■ 「討論」をエンターテイメントとして成功させた番組
深夜帯にTVザッピング中に、ふと目に止まったので、1時間以上見入ってしまいました。この番組を見るのは20数年ぶり。
元来、「国際政治学」「文化人類学」を大学で専攻していた筆者として、大変興味を持っていたお題だったので、つい視聴してしまったのですが、睡眠時間を削ってまで見る価値が本当にあったのか、見た後に大変後悔してしまいました。。。(^^;)
パネリストは以下のそうそうたるメンバー。
平沢勝栄(自民党・衆議院議員)
小西洋之(民主党・参議院議員)
柿沢未途(維新の党・衆議院議員)
岩田温(政治学者、拓殖大学日本文化研究所客員研究員)
小林節(慶応大学名誉教授、国民安保法制懇委員)
谷口真由美(全日本おばちゃん党代表代行、大阪国際大学准教授)
田村重信(自民党政務調査会調査役)
孫崎享(東アジア共同体研究所所長、元外務省国際情報局長)
三浦瑠麗(国際政治学者、東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員)
森本敏(拓殖大学教授、元防衛大臣)
渡部恒雄(東京財団上席研究員)
政治家、法律学者、政治学者、パブリックセクターの研究者など、この分野では最高の論客たちなのでしょう。
白熱する議論の中、司会役である田原総一郎氏までが、私論を展開し、ルール・秩序の無い罵り合い、自己主張がそこでは展開されていました。
この番組が1987年から続いているということは、それなりに視聴率がとれて、人気があるからなのだと思いますが、それは視聴者が、3時間の討論の結果、何らかの結論が出て満足するというよりは、白熱する討論自体を、エンターテイメントとして楽しんでいるから、それだけの人気を保っているのだと解釈しています。そういう意味では、TV番組としては成功の部類に入るのだと思います。
■ 「討論」する目的はどこに? 「結論」が出ない「討論」に熱狂する不思議
残念ながら、ビジネスシーンでコンサルタントがクライアントと会議をする場合とは、「お作法」にかなりの隔たりがあるようです。われわれは、会議を始める前に、必ず本日の会議の目的・ゴールを出席者の間で共有し、次にアジェンダおよび制限時間について出席者の了解を得てから、個々の議論を始めます。
ファシリテーターは、限られた2時間とか3時間で、会議目的を達成できるようにすることだけに集中して会議を運営します。ゴール設定がない会議は、時間の無駄と言い切れるかもしれません。高給取りが10人参加して2時間を費やすということは、20人時の工数を会議に投入するということで、時給10万円だったら、総額200万円かけた会議となります。その会議で得られた成果物のコストは、200万円となります。「Time is money.」です。
会議目的の例示として、
1.ブレインストーミング
出席者の知恵、課題認識、情報、アイデア、その場の会話で発生したインスピレーションの引き出し → 課題整理、取り組み施策立案、目標設定、リスク洗い出し、などの一定の情報を創発的議論から得る
2.情報共有
プロジェクトや組織の経過時間における作業進捗と課題の発生および解決状況、将来に起こり得るリスクを、関係者間で共有することで、個々のタスク・役割の実行責任が全うできるようにする
3.意思決定
責任者(意思決定権を有している人)に、発生課題、解決施策、課題の重要性と影響度、解決が難しい場合の、コンティンジェンシープランを答申し、裁可を仰ぐ
ぐらいの使い分けは最低限必要になります。
ファシリテーションの技として、議論を進めている中で、制限時間内に当初のゴールに到達できないことを感じ始めた所から、アジェンダを変更するか、追加の会議を設定するか、到達ゴールの期待水準を調整するか、機敏な軌道修正を常に心がけておかなければなりません。
討論TV番組と同じように、3時間、ワイワイガヤガヤやって、何の結論も得られなかったけど、出席者のガス抜きになった、それが成果、という場合は、別段構いませんが。。。
■ 「討論」するにも議論を生産的にするための最低限のマナーがありませんか?
