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会社を売却すべき時 ベン・ホロウィッツ著「ハード・シングス」より

経営管理会計トピック 会計で経営を読む
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■ 見事に会社売却で1700億円を手に入れた男に、企業売却について聞く!

経営管理会計トピック

前回の「経営管理会計トピック」投稿記事は、2015年12月30日の日経新聞朝刊に掲載された、企業買収のカリスマ、日本電産の永守重信氏のインタビュー記事へのコメントでした。企業買収のカリスマを取り上げたなら、今度は企業売却で名を上げた(財を成した)カリスマのありがた~いお言葉を、その著書からご紹介してみましょう。

⇒「(そこが知りたい)戦略2016(7) 大型M&Aどう進める 日本電産会長兼社長 永守重信氏に聞く 電機再編で国内に照準

著者は、ベン・ホロウィッツ氏で、その著書『ハード・シングス』は、2015年のハーバード・ビジネス・レビュー読者が選ぶベスト経営書の第1位を獲得しました。簡単に著者の経歴を説明させていただくと、ネットスケープというウェブ・ブラウザを事実上世界初に商品化した企業(JavaScript、SSL、クッキー(cookie)といったインターネット基盤テクノロジーを世に送り出したことで大変有名)での経営幹部のキャリアを皮切りに、1999年に、ラウドクラウド社を設立し、クラウドサービス事業を展開し、クラウドコンピューティングというコンセプトを世に浸透させ、2002年に、ラウドクラウドのサービスから主要なネットワーク管理機能を知的財産として買取り、ソフトウェア会社としてのオプスウェアの共同創業者兼CEOとなりました。その後、オプスウェアを売却後、シリコンバレー拠点のベンチャーキャピタル、アンドリーセン・ホロウィッツの共同創業者兼ゼネラルパートナーとなりました。数ある投資先で特に有名なのは、フェイスブックやツイッターなどでしょうか。


■ 苦境を会社売却でしのぎながら最後に1700億円で実業を無事卒業する

前回投稿で取り上げた永守氏は、企業買収(事業買収)によって、自身が創業した日本電産という器の規模を拡大させていこうとする事業家です。その凄まじい規模拡大への執着ぶりと、自身の勤勉さには頭が下がる思いです。その事業拡大に邁進する底流の深層心理には、農耕民族の血がなせる業のように思えます。筆者には、パールバックの『大地』の主人公の王龍(ワンルン)の姿と完全にダブります。一生懸命に働いて、貯めたお金で没落地主から土地をどんどん買い漁り、広げた土地からの収益でまた、隣の田畑を買い占めて、とうとう自分が大地主にまで上り詰めるお話。

土地や起業した会社に執着し、その拡大に一心不乱に努力する。農耕民族における典型的な成功法則を地で行っています。しかし、狩猟民族の血が流れているであろう(人種的な意味ではなく文化的な意味合いで)ホロウィッツは、ネットスケープをAOLに売却し、ラウドクラウドをEDSに売却し、ラウドクラウドからスピンアウトさせたオプスウェアをHPに売却して、その事業家としての大望を果たすことになります。Exitとして1700億円の現金を手に入れて。

そこでは、ITベンチャーという産業の特色も大いに影響はしているのですが、働く従業員には、ストックオプションを与え、出資者には未公開株を与え、労働力と資金源を得ます。そして、優秀な従業員や経営者の頭脳(の中にある無形の知的財産)を一番の武器にビジネスをゼロから生み出し、企業価値が最大になったところで、IPOまたは他社への売却を持って、一丁上がり。上場維持のために株式併合したり(米国では1株1ドル以上の取引価格を維持することが前提なため)、資金繰り悪化のために、途中で第三者増資などしようもんなら、元からいた従業員のストックオプション価値が下がると、社内からブーイングが出たりします。

こうしたITベンチャーにおける一見普通の風景は、旧来の農耕民族的な日本企業に勤めていると、さっぱり理解できない別世界のことのように見えるでしょう。でも、一部の日本企業はそうした狩猟民族型企業と競争しているわけで、少なくとも、製品やサービスで競合している場合、その顧客提供価値だけで勝負しているのではなく、そうした異質な企業体質・企業文化でも勝負していることを忘れてはいけないのかもしれません。

筆者が忘れてはいけない、というのは、もちろん、米国のベンチャー企業の経営のあり方を妄信的に受け入れよう、というわけではありません。土台、異なる理屈で、異なるインセンティブで機能している企業との競争は、予定調和的な日本国内市場だけでの、既にある製品・サービスの機能改善やコストダウンだけでは、勝てない、ということの証左とも言えましょう。

どちらの企業経営の仕方が正しいか、どちらの経営者の振る舞いが正しいか、どちらの経営者が優秀か、ということが問題なのではありません。全く異質なメカニズムで機能している企業間の競争であることを知って、適切な対策を講じているか否かということが重要なのです。

日本の、特に製造業のM&A(買収の方)は、農耕民族的な、隣接している土地を購入して、上がり(収穫量)を増やそうとする動機から行われるケースが多いように見受けられます。ホロウィッツの世界では、ヒト、知恵、お金、技術、製品、商圏、サービス、顧客(との既存契約または将来の取引見込み)のすべてが売り買いの対象になります。M&Aなんて、そうした商取引のひとつにすぎないわけです。

