかし、私は、人の行いにだけ注目して、自分の考えをぶつけているだけです。そして、それを相手が取り入れるかどうかは、その人の課題であると諦観しているつもり。これはアドラーの教えを守っています。

佐々木さんとアドラーで私の管理職成分はできているのでした。(^^;)

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