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■ リーダーの部下に対する指導力の源泉はどこにあるのか?

経営戦略(基礎編)_アイキャッチ

常日頃から将軍が兵士たちに注ぐまなざしは、まるでいとしい赤ん坊に対するようであれば、いざという時に兵士たちを危険な深い谷底へでも引率できるようになるのです。

平素から将軍が兵士たちに注ぐまなざしは、あたかも可愛い我が子に対するようであれば、兵士たちと戦場で生死をともにできるようになるのです。

しかし、手厚く保護するだけで使役することができず、可愛がるだけで命令することができず、軍規を乱しても統制できないのは、例えるならば、驕慢なドラ息子みたいなもので、戦場では役立たずなだけです。

(出典:浅野裕一著『孫子』講談社学術文庫)

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この節は、地形篇に属しておりながら、指揮命令や兵士への接し方など、指揮官(将軍)の資質を問う内容になっています。将軍と兵士の関係は、指揮官と部下であるだけにとどまらず、親と子、教育者と生徒としての一面を併せ持つものです。将軍は民の父母として、また教師として、日頃から兵士たちに深い慈愛の心で接しなければなりません。そうした強い人間的絆があればこそ、兵士たちも将軍を信じきって、勇んで死地に赴くのです。

孫子と同時代を生きた呉子にも似たような逸話が残っています。呉子が、大きなできものができた兵士の膿を口で吸って、介抱してあげました。その兵士の母親がその出来事を聞くやいなや、おいおいと泣き出してしまいます。見かねた隣人がその母親に泣きだした理由を尋ねると、

「これで、息子は呉子に心の底から心酔し、忠誠を尽くすようになってしまうだろう。呉子が命令すれば、進んで敵軍に突っ込んでいき、生きて故郷に戻ってくることはないだろう」

史実では、この息子はその通り、敵陣に突っ込んで帰らぬ人となってしまいました。

現代ビジネスではここまで極端で命に係わる事無そうそうないでしょうが、部下の忠誠心を得て、下から慕われる指導者は、本当に憧れの的です。実際に私自身を振り返ると、そこまで尊敬されることも、心酔されることも残念ながらありません。しかし、私自身は、いつも若手メンバには誠実に、全身全霊でぶつかるようにしています。時には、興が乗りすぎて、熱く語ってしまい、厳しい言葉を投げつけることも多いのですが、基本的にその人の成長を心の底から願ってやみません。

なぜかと申しますと、打算的な理由として、いわゆる使える人材になってくれれば、その分だけ自分の仕事が助かるからです。もうひとつ、自分がこの世にしっかりと存在していたという存在証明を後に残したいからです。結局のところ、若手を指導する中で、自分の経験談を話す割合が多くなります。そして、その経験は自分の上司や先輩、師匠から得たものを次世代の若者に口述で伝授しているにすぎないのです。駅伝のように、経営管理・管理会計の「たすき」を若手に託そうとしているのです。

私も、26年以上、管理会計をやってきました。その知恵を次世代に継承してもらうことこそ、自分がこれまでやってきたことがどれくらい大切なことだったのか、残ったものの大きさで証明することができます。

この節や上記の呉子の逸話では、「下の者を教導できるか否かは、最後は指導者個人の人格的力量に架かっている」とされていますが、私は決して人格者ではありません。ただただ、管理会計に魅せられて、人一倍、管理会計を勉強してきました。そのエッセンスは是非、次の世代に引き継ぎたい。その熱意だけで、若手メンバを指導してきたいのです。自分ひとりが、経営をよくする管理会計の手法をクライアント企業様にご紹介するだけでは、もったいない。もっともっと志を同じくする人を増やしたい、ここ数年来、そう強く思うようになりました。そのパトス(熱意)だけが、今の私の上席者としての存在証明であり、プロジェクトチームをリーディングしていくたった一つの正当性なのです。