■ ホロウィッツによるM&Aの教えを紹介します

ずばり、前著のP352から「会社を売却すべきか」という標題で、M&Aに対する彼の見解が紹介されています。以下、その抜粋・サマリの記述になります。

テクノロジー企業の買収については、買収目的(対象)で3類型に分かれます。

1.人材・テクノロジー目的
特許やノウハウを含め、会社が保有するテクノロジー、知的財産(特許など)、優秀な従業員の獲得 - 金額は500万ドル~5000万ドル程度になる

2.製品目的
特定製品の獲得が目的。買収企業はその製品を概ね現在の形のまま引き続き販売しようとする。ただし、販売には自社のセールス、マーケティング部門、既存の販売チャネルを使用。 - 金額は5000万ドル~2億5000万ドル程度になる

3.事業目的
会社の事業そのもの(売上と利益)が買収目的。買収側は、製品、セールス、マーケティング部門を含めた会社全体を入手しようとする。- 金額は、会社の財務内容に比例し、場合によっては巨額となる。マイクロソフトがヤフー買収を計画した場合は、300億ドル以上が提示されたとのこと。

上記の金額感は、あくまでIT産業に特有のものでしょうが、一定の参考にはなるでしょう。

ホロウィッツは、買収を持ちかけられたCEOが意思決定にあたり、「論理的な判断」と「感情的な判断」が重要だと説きます。

1.論理的な判断
少なくともITベンチャーの領域では、次の場合には、そのまま独立企業であることを選択した方が賢明なようです。

① 非常に大きな市場にいて、会社は非常に若い段階にある
(市場の潜在的規模は現在より少なくとも1桁以上大きいこと)
かつ、
② その市場でナンバーワンになれるチャンスが十分にある

この判断の格好の事例は、グーグルです。創業直後、10億ドルを超える買収提案をいくつも受けたそうですが、創業者らはこれらをすべて拒絶し、今に至ります。当時すでにライバル社が絶対に太刀打ちできない検索テクノロジーを確立していたからです。さらに、ペイジ達は、自分たちがどの市場に居るのか、適切に理解していました。単に、ポータル市場に居ると判断した場合、既に成功していたヤフーに準拠した成長性と企業価値でしか評価されません。ペイジ達は、グーグルは、まだ潜在的市場である検索市場にグーグルはポジショニングしていると認識し、ヤフーに準拠した企業価値の2倍でも、そもそも企業売却話に耳を傾けることはなかったのです。

では、ホロウィッツがオプスウェアをなぜHPに売却したのか?
① データセンター運営の自動化を提供するソフトウェア市場の前に、システムとネット
ワークの運営自動化市場の制覇が必要だった、
② 資金量的に、上記市場領域への投資が当時のコンペチターに太刀打ちできないことが
分かっていた
③ 今では当たり前の、「仮想化技術」への莫大な投資により、将来の収益性が落ちること
が予想された

このことから、オプスウェアに一番の高値が付いているタイミングで、何の躊躇もなく、企業売却に断を下したのです。オプスウェアを買収したHPがその後どうなったのか? 顛末を知っている人なら、このタイミングでのホロウィッツがいかに賢かったか、後講釈ですがお分かりになるでしょう。

2.感情的な判断
一方で、ホロウィッツは、起業家のメンタリティにも配慮すべきことを忘れていません。
「社員一人ひとりを自らリクルートして築き上げた会社を人手に渡す?」
「自分の壮大なビジョンを込めた独立企業を売却する?」
「自分の障害の夢を売り渡す?」
「自分と自分の家族を経済的に自立させ、家族も同然の社員たちの生計を支えてきた会社から立ち去る?」

ホロウィッツはこうした感情問題を一刀両断して、切り捨てることはせず、これらの感情をうまくコントロールして、冷静な意思決定ができる環境を整えることを勧めています。

① CEO・創業者は適正な給料をもらう
手塩にかけた会社を売却するか否かの判断に、CEOの個人財政が直接影響しないようにする。早まって安値で売り抜け、ほどほどのキャッシュが手元に残ってホッとすることで、ビックチャンスをふいにしないように!

② 意図を社内に明確に伝える
米国のIT系スタートアップ企業には、必ずストックオプションに魅力を感じて精励している従業員が会社を引っ張っているもの。CEOが「会社を売りに出していない」といえば、ストックオプションの売却益を当てにしている従業員を裏切ってしまう。「適切な値段なら、会社を売りに出してもいい」といえば、「その値段はいくらですか?」と問い返される。そして、会社評価額がその値段に近づけは、社員たちは会社は売りに出されると思う。従業員の混乱を避けるために、会社売却の意思や条件は、明確に従業員に表明していなければならない。

どうでしたでしょうか? 農耕民族的な、企業を買収し、規模拡大のみの視点でM&Aを眺めているのとは違う風景が見えてきませんか? 農耕民族的なメンタリティならば、M&Aで企業(事業)売却をする立場の方も、本業や収益性の高い事業を守るために、泣く泣くリストラの一環で、周辺事業や買い手がかろうじてつく事業の売却を、まるでこれまで耕してきた土地を泣く泣く手放す感覚をお持ちなのではないでしょうか。それは、売買双方の立場を問わず、農耕民族的なメンタリティがなせる業です。

筆者は、決して、農耕民族的な企業経営が「悪」と言っているのではなく、「企業」「事業」も「製品」や「債権」と同様に売り買いすることに慣れ切っている人たちがいること、そういう人たちと同じ市場で戦っていること、を忘れないでほしいだけです。



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