■ 街にあふれる“あの文字”も! 密着! 書体デザイナー
藤田がこれまでに手掛けた書体は実に130種類以上。街の至る所に藤田が創った文字が溢れる。個性的でありながら美しさを感じさせる藤田の書体。その作風は時に異端と呼ばれる。奇才、藤田重信。
独創的な書体で知られる業界きっての書体デザイナー、藤田重信(59)。
書体デザイナー藤田は「曲線」をこよなく愛す。7年前から乗り続けている愛車は50年位前のイタリアの国民車。全体が丸いデザイン。しょっちゅうエンジントラブルを起こし、JAFのお世話になっているが手放せない。
勤め先は福岡市内にある書体メーカー(フォントワークス株式会社)。藤田の肩書は書体開発部長。社員やフリーランス、およそ20人のデザイナーを束ねる。これまでに開発した書体は130種類以上。その数は業界でも群を抜く。
あのAppleも藤田の書体に注目。去年、パソコンに新フォントとして標準装備され、デザイン業界でニュースとなった。
藤田は書体をデザインする時、文字に人や動物を見ている。藤田は変に奇抜な書体をつくろうとしているのではない。
「筆の毛先1本分、こっちに膨らませてとかっていうね、当たり前にこだわるんで。」
藤田が目指す書体の理想がある。
『時代を感じ、時代を超える、書体』
「昔の書体が持っているある種のムードみたいなものは継承したいんですよ。何かそういった古きよきものを継承しつつ、今の時代に出したときに、そういったものを持ちつつ、とても新鮮だねという、この書体は、という。本当にキチッとしたものを作れば、これからも100年使われる可能性があるというふうに見ても全然おかしくないんですよね。だからそういう気持ちで書体というのは、特に明朝体、ゴシック体はそういう気持ちで作らなきゃいけないんじゃないかなと。」
■ 書体はこうして生まれる 密着! 異端のデザイナー
書体開発は通常、紙に下書きをする。しかし、藤田はいきなりパソコン。
「下書きがあった方が楽なんですけど、下書きをする時間を取らなきゃいけないんで。結局、どっちが早いでしょうかっていう。なくたって(イメージは)頭の中に、だいたい入っているんで。」
書体開発は根気の作業。完成までに数年かかることも。ひらがな、カタカナ、ABC、漢字、1書体に8千~2万もの文字をデザインする。文字1つ1つに個性を光らせながらも、全体に統一感をもたせなければならない。
「その1粒1粒がキチッと個性をキラキラ輝かせてるものでなければ、価値としてあまり意味がないかなと。全部、美男美女が勢ぞろい、ずーっと並ぶわけですよ。そりゃ、きっと壮観ですよね。」
藤田が悩み始めた。曲線が絡み合う「れ」。
「「れ」のこの部位(筆者注:2画目の左側)がもっともっと大きい動きにならないかな、みたいなことを考えながら作るんですよ。」
ひたすら試行錯誤。2日がかりの試行錯誤。突破口を見つけた。一か所に極端な丸みを出した。ちょっとやりすぎると怨念がこもっちゃうかな、と言いながら結局やりすぎる。そんな藤田の流儀とは。
『ためらわず、振り切る』
「製作途中では、目いっぱい振り切っちゃう方向でいくんで、冒険みたいな。この形でいいだろうかなんて、あんまり躊躇しちゃイカンねって。やっぱりお客さんに衝撃を走らせたいの。「でも、なんかおもしろいよね」っていう。でなきゃ、つまんないじゃない。」
「なんかだいぶしっくりしてきましたね。例えば、カメラマンがあって、モデルさんがあって、「ビッと決まった」っていうポージングみたいなね。さわやかで、美しくて、キレイでっていうプロポーションかな。」
(FONTWORKSのホームページより藤田さんの筑紫明朝体をご紹介)
■ 書体はこうして生まれる 密着! 異端のデザイナー(続)
藤田の部下、越智亜紀子さん。入社6年目のデザイナー。新しい書体「ロリポップ」の開発を任されていた。
(越智さん)
「“カワイイ やる気のない脱力系”の書体を出そうというので、私、デザインして、いま作っています。本の表紙とかのタイトルとかで使われるとか、マンガとか、昨日本屋行ったら、(同系統の書体が)いっぱい使われているのを見たので、本とかでつかわれたらいいのになって、ちょっと浅はかに思っているというか。」
越智さんにとっては初めて任された大きな仕事。さっそく藤田のダメだし。そして2週間後、越智さんは「数字」に苦戦していた。数日後、越智さんが仕上げてきた。藤田さんは一言、「いいんじゃないですか」。しかし、ここからが藤田流。
「前作と今作で(作った数字を)並べてみなよ。何人かに聞いてみなよ。どちらの数字がいいですかって。」
感想を求めた人、全員が前作の方を選び、新デザインは不評だった。批判にさらされた時こそ、本当の力が生まれる。ここに藤田の流儀がある。
『たたかれてこそ、完成する』
この道40年の藤田。自らも厳しい意見に身をさらす。批判を恐れていては、新しいものは生まれない。
「ある意味、恥も外聞もないですよね。冷めた目で見ると「何これ?」って。それもわかっているんですけど、そういうふうに自分がエネルギッシュに赤裸々にやってきた結果(完成に)たどり着けるんですよ。」