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孫子 第10章 地形篇 50 卒を視ること嬰児の如しhttp://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/ab47f6b60b2243be5165d08fde098dfb-e1428423948658.jpghttp://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/ab47f6b60b2243be5165d08fde098dfb-150x150.jpg小林 友昭孫子の兵法(入門編)兵法,呉子,孫子,戦略■ リーダーの部下に対する指導力の源泉はどこにあるのか? 常日頃から将軍が兵士たちに注ぐまなざしは、まるでいとしい赤ん坊に対するようであれば、いざという時に兵士たちを危険な深い谷底へでも引率できるようになるのです。 平素から将軍が兵士たちに注ぐまなざしは、あたかも可愛い我が子に対するようであれば、兵士たちと戦場で生死をともにできるようになるのです。 しかし、手厚く保護するだけで使役することができず、可愛がるだけで命令することができず、軍規を乱しても統制できないのは、例えるならば、驕慢なドラ息子みたいなもので、戦場では役立たずなだけです。 (出典:浅野裕一著『孫子』講談社学術文庫) ----------------- この節は、地形篇に属しておりながら、指揮命令や兵士への接し方など、指揮官(将軍)の資質を問う内容になっています。将軍と兵士の関係は、指揮官と部下であるだけにとどまらず、親と子、教育者と生徒としての一面を併せ持つものです。将軍は民の父母として、また教師として、日頃から兵士たちに深い慈愛の心で接しなければなりません。そうした強い人間的絆があればこそ、兵士たちも将軍を信じきって、勇んで死地に赴くのです。 孫子と同時代を生きた呉子にも似たような逸話が残っています。呉子が、大きなできものができた兵士の膿を口で吸って、介抱してあげました。その兵士の母親がその出来事を聞くやいなや、おいおいと泣き出してしまいます。見かねた隣人がその母親に泣きだした理由を尋ねると、 「これで、息子は呉子に心の底から心酔し、忠誠を尽くすようになってしまうだろう。呉子が命令すれば、進んで敵軍に突っ込んでいき、生きて故郷に戻ってくることはないだろう」 史実では、この息子はその通り、敵陣に突っ込んで帰らぬ人となってしまいました。 現代ビジネスではここまで極端で命に係わる事無そうそうないでしょうが、部下の忠誠心を得て、下から慕われる指導者は、本当に憧れの的です。実際に私自身を振り返ると、そこまで尊敬されることも、心酔されることも残念ながらありません。しかし、私自身は、いつも若手メンバには誠実に、全身全霊でぶつかるようにしています。時には、興が乗りすぎて、熱く語ってしまい、厳しい言葉を投げつけることも多いのですが、基本的にその人の成長を心の底から願ってやみません。 なぜかと申しますと、打算的な理由として、いわゆる使える人材になってくれれば、その分だけ自分の仕事が助かるからです。もうひとつ、自分がこの世にしっかりと存在していたという存在証明を後に残したいからです。結局のところ、若手を指導する中で、自分の経験談を話す割合が多くなります。そして、その経験は自分の上司や先輩、師匠から得たものを次世代の若者に口述で伝授しているにすぎないのです。駅伝のように、経営管理・管理会計の「たすき」を若手に託そうとしているのです。 私も、26年以上、管理会計をやってきました。その知恵を次世代に継承してもらうことこそ、自分がこれまでやってきたことがどれくらい大切なことだったのか、残ったものの大きさで証明することができます。 この節や上記の呉子の逸話では、「下の者を教導できるか否かは、最後は指導者個人の人格的力量に架かっている」とされていますが、私は決して人格者ではありません。ただただ、管理会計に魅せられて、人一倍、管理会計を勉強してきました。そのエッセンスは是非、次の世代に引き継ぎたい。その熱意だけで、若手メンバを指導してきたいのです。自分ひとりが、経営をよくする管理会計の手法をクライアント企業様にご紹介するだけでは、もったいない。もっともっと志を同じくする人を増やしたい、ここ数年来、そう強く思うようになりました。そのパトス(熱意)だけが、今の私の上席者としての存在証明であり、プロジェクトチームをリーディングしていくたった一つの正当性なのです。現役の経営コンサルタントが管理会計をテーマに情報発信します