本格的リニューアル構想中のため、一部表示に不具合があります m(_ _)m

最強商品を生んだ 究極のローカル戦略! 崎陽軒社長・野並直文 2015年9月10日 TX カンブリア宮殿

TV番組レビュー
この記事は約6分で読めます。

■ 日本一売れる“驚異の駅弁” 市民熱狂!シウマイの秘密

コンサルタントのつぶやき

崎陽軒のシウマイが発売されたのは、今から87年も前の1928年。横浜駅の売店で、駅弁として売られたのが最初。生産量は、年間2億8000万個で、年商212億円。今なお成長を続けている。そのビジネス、驚きの現場が横浜駅にある。横浜駅周辺(京浜急行、JR、みなとみらい線、市営地下鉄、相鉄のホームや、高島屋、そごうなどの百貨店まで)になんと14店舗が展開。

野並直文_カンブリア宮殿_20150910

番組公式ホームページより

全ての店舗で、売れた分だけ即時補充されている。だから売り切れが発生せず、売り逃しのロスは無い。その秘密は???

横浜駅近くに本社ビルがある。その地下1階が弁当工場。そして、そのビルの4階に弁当事業部。その事業部の担当者が、刻一刻と変化する各店舗の販売状況をモニターしており、適時・的確な弁当生産の指示を出す。さらに、その日の横浜周辺のイベント情報や気温など、過去のデータに照らし合わせて需要を予測。徹底的に廃棄ロスを減らす工夫があった。

「廃棄ロスを徹底的に抑えることによって、最終的にお客に販売する価格も極力抑えることができる」

こうして崎陽軒が1日に販売する弁当の数は、3万2000食に上る。そして買い物客はどこでそのシウマイを食べて楽しんでいるのか? 弁当としてではなく、自宅で普通の食事の一品として親しまれている。いわゆる日常食だ。これが駅で売れまくる秘密なのだ。

横浜市民に圧倒的に愛される理由は、「冷めてもおいしい!」弁当の弱点を強みに変えてきた。その味の秘密は、オホーツク海で買い付けるホタテ。その貝柱を乾燥させ旨味を凝縮。ホタテ貝柱の旨味で冷めた時の豚肉の臭みを抑える。さらにもうひとつの秘密は、冷めてもおいしい特殊な炊き方で炊いたご飯。「蒸気炊飯方式」。それは“おこわ”の炊き方。モチモチとして歯ごたえで、もち米が入っているのではといわれるほど。そして、そのもちもちの御飯を、これまた特殊な容器が美味しさを保つ。シウマイ弁当の容器は、エゾマツやアカマツなどの天然木が素材となっている。

「木が水分を上手に調整してくれて、“おひつ”のような役割をこの容器が果たしている。」

そして、浜っ子が愛してやまないのが、弁当箱にかかっているヒモ。弁当一個一個に手作業でヒモをかけていく。東京エリアで売られている弁当にはヒモはかかっていない。このヒモがけ、繁忙期に備えて、社長以下、全社員ができるのだという。

 

■ 真の“ローカル企業”が最強商品を作る!

天然木の容器でひも付きの弁当は、原材料だけで、1個当たり30円以上のコスト高になる。

MCからの質問。「ITを使った在庫融通や、一方で材料にこだわる。どこかの部分を残して、「効率主義」一辺倒等に走らない判断基準はどこにあるのか?」

「お客が「どこに価値を感じているのか」が基準だと思う。数多くの経験と、失敗による教訓から学んでいく。“変えてはならないもの”ほど、変えやすい。逆に、“変えるべきもの”ほど、変えるのが難しい。だから、よく間違えて逆をやってしまう。簡単に変えることができるけれど、「本当に変えていいのか」ということは、きちんと考えてやらなくてはならない。」

崎陽軒の歴史は、横浜に名物を作る格闘との歴史だった。1908年、横浜駅の売店として創業した崎陽軒。しかし、どんな商品を扱っても売れなかった。それには深い訳があった。

「みんな東京駅で弁当を買って、横浜駅を通過する時はまだ食べている最中。逆に、大阪から上ってくる人は、後30分で東京駅に着こうという時に、わざわざ弁当は買わない。」

当時の横浜は、人口も50万人に満たない地方都市。港があるだけで、目立った名産品も無かった。そこで、初代社長は、「他にはない横浜名物になる商品を作ろう」と思い立つ。横浜南京町に住む中国人街で売られていたシュウマイに目を付けた。初代社長は、横浜駅で、赤い制服に身を包んだ容姿端麗なシウマイ娘がひとつひとつのシウマイを手売りする販売戦略をとった。

現社長が3代目として1972年に入社したころ、会社は大きな岐路に立っていた。それは、1967年に全国に先駆けて開発した「真空パック シウマイ」を発売。それまでとは比較にならないくらい保存がきき、大坂でも販売を始め、全国展開に打って出た。

「今後の崎陽軒の方向性として、シウマイを全国に売るようなナショナルブランドを目指すべきか、それとも横浜にこだわって、横浜で食品メーカーを目指すべきか、どっちがいいか?」と、3代目は、2代目から問いかけられた。

そして3代目は、全国展開ではなく、地元市民と共に歩む道を選択した。

「崎陽軒は「真にローカルなもの」を目指す。」

全国販売を中止してまで、崎陽軒が目指した「真に優れたローカルブランド」とは?

「私(3代目社長の野並さん)なりに、いろいろ考えていたが、その時に、大分県の知事に平松さんという方がいて、“村おこし”の運動で、「一村一品運動」を提唱していた。「真にローカルなものこそインターナショナルになりうる」。これが一村一品運動の理念だという話を聞いて「これでいこう」と」

「お客様から、お土産でシウマイを持って田舎に行ったら、「近所のスーパーに売っていると言われた」という話を聞いた。これでは地元の人と気持ちが通じ合うことができない。企業の中には、「農耕型の企業」と「狩猟型の企業」があって、「狩猟型の企業」は、世界中のマーケットがある所で、ビジネスをする。それに比べて「農耕型の企業」は地域にしっかりと根を生やして、そこで幹を伸ばして枝を張って成長していくタイプの企業だが、まさに崎陽軒は「農耕型企業」の典型じゃないかと思っている」

東京駅に、「駅弁屋 祭」という新業態のお店がある。全国津々浦々の名物駅弁を170種類以上揃えている。こうした業態が出現したのは、業界の深刻な問題が背景にあった。実は全国の駅弁屋は苦境に立たされている。鉄道の高速化が駅弁の需要を減らし、1960年代に約430軒あった駅弁業者が現在は97軒に減少している。そんな中、「日本鉄道構内営業中央会」という駅弁屋の組織の会長に2年前から野並さんは就いている。

全国の駅弁屋が、崎陽軒のローカル戦略に学ぼうとしている。

例えば、「広島駅弁当」。地元客に愛される名物弁当をつくろうと、「黒田の男気弁当」を発売した。黒田の重いストレートをイメージした大きめのおにぎりに、焼きそばやたこ焼きなど、黒田投手の好物がおかずに。広島球場で観戦するカープファンがこぞって買い求める一品に。

「駅弁は日本が世界に誇る食文化と思っているので、一番は駅弁のブランド価値を高めていくことだと思う。地元の人にそっぽを向かれたら、単なる「観光地のお土産」になってしまう。地域の人と常にコミュニケーションを図ることが非常に大事な仕事になっている。」

——————–
番組ホームページはこちら
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20150910.html

崎陽軒のホームページはこちら
http://www.kiyoken.com/

コメント