翌日、新たなデザインを模索する越智さんがいた。
(越智さん)
「なんか納得し切れていないんで、もうちょっと、もうちょっと何か。もうちょっと、あがこうかなって。」
半年先の製品化が目標。2人の試行錯誤が続く。
■ 人生を変えた“明朝体” 奇才・藤田重信の原点
独特の感性でヒット書体を生み出す藤田。原点となった書体がある。MMOKL「石井明朝オールドスタイル」。
「このMMOKLが使われたっていう時代がおそらく1980年前後。明朝体が使われている広告ページがあるとこの書体だらけ。」
コードネームMMOKL。この書体が藤田さんの人生を変えた。幼いころから夢は何?と聞かれても、サラリーマンと答えるのがやっとだった。地元の高校を卒業した後は、教師に勧められるまま首都圏のメーカーに勤めた。勤務先の会社はネガフィルムを応用した写植(写真植字)の技術で次々と新しい書体を生み出していた。とはいえ、これといった夢や希望は無い藤田。仕事よりファッションにのめり込んでいた。当時の同僚、鳥海修さん(代表作は「ヒラギノ書体」「游書体」)は当時の藤田さんをこう語る。
(鳥海さん)
「文字にはね、そんなに興味があるとは思わんかったですね、そのころは。藤田さんはね、とにかく洋服。洋服とかにやたら詳しくて、夏なのに三つ揃えを着て来て、何考えているんだろうっていうことはありましたよ。」
だが、30歳を超えた頃、突如、書体に目覚めた。きっかけはある企業広告の「ほほえみ」の4文字が目に飛び込んできた。あの石井明朝オールドスタイルだった。
「石井明朝をまじまじと見ているときに、絶妙な筆さばきと、この形のよさは何だろうって。そのひらがなのフォルムにどんどんどんどん引きずられていくの。引き寄せられていくんですよ「これもう、すごいよな」っていう。」
すっかり心を奪われてしまった藤田は、初めて夢を持った。自分の明朝体を作りたい。しかし、印刷業界は激動の時代を迎えていた。ワープロ、パソコンが流行して、写植はみるみるうちに廃れていった。会社の事業は縮小の一途をたどった。藤田に新たな書体を作るチャンスは巡ってこなかった。
「(自分の書体を作るのは)完全に夢ですよ。諦めているというか、ありっこないよねっていうような夢のまた夢って言っちゃ変ですけど、夢ですよ、本当に。」
漫然と時が流れた。10年。40歳を過ぎたある日、転職した同僚から思わぬ話を持ちかけられた。福岡の会社が質の高い明朝体を作れる人を探している。40歳を過ぎての転職。不安もある。だが書体を作れる最後のチャンスかもしれない。故郷福岡に戻り、藤田はすぐに明朝体を作り始めた。だがそれは途方もない作業の始まりだった。1年かけてようやく一揃いの書体を揃えたが、周囲の評価はいまひとつ。何度書いてもいつも結果は可もなく不可もなく。でもつらいとは思わなかった。
「今に見ておれ、じゃないですけど、そういうこともあったかもしれないけど、それ以上にずっと熱中していられるこの面白さっていうかね。」
それから3年。ようやく藤田オリジナルの「筑紫明朝体」が完成した。何のとりえもないサラリーマンだって夢は掴める。そう、藤田は語る。
「カミさんに(故郷の)九州に帰って仕事をしたいんだけどって言って、うちのカミさんも、もともと両親は長崎、島原の人だったんでね。二つ返事で。妻に「いやです」って言われたら(自分の)書体も何もないですもん。おそらく。
■ 新しい明朝体開発の舞台裏 密着! 異端のデザイナー
もっとセクシーな曲線にできそうな。
独創的なプロポーション。
洗練された曲線美。
衝撃の出会い。
藤田が出会ったひとつの文字。福沢諭吉編「啓蒙 手習の文」。そこに使われたひらがなの「ふ」。藤田の創作意欲に火が付いた。「ふ」から始まる冒険。
「この「ふ」から50音に広げていこうと。これはだから本当に「冒険」ですよ。全くダメかもしれないし、すごくおもしろいのかもしれない。」
4月7日、新書体の開発が始まった。あの「ふ」のイメージを原型に新しい明朝体をつくる。
「一点透視法にも見える。これはいいなっていう。」
目指すのは一点から広がっていくような立体感のある文字。早書きの藤田。4日後には18文字のデザインを作り上げた。
「単体でどれだけよくても、何文字か組んでみると、みんなバラバラで違ってくると。極端に言えば、刑事ドラマで出てくる脅迫文みたいになってしまうんです。本当に全然バラバラでね。」
早書きの藤田の手が止まった。「も」にうまく特徴をつけられずに苦戦。試行錯誤すること9日目。福沢諭吉の教科書にあった「ふ」。150年前のものを上回る書体を作り上げられるか。
「本当に明朝体は奥深いですよ。明治の最初の頃の職人さんたちのパワーと遊び心っていうんですか。そういうのがやっぱり、底知れぬものを感じたりしますよね。それだけに今の(新書体は)10倍おもろしろいんですよってね、そう思わせたいですね。」
開発開始から19日目。五十音の試作がそろった。5月に入って東京に。これから批判に身をさらす。試作した書体を“プロたち”に見てもらう。日本を代表するブックデザイナー、祖父江慎。祖父江はどう評価するのか?
