■ 21世紀のイノベーションは過去の偉大な経済成長は実現することはできない!?
今回の「経済教室」の解説投稿は、6/3付の「経済教室」の解説投稿との前後編バージョンでお届けします。共に、マクロ経済学の分析手法にのっとり、GDP成長について語られたものですが、その分析支援は十分にミクロの個別企業の投資行動にもあてはまると考えるからです。
2016/6/1付 |日本経済新聞|朝刊 (経済教室)技術革新の恩恵受けるには 経済開放・市場主導が必須 「長期停滞」にも終わりあり リー・ブランステッター・カーネギーメロン大学教授
「経済的展望を巡り重度の悲観論が広がっている。グローバル金融危機は終息したが、待ち望んでいた持続的な力強い景気回復は訪れていない。
ロバート・ゴードン米ノースウエスタン大教授は、著書「米国の成長の盛衰(The Rise and Fall of American Growth)」で、21世紀のイノベーション(技術革新)には、過去の偉大な発明ほど経済成長のけん引を期待できないと指摘。ローレンス・サマーズ米ハーバード大教授も、今や人類は「長期停滞期」に入っており、世界経済の低成長は恒久的に続くと警告する。」
Lee Branstetter ハーバード大博士(経済学)。専門はイノベーション、東アジア経済
<ポイント>
○生産性の急伸期と大幅鈍化期は繰り返す
○国境を越えた財、資本、人材の往来を促せ
○新興国の技術革新は欧米や日本にプラス
(注)日本経済新聞の記事へ直接リンクを貼ることは同社が禁じています。お手数ですが、一旦上記リンクで同社TOPページに飛んでいただき、上記リード文を検索すればお目当ての記事までたどり着くことができます
「長期停滞」という概念を発明したのはサマーズ氏ではなく、言いだしっぺは、アルビン・ハンセン・ハーバード大教授が1938年の講演でこの言葉を使ったのが最初です。その意図するところは、
「かつて米国の経済成長は広大な未開拓地、高い人口増加率、技術分野での重要なイノベーションに長く依存してきたが、30年代には未開拓地はなくなり、人口の伸びが減速する一方で高齢化は加速、技術進歩のペースも衰えてきた」
「未来への希望の余地は乏しく、悲観的になるべき理由が多々ある」
と、まるで少子高齢化で人口減少に伴う国内市場の需要不足に悩み、イノベーションの定義にもよりますが、ガラパゴス化と嘲笑される日の丸製造業の機能付加価値を高めるだけの技術革新では、もはや戦後の高度経済成長期並みの高度経済成長はムリ、と今後の日本の経済状況を予言されているかのようです。現代の経済学者はまさに彼の見方を踏襲して用語まで借用している状況です。
■ 偉大な過去の経済学者の経済成長に対する見解は正しいのか?
教授によると、
「だが21世紀の今では、ハンセンの懸念は杞憂(きゆう)だったことがわかる。第2次世界大戦後、米国は過去に例のない生産性の急伸と繁栄を謳歌した。欧州と日本は誰も予期しなかったような速いペースで復興を果たした。日欧の起業家と発明家によるイノベーションと製品開発は、戦後数十年の間に西側諸国の生活水準を大幅に押し上げた。」
ひとまず、アメリカのフロンティア喪失があっても、戦後冷戦期の高度経済成長は西側諸国で達成されたことでハンセン氏の見解は間違っていた、という見方をしています。しかし、経済状況は刻一刻と変化します。
「この黄金時代は70年代に突然の終わりを迎えたようにみえた。20世紀の偉大な発明の効果が薄れ始め、特に米国では生産性の伸びが大幅に落ち込んだ。ロバート・ソロー米マサチューセッツ工科大名誉教授は、情報技術の普及にもかかわらず、80年代半ばを過ぎても生産性の伸びが低水準にとどまっていることを懸念した。「コンピューターは至るところにあるが、生産性統計にだけは出てこない」という87年の発言は有名だ。」
現在では、そのソロー氏も間違っていたことが証明されました。
「あの発言から数年後には、ソロー氏が至るところでみた情報技術投資により、50年代、60年代に劣らない力強い生産性の伸びが実現したからだ。」
「産業の歴史をひもとくと、生産性が急激に伸びる時期の後に、大幅に鈍化する時期が訪れるパターンが繰り返されてきたことがわかる。イノベーションというものが着実で安定したプロセスではなく、不確実で曲折の多いプロセスであることに由来する。」
筆者としては、マクロ経済状況から個々の企業活動のミクロな経済的行動が規定されるのではなく、イノベーションという名の新しい付加価値を生み出すテクノロジーやプロセスを上手に選択した企業が新産業の主役に踊りだし、いわゆるその時点でのニューエコノミーを生み出すのだという立場を取ります。
