■ ICTの進化により組織構造が変わる!?
IT技術者、MOT:technology management(技術経営)の専門家でも、経営学者でもない経済学者の鶴教授の論説にすこぶる納得し、経済学者の鋭い洞察に感銘しました。また、こういうミクロ経営の領域にも著名な経済学者の方が興味関心を持って頂けていることに、実業界の端っこでヒッソリと生息している筆者としても大変うれしく思っています。
2015/5/13|日本経済新聞|朝刊 (経済教室)企業組織、情報通信で変化 エコノミクストレンド 組織フラット化進む 鶴光太郎 慶大教授
(注)日本経済新聞の記事へ直接リンクを貼ることは同社が禁じています。お手数ですが、一旦上記リンクで同社TOPページに飛んでいただき、上記リード文を検索すればお目当ての記事までたどり着くことができます
「企業組織のあり方を考える際、その構成員に企業の目標に向かって努力させるためどのような誘因を与えるかとともに、企業にとって重要な意思決定をどのレベルで行うかというのは古くて新しい問題である。つまり、最高経営責任者(CEO)に近いレベルで意思決定する「集権化」と、現場の従業員に近いレベルで意思決定する「分権化」のいずれが望ましいかという議論である。」
以下で、まことに僭越ながら、鶴教授の論説をできるだけ平易にサマリ・解説をし、ちょっとだけ持論を加筆させて頂ければと思います。
■ ICT活用で情報伝達コストなどが低下
情報通信技術(ICT)が企業の意思決定に与える影響度を著名学者の方々が研究されています。
1.米ハーバード大学:マイケル・ジェンセン教授
① 意思決定は現場しか知りえない情報に基づくべきだが、それをCEOまで届けるには「情報伝達コスト」がかかる。 一方で、
② 現場に近いところで意思決定すればCEOの目標や意向と異なる意思決定がされ「利害対立コスト」が生まれる
③ ICT活用は両者のコストを低下させる方向に働く
④ 上記③の効果発現は、「情報伝達コスト」の低下は「集権化」へ、「利害対立コスト」の低下は「分権化」へ作用する
つまり、企業内では、CEOによる意思決定コストについて、2要素間でトレードオフの関係が成立しており、ICTの効果はいずれにも作用させることができる → ICTの進展が「分権化組織」か「集権的組織」かの組織デザインを左右する直接の要因にならない、という研究結果です。よくあるIT企業のシステム化提案に、「分権化組織(フラット組織)」におけるコミュニケーションの円滑化と、意思決定の迅速性を両立させる仕組み作り、などというものがあるのですが、よく経営意思決定メカニズムをわきまえて、どっちの要素に効くのか、対象企業は意思決定構造をどっちの形態に変革したいのか、よく見極める必要があります。
2.ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE):ルイス・ガリカーノ教授
① 企業組織の意思決定のあり方を知識獲得の視点から理論化できる つまり、
② 労働者が自分で必要な知識を得るための「知識獲得コスト」と、上司を頼ることで解決を得るための「情報伝達コスト」の大きさで最適な意思決定レベルが決まる
③ ICTは両者のコストを低下させるが、「識獲得コスト」低下は「分権化」へ働き、「情報伝達コスト」の低下は「集権化」へ働く
ICTが与える影響度に対する結論は1.とほぼ同じ。ただし、
「いずれのコストの低下においても上司は余裕ができる分、部下の数を増やし、管理範囲が広がり、組織がフラット化する」
とのこと。意思決定構造の「集権化」が進んでも組織はフラット化する、という見解が新たなポイントとなります。
3.LSE:ジョン・ファンリーネン教授、米スタンフォード大学:ニコラス・ブルーム教授
<企業本部と工場長の関係>
① 工場長の自らの情報獲得能力を高めるとみられる統合基幹業務システム(ERP)のソフトウエアを使うと工場長への権限委譲が進む(分権化)
② 企業内の情報伝達コストの低下をもたらすイントラネットがある企業では逆に工場長の自律性は低く、意思決定はより集権化する
<工場内での工場長と労働者の間の意思決定の関係>
③ CAD・CAM(コンピューターによる設計・製造)を使う企業の方が労働者の自律性が高く、工場長に直接報告する労働者の数も多くなる
④ イントラネットの存在は工場長への集権化には有意に影響しない
ここでの研究結果は、一概にICT導入といっても、導入技術の種類によって、組織デザイン(分権化か集権化か)を左右されるという結論が導かれています。この点が、前2者との大きな違い。ITベンダーがクライアント企業にどういう種別のIT技術を提案するかによって、今度は自ずと対象企業の意思決定構造に対して一定の方向付けを与えるのだ、ということを提案時に考慮すべきということになります。
■ 経営トップの近くで意思決定する傾向も
4.米ハーバード大学:ジュリー・ウルフ准教授
① 80年代半ばから90年代末までに米大企業では組織のフラット化が進展した
・CEOと部門長の間にあるポジションは最高執行責任者(COO)の廃止などで86年の1.6から98年に1.2へ
・CEOに直接報告する幹部の数も同時期に4.4人から8.2人へ増加し、管理範囲が拡大
② ただし、こうしたフラット化によって世に喧伝(けんでん)されてきたような組織内の権限委譲は必ずしも起きていない
→CEOに直接報告する幹部の中で増加しているのは通常の事業部門長ではなく、機能別部門長である。特に、IT活用が進んでいる企業ほど、最高財務責任者、最高人事責任者など管理部門長のポストの数が増加し(グラフ参照)、経営トップに近いところで意思決定するようになった
(以下、同記事で掲載された図表:米大企業のCEOの管理範囲)
この観察結果は、ICTの進展が機能組織間の水平的コミュニケーションの円滑化に貢献し、かつ、経営層も直接的に各機能活動へのコミットを強めていることを意味しています。
「これは情報通信コストの劇的な低下により、企業全体を見渡す位置にある機能別部門長が相互関係の強い業務間で調整したり、シナジー(相乗効果)を追求したりすることが容易になったためである。」
「CEO自身の意思決定については、企業組織のフラット化はCEOの部下への関わりを強め「ビジネスの現場により近づく」ためであることを明らかにしている。これは必ずしも部下とのタテの関係を強めるのではなく、むしろ経営上層部における議論を活発化させ、チームにおける水平的な情報の流れや協業がポイントとなっている。」
■ 日本の大企業は集権化に利用余地大きい
記事では、ソフトバンクの孫社長を例に引いて、経営トップのICT有効活用による意思決定権限の集中化に効用があるとの説明があります。
「日本に目を向けると、ソフトバンクの孫正義社長はIT革命の黎明(れいめい)期にそれを集権化に活用した希有な例である。孫社長が部下から徹底的に情報を集める手法は90年代に「千本ノック」と称され、その後も1万以上の財務データ(日々決算)をリアルタイムで分析し経営判断に役立てている。」
こうした経営判断、意思決定構造は、決してICTの技術的な制約だけからその実行可否が判断されるわけではなく、当該企業の成り立ち(オーナー企業か、ベンチャーか、成熟市場にいるのかなど)からも様々な影響を受けて形成されるものです。
大きな組織体をあたかも一人の有機生命体かのように、組織のあらゆるところにニューラルネットワークが張り巡らされて、五感による外部データの検知や筋肉への指示情報の伝達が、有能な一人の天才脳の中で行われれば、その企業は永遠に発展するのか、足下の市場競争で優位に立てるのか、まずはじっくりと考えて頂きたいと思います。
それにしても、なかなか読みごたえのある論説でした。機会がある方は、全文をお読みになられることをお勧めいたします。
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