自分の思考のキレ具合を知る方法とは
このシリーズは、G.W.ワインバーグ著『コンサルタントの秘密 - 技術アドバイスの人間学』の中から、著者が実地で参考にしている法則・金言・原理を、私のつまらないコメントや経験談と共にご紹介するものです。
外部リンク G.W.ワインバーグ氏の公式ホームページ(英語)
ワインバーグ氏が「システム思考」を大学でおそらく非常勤講師として教えていた時、彼をして、大学教授になるのをあきらめさせた逸話が今回のテーマの下敷きになっています。それは、自分の思考のキレの限界を見極める話でもあります。
キャンパスで生徒の一人と雑談をしている中で、とある生徒が転校することを切り出してきました。その女学生はこう言いました。「姉が他の大学に行くので、姉について行くんです。私たちはとても仲良しなので」
そこで、ワインバーグ氏とその女学生の会話をかいつまんで要約すると次の通り。
「お姉さんはいくつ年上?」
「いいえ、年上じゃないんです」
「ああ、じゃあ双子だね?」
「いいえ、同じ日に生まれたけれど、双子じゃないんです」
「じゃあ、腹違い?」
「いいえ、両親とも同じです」
「じゃあ、二人の内、どちらかが養子?」
「いいえ、私たちの両親は生物学的には同一人物です」
さあ、この女学生は一体何を言っているのでしょうか。もちろん、上の女学生の発言に嘘は一切含まれていません。
ワインバーグ氏のこの著作を読んだことがある方には、ずっと前の章にこういう法則が載っていたことを思い出す人もあるかもしれません。私もそうでしたから。
有名な「なぞなぞ」と同じ答えでした
答えはとてもシンプルで、ひっかけクイズとかいじわるクイズとしても有名なものと同じです。
答えは、
「双子ではなく、三つ子だったから」
ワインバーグ氏はこの回答を聞いた時、頭をガーンと殴られる思いがして、教授にだってなれるという自負心が内から崩れ落ちる気がしたそうです。
ちなみに、このなぞなぞは、有名なので、「なぞなぞ 双子」でググってもらえれば、たくさんの類似ページにたどり着くことができます。しかし、大切なことは、この答が明かになった後に、ワインバーグ氏と女学生との間の会話にあるのです。
ワインバーグ氏は、三つ子であるという答えを聞いて、それは行き過ぎている、いくら何でも、三つ子にあったことがある人はここにはいないから、それは証明のしようが無いことだ、と食い下がったのです。それを聞いた女学生は、
「先生が、同じ日に生まれたのに双子じゃない姉妹に一度も会ったことが無いことだってあり得るけれど、会ったことがあるのに、議論に勝つために都合よく忘れたってことだってあり得るじゃありませんか」
それを聞いたワインバーグ氏は、「そんな姉妹に会ったら、私は絶対に忘れやしないよ」と啖呵を切ったのです。しかし、それは大きな後悔と引き換えの行為でした。その女学生は、ワインバーグ氏で飼われている犬たちの存在を指摘したのです。女学生が言う通り、ワインバーグ氏は、飼っていた母犬が同時に産んだ7匹の子犬のうち、2匹を自分の家で飼っていたのでした。
「ワインバーグの行きすぎの法則」とは
ワインバーグ氏は、これを「ワインバーグの三つ子の法則」と当初は名付けたかったとのことですが、題名がネタばらしなのは、このなぞなぞが台無しになると思いとどまり、「ワインバーグの行きすぎの法則」と名付けました。
行きすぎというのは、ただ先が見えないだけということもある。
G.W.ワインバーグ著「コンサルタントの秘密―技術アドバイスの人間学」(P89)
この箇所を何度読み返しても、「三つ子の法則」のほうがずっとふさわしいと思いますし、なにが「行きすぎ」なのか、いまいちピンと来ていません。^^;)
ただし、ワインバーグ氏がふと漏らした、「分からない。教えて」という恐ろしい言葉を言いたくないばかりに、耐え忍んで苦悩の中で思考を繰り返し、それは行き過ぎているよ、と反論せざるを得なかった気持ちはよくわかります。そういう苦悩を汲み取って、ここでは「行きすぎの法則」ということにしておきましょう。
ワインバーグ氏の大学教授を辞める決意に至った逸話から私たちが学べることは、この2つだと思います。
- 「分からない。教えて」という勇気を持つこと
- 思考停止してしまったら、早めに違う解決策を探すこと
勿論、全力で今の知力と忍耐力をかけて考え抜くことは大前提です。その努力を尽くしたと感じたうえで、なお分からなければ、おそらくその経路では、今のあなたには答に辿り着かないのです。諦めが肝心です。
いいですか。ここが大事なところなのですが、意地になって当初の解法に拘泥しないでください。途中で諦めることはプライドが許さないかもしれませんが、それはあなた自身の内面の問題であって、あなたの意識の外にある現実は、相手とか社会の問題なのです。
相手とか社会の問題は、解ける結果こそ全てなのです。解決に至る思考の道筋があなたの思い通りになったことによる達成感は、はっきり言って、あなたの自己満足に過ぎません。思索者として、私がありたい理想像は、課題解決がなされる結果にコミットする姿勢です。課題が解決されるのなら、知らないことは他人に進んで尋ねましょう。Aがだめなら、次はBを試しましょう。
解ける問題を解けるように柔軟に解法を切り替えること、知らないことを知らないこととわきまえて謙虚に教えを乞うこと。この道以外に、熟達した課題解決者のありたい姿を私は知りません。^^)
みなさんからご意見があれば是非伺いたいです。右サイドバーのお問い合わせ欄からメール頂けると幸いです。メールが面倒な方は、記事下のコメント欄(匿名可)からご意見頂けると嬉しいです。^^)
コメント