「現在開発中の多くの有望な技術のうち、どれが全く新しい産業を創出し人類の新たな可能性を切り開くのか、前もって見定めるのは極めて難しい。また、例えば今日のようにグローバル経済が低迷し、生産性の伸びが鈍化する時期に入ったとみられる場合、いつどのようにそれが終わるのかを知ることも困難だ。」
学者や評論家は、時代が過ぎ去ってから、当時を振り返って、ネーミングや定義をするのが仕事です。分析や論理のつじつま合わせは、ことが成し遂げられてから、後講釈で行われるのが世の常。フロントランナーはいつの時代でも、異端児扱いで鼻で笑われるものです。ここで一言、「イノベーションのジレンマ」、これに尽きます。
■ もう少し産業史を振り返ってみましょう。日英の過去の経緯はどうだったか?
教授によれば、過去2世紀の産業史を振り返れば、「長期停滞期」がいずれ終わることを示す事例が豊富にみられます。いつの時代にも、人間の創意工夫が裾野の広い新技術を生み出し、生産性の急伸期を導いてきました。教育、研究、開発の種をまき続ける限り、いずれは革新的技術という収穫が得られると期待してよく、産業史には、種をまく時期と刈り取る時期が交互に現れるのです。
ここでキーワードになるのが「経済への市場志向型アプローチ」。
経済が不振の時期には、かつては成長を実現したが今となっては役に立たないようにみえる政策を放棄したくなるものですが、長い時間をかけてその価値が実証されるのです。
このアプローチでは、政府と企業の役割が明確に区別されています。
<政府>
・あらゆる社会階層への良質な教育の提供
・経済運営に必要なインフラの構築
・知的財産権を含む財産権の強化
・基礎研究の支援
・国境を越えた財や資本、人材の自由な行き来の促進
<企業>
・科学技術を製品として具現化するプロセスの実践
もうひとつのキーコンセプトが「開かれた経済」。
「国内外の新しいアイデアは法的保護、資金援助、商業開発支援の下で、新しい製品や、時には全く新しい産業に結びつくだろう。そして市場が開かれていれば、イノベーションが国外で生まれたとしても、その恩恵を受けられる」
<英国>
「平均的な労働者の生活水準が英国産業の全盛期だった19世紀ではなく、第2次世界大戦後に大幅に向上したことだ(図1参照)。」
(下記は、同記事添付の日英のGDP伸び率のグラフを転載)
米国が世界の経済大国にのし上がった第2次世界大戦後に、英国は自国より経済規模が大きく、活況を呈していた米国、日本、ドイツなどから様々なイノベーションを輸入し、自国の成長に結びつけたことにより、「開かれた経済」の正の効果を主張されています。この意見は、英国のEU離脱問題(ブリグジット(Brexit)論)に真っ向勝負を挑んだものです。中東や東欧からの移民により、職場を奪われて失業率が高止まりしているとする右傾化する国内政情とは見解を異にしています。でも、ロンドン市長に、ムスリムのカーン氏が就任しました。イノベーションだけ輸入して人材の流入は禁止する。そう都合の良い選別は開かれた経済下では不可能です。
<日本>
「今日の日本では、はるかに速いペースで成長しているようにみえる米経済をうらやむ人が多いかもしれない。だが実際には、労働年齢人口1人当たりの国内総生産(GDP)伸び率は、日本が米国を大きく上回っている(図2参照)。その一因は、日本が国内だけでなく米シリコンバレーのイノベーションにも自由にアクセスできることにある。」
ここの論理には無理があると考えています。現在のマクロ経済学における経済成長は、
①資本という生産要素投入の増加
②労働力という生産要素投入の増加
③生産性向上(これを「全要素生産性(TFP:Total Factor Productivity)」と呼ぶ
の3要素で説明するのが常です。①②で説明できない溝を③で埋めておくという、これこそ前述のソロー氏が編み出した分析手法。
以下は、「生産性Q&A – RIETI – 独立行政法人経済産業研究所」から日本のGDPと人口データの抜粋です。
まず、生産性指標は次のように表されます。
これを念頭に、「GDP」「人口」「労働人口」の相関を見てみます。
(出所:内閣府「国民経済計算年報」)
ここから、労働者人口が逓減した現代日本の姿が明らかになります。
そしてこれが経済成長率の分解図になります。
(出所:経済産業研究所「JIPデータベース2006」)
つまり、2000年代に入って投入できる労働力が減少し、明らかに測定できる資本投入のプラス効果との差異は、とりあえず「TFP」と呼んでいるだけです。その中身まで見ないと、すべてがシリコンバレー発祥のイノベーションの力を得たから、と説明するのには無理があるのです。
■ これからのインベーションの形とは?