(祖父江さん)
「異常気象で風があちこちに吹きまくってるようです。ここまでいっているのがですね、実はね、いいかどうか、もう、さっぱりわからなくなってますね。本文が組まれるのを拒否しているセットですね。こういう「の」とか「ゆ」が台無しにして、本文を組めないようにするっていう発想。」
ソフトな語り口で酷評する。惨敗。
『たたかれてこそ、完成する』
同業者にも意見を求めた。書体業界の第一人者、鳥海修。代表作は「ヒラギノ書体」。MacやiPhoneの標準フォントとして使われる。藤田が「異端」なら、鳥海は「正統派」と称される。
(鳥海さん)
「こんなね、よその会社の人にこんなの見せて。「い」とか「む」とか「し」とか「そ」もそうかな。いい加減にしろって感じ。この「て」もダメだな、俺。」
手厳しい鳥海。コンセプトそのものを問い始めた。議論は「デザイン」に対する根本的な考え方に及んだ。
(鳥海さん)
「なんかね、例えばね、味噌汁とか作る時に、俺たちのやり方だと、言葉がすごくいいのかもしれないけど、すごい洗練された味噌汁を作るような気がするんだけど、藤田さんのはいろんなものを添加していく感じなんだよ。だから、今まで食べたことのない味噌汁みたいな感じがする。だから、やっぱ驚くし、無国籍料理みたいな感じになっていくような。本当に俺、思うのは、藤田さんの作り方っていうのは、本当に足していって足していって、いろんなものを足していって、人の意見もそうなんだけど、足していって、足していって、そうやってまとめていくっていう作り方をしているような気がして、俺の場合はね、どっちかっていうと、削る方向なのよ。削って削って削ってっていう。」
「引き算、残ったものが美しい、みたいな。余計なものは無いっていう。じゃあ、従来のパターンのままで、それはそれでいいのかもしれないけど、僕としては、そこをもとワイドに広げたいんですよ。「こういう明朝もある、こういうゴシックもあるんです」って。使い手さんが全く反応してくれなきゃ、僕も途中で止めるし。でも反応して、どんどんしていただいているんで。どんどん、やるぞっていうね。」
「20年とか50年たったときに、わかるんじゃないの?そうじゃなきゃ、わかんないもん。あのとき、藤田が作ったのは、あれは完全な亜流だった。一時の流行だったってなるかもしれないし、そのときまで「やっぱ、これいいね」で残っているかもしれない。それはわかんないだもん。」
「引き算の美学」と「過剰が生み出す個性」
「「これ普通だね」とか、「いいね」って言われたんじゃ、Bヴィンテージ(今回の新書体)の意味がない」
ホテルに戻るなり、文字の検討を始めた藤田。
「鳥海さん、この「む」は絶対いやって言ってましたね。僕、大好き。(修正は)全くしない。」
リリースの予定は1年半後。
「自信というか、絶対にこれは面白い明朝体が生まれるという。それはこう思っているんですよ。だから、どこまでそれを詰められるかっていう。だから、そういう意味の文字の終点はないんですよね。だからその間、目いっぱい、目いっぱい、いいものにしておきたいっていう。」
藤田の試行錯誤は続く。
プロフェッショナルとは
自分がこうだと思ったら、
それを信じて最後まで走りきって、ゴールを目指し、
ゴールを目指した者がキチッと評価をされるものでなければならない。
それを生み出せる人だけがプロフェッショナルだと思います。
——————
プロフェッショナル 仕事の流儀2016年6月13日の番組ホームページはこちら
フォントデザイナー・インタビュー | 日本語Webフォントサービス はこちら
→再放送 6月20日(月)午後3時10分~午後3時59分 総合
コメント