白熱した議論をエンターテイメントとして、見て楽しむ、参加して楽しむ、ということなら大丈夫なのですが、こういう番組に参加している人達の議論の仕方が、生産的、効率的な会議における参加者のやり方か、と問われると、いささか首をかしげざるを得ません。
① 人の発言を最後まで聞かない(場合によっては大声で他人の発言を遮って自分が話なじめる)
② 人の発言の内容を踏まえて、反論なり、賛意を示すための補強陳述なりをしようとせず、ただ持論をとうとうと話しはじめる
③ 自分が話す内容は、言い放しで、建設的に、次に誰からコメントを頂きたいのか、意思決定者に判断を仰ぎたいのか、次の話者へ会話をパスすると意識に欠けている
結果から考えると、「議論が白熱する」ということは、「議論が噛み合わず、話者同士が興奮状態にある」ということ。その道の大家や政治家が興奮して大声でわめき散らしている、いい年した大人がそういう言い争いをしているのを見て、第3者的に外から眺めている場合は、大変面白いものです。だから、視聴率が取れて、30年近く番組も続いているのですね。30年の間に、日本人の会議下手がいささかも上達していないのは、こういう番組がまだ視聴率が取れていることからも窺い知ることができます。
■ 「ディベート」になっていない。学生だったらどっちも×と言われても。。。
議論の途中で、パネラーの一人が、噛み合っていない議論が展開されているのを評して、「全然ディベートになっていない。双方が何を言っているのか理解できない」と発言していました。そういう発言者も、筆者から見て、全然何を言っているか分からなかったし、議論を生産的にするための発言ができていないように見受けられましたが。
実は、筆者は、大学時代、「ディベートサークル」を立ち上げた創設メンバーの一人でもあります。したがって「ディベート」云々といわれると、ちょっと敏感に反応してしまうわけです。
ディベートの「お作法」として、簡単なものを2つご紹介します。
1.ステートメントの構成
ディベートにおいて、人が何かを陳述する時、その「ステートメント」は次のような構造になっているハズ(?)です。
「ステートメント」←「理由づけ」←「証拠」
したがって、ディベートでは、他人の発言を耳にしたとき、
① 「証拠」が「ステートメント」にとって必要十分なものになっているか
② 「理由づけ」が「証拠」と「ステートメント」を合理的に結び付けているか
③ 「ステートメント」自体が「証拠」と「理由づけ」から無理なく導かれていることを示すだけの「レトリック」として自然か
というチェックを頭の中で走らせるのです。その3つの何かに対して、腑に落ちない時、その点に特化して「反駁(はんばく)」をするのです。
2.ステートメントの種類
ディベートにおいて、相手に主張する場合は、主張する内容がどういう類のものか、常に意識しておく必要があります。
① 客観的事実(在日米軍は、日本国の国益と日本国民の生命を守ってくれない)
② 意見・価値判断(集団的自衛権を発動させるためには、憲法改正をすべし)
③ 政策提言(国際平和の維持のために、日本は自衛隊を海外に出動させなければならない)
このような単純な類型化にも弊害はもちろんありますが、相手が、「事実」を言っているのか「意見」を言っているのか位は、見定めておくと、反対意見の言い方というのものが、もう少し大人な言い方になるのではないでしょうか?
最後に一言申し上げると、こうした議論の構成法を身に付けた上で、「レトリック」の技術を磨いた方が良いと思います。
上述した、
「国際平和の維持のために、日本は自衛隊を海外に出動させなければならない」は、
「日本の国益を守るために、日本は自衛隊を海外に出動させなければならない」
「国際平和の維持のために、日本は自衛隊を海外派兵させなければならない」
「日本の国益を守るために、日本は自衛隊を海外派兵させなければならない」
という感じに、使用する言葉から受ける印象と、ロジックがマッチするように組み合わせる必要があります。最後の最後に、「TPOをわきまえた大人な言い方」で相手を説得できるかできないかが分かれたりします。それは「レトリック」がまずいわけです。
日本語には「言霊」が住みついていらっしゃいますからね。
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