これまでの歴史を振り返ると、
「産業革命から20世紀末までは世界の産業の進歩はごく限られた人材に依存してきた。英国で起きた第1次産業革命を主導したのは、世界人口のほんの一部にすぎない。電気とモータリゼーションによる第2次産業革命を主導した人材はもう少し多く、技術者や経営者たちだった。それでも世界のイノベーターの大半は欧米人の男性など、一握りの先進国の国民だった」
現代のイノベーション環境の特徴は、
1)
インドや中国など人口の多い発展途上国が数百万人の科学者や技術者を教育しており、現代の情報技術のおかげで彼らが日本や米国の優秀で経験豊富なイノベーターとリアルタイムで連携することが可能
2)
多国籍企業の中国拠点で働く技術者が生み出すイノベーションの質は、その多国籍企業の母国で生み出されるイノベーションに劣らないことがわかった)
3)
新興国でイノベーション能力が高まることは、人材のプールがグローバルに拡大することを意味する。時が来ればこの人材の宝庫から、現世代そして次世代の生活を豊かにするようなイノベーションの次の波が生まれる
教授の主張が一貫しているのは、開かれた経済、自由主義経済、市場志向経済。
「その可能性を現実とするには、貿易、投資、人的移動などの面で開かれた経済を維持することや、市場主導のイノベーションを後押しすることが欠かせない。そうした姿勢を貫くことは現在の状況では代償が大きいようにみえるかもしれない。だが長い目でみれば、払う価値のある代償だということがわかるはずだ。」
短兵急な政策として、目先の雇用確保のために、国内市場を閉じてはいけない、ということ。平たく言うと、グローバリゼーションを逆に利用してやろう、というもの。技術が国境を越え、販売市場が国境を越え、労働力の移動が国境を越え、全ての壁を取っ払った方が皆が成長の果実を得られるという主張。
これは、本当に、税制、労働法、知的財産保護法など、世界各国の競争条件が等しい場合、ある程度納得性が高まります。しかし、現実には特定の国・地域での特定産業の保護育成施策が厳然と存在します。第1セクター(政府)の保護政策の一切を禁止するだけの強制力が、グローバル規模で市場がつながっていても、ネイションステート(国民国家)の枠組みが厳然として残っている法と政治の世界の論理を全て崩せるものではないのです。
グローバル市場の理想と現実がある程度分かったところで、ミクロ経済としての個々の企業は、どの分野に注力して投資を振り向ければよいのか? 労働人口減少に直面している日本企業は、積極的な移民政策を政府に陳情して、労働力という生産要素投入の増加による経済成長を本当に目指さざるを得ないのか? 他に道はないのか? 以下後編に続きます。
⇒「(経済教室)情報通信技術投資の可能性 30年度GDP 70兆円増も 顧客との接点に活用カギ 実積寿也 九州大学教授 高地圭輔 日本経済研究センター主任研究員」
(注)職業倫理の問題から、公開情報に基づいた記述に徹します。また、それに対する意見表明はあくまで個人的なものであり、筆者が属するいかなる組織・団体の見解とも無関係です。
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