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■ 「ものさし」をはかる「ものさし」

コンサルタントのつぶやき

この「ものさし」が30センチって、だれがどうやって30センチときめているんだろう? お店の人(実際には作っているメーカーの人)がこれくらいかな、と“勘”で作っていたら、信用できないなあ、と子どもの頃によく考えたりしました。

2015/6/21|日本経済新聞|朝刊 重さ・温度の定義 大転換 精密な測定手法 競う各国

(注)日本経済新聞の記事へ直接リンクを貼ることは同社が禁じています。お手数ですが、一旦上記リンクで同社TOPページに飛んでいただき、上記リード文を検索すればお目当ての記事までたどり着くことができます

「質量や温度など身近なものを測る時の単位の定義が、大きく変わろうとしている。2018年に開かれる国際会議で、4つの単位の基準が変更されそうだ。具体的な物体で「1キログラム」を決める従来の方法から、自然界に存在する不変の「物理定数」を基準にした定義に変わる。ただ、そうした物理定数の値は、正確にはわかっていない。これを極めて精密に測定する実験に、各国がしのぎを削っている。」

下記の新聞記事に添付してあった図表を参照して頂きたいのですが、これまで自然界で人間が観測できた自然現象で決めていた度量衡を、電子の電気量などの物理法則による数式の上で定義することになりました。

(出典:日本経済新聞2015年6月21日朝刊より

物理法則で度量衡を決める_日本経済新聞_2015年6月21日

こうした見直しの理由は次の2つ。

① 人工物で制作された「原器」そのものが経年変化で精度が落ちる
② 科学技術の進歩により、「原器」が示す誤差が許容範囲を超えた

 

■ 「基準」を測ることも人間はやめました

新聞記事には、言及されていませんが、皆さんは「1メートル」って本来どういう定義だったかご存知でしょうか? かのナポレオンが活躍していたフランス革命政府が、「地球の子午線の赤道から北極までの長さの1000万分の1を1メートルとする」と決めました。そして実際の測量に基づいてその長さを表す「メートル原器」が作られました。1889年の第1回国際度量衡総会においてその「メートル原器」が長さの標準として国際的に採用されました。日本にも、そのフランス製の「メートル原器」の複製が持ち込まれ、日本の「1メートル」の長さを決めていました。そういう世界の大勢に逆らって、未だにポンド・ヤード法を使っている国がありますが、、、

最初は、素朴に人間が自然現象を測定して度量衡を決めていたのです。それが、技術の進歩と共に、メートル(長さ)の世界では、1960年にクリプトン86原子のスペクトル線の波長、1983年にレーザ技術の発展により真空中の光の速さ、といった感じで原器によらず1メートルを決めることになりました。

(下記、『メートル定義の変遷』は「計量標準センター」のホームページより

メートル定義と日本の国家標準の変遷

私も、当時まだ小さい息子を連れて「国立科学博物館」を訪れた際、息子そっちのけで、1メートル原器の大きな金属の塊を前に、しばらく見とれていた経験があります。そして、メートルになる前はどういう基準だったか、調べてみました。

日本の古来の長さの基準は、「尺」。そもそもは「身体尺」といって、「手を広げたときの親指の先から中指の先までの長さを1尺」としていました。これでははかる人の手の大きさによって長さがバラバラになるので、「公定尺」といって国がある一定の長さの基準を作りました。これがまた素朴で、時代や場所によって、変化していっています。昔は大らかで、多少の誤差や、何々尺ではかったらこうなった、で通じていたんだと思います。

あらゆる単位と重要原理・法則集―長さ,面積,体積,重さ,時間,熱量… (ニュートンムック Newton別冊)

長さの定義の変遷にも分かるように、「どうやって基準を決めるか」「決めた基準を使って何をするのか」が変わっていくと、「基準」自体が変わっていきます。何もこれは自然科学の度量衡の世界だけではなく、社会科学(個人的には『社会科学』という領域は存在しないという信念がありますが)の分野でも、大事なことです。

経営方針決定や業務プロセス設計をする際、世の中が株主への還元を重視していれば「ROE」が最重要指標で、その数値が大きければ大きいほど「良し」とされるのでしょうし、人手不足の世の中になれば、「省力化」「ロボット導入率」が経営管理目標となり、それぞれの指標は値が大きいほど「良し」とされます。

高度経済成長の時代は、パイ自体がどんどんおおきくなっていったので、「売上高成長率」が高ければ高いほど「良し」とされ、結果としても経営は上手くいっていました。当時、「ROE」等を持ち出せば、おそらく「過少投資を促す逆作用を示す、いけてない管理指標」との烙印を押されていたでしょう。

この新聞記事の最後に心に刺さるコメントがありました。その一節をご紹介して今回の記事を終わりにしたいと思います。

「単位の定義変更で、身の回りで何が変わるのか。山田氏(応用熱計測研究グループ長)は「何も変わらないようにするのが再定義の目的」と話す。めまぐるしく動く現代社会で「究極に変わらないもの」を作る努力が、実を結ぼうとしている。」

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重さ・温度の定義 大転換 精密な測定手法 競う各国http://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/f2dde0c815f506d35f39301dbbb486e41-e1428166267398.jpghttp://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/f2dde0c815f506d35f39301dbbb486e41-150x150.jpg小林 友昭新聞記事・コラム度量衡■ 「ものさし」をはかる「ものさし」 この「ものさし」が30センチって、だれがどうやって30センチときめているんだろう? お店の人(実際には作っているメーカーの人)がこれくらいかな、と“勘”で作っていたら、信用できないなあ、と子どもの頃によく考えたりしました。 2015/6/21|日本経済新聞|朝刊 重さ・温度の定義 大転換 精密な測定手法 競う各国 (注)日本経済新聞の記事へ直接リンクを貼ることは同社が禁じています。お手数ですが、一旦上記リンクで同社TOPページに飛んでいただき、上記リード文を検索すればお目当ての記事までたどり着くことができます 「質量や温度など身近なものを測る時の単位の定義が、大きく変わろうとしている。2018年に開かれる国際会議で、4つの単位の基準が変更されそうだ。具体的な物体で「1キログラム」を決める従来の方法から、自然界に存在する不変の「物理定数」を基準にした定義に変わる。ただ、そうした物理定数の値は、正確にはわかっていない。これを極めて精密に測定する実験に、各国がしのぎを削っている。」 下記の新聞記事に添付してあった図表を参照して頂きたいのですが、これまで自然界で人間が観測できた自然現象で決めていた度量衡を、電子の電気量などの物理法則による数式の上で定義することになりました。 (出典:日本経済新聞2015年6月21日朝刊より) こうした見直しの理由は次の2つ。 ① 人工物で制作された「原器」そのものが経年変化で精度が落ちる ② 科学技術の進歩により、「原器」が示す誤差が許容範囲を超えた   ■ 「基準」を測ることも人間はやめました 新聞記事には、言及されていませんが、皆さんは「1メートル」って本来どういう定義だったかご存知でしょうか? かのナポレオンが活躍していたフランス革命政府が、「地球の子午線の赤道から北極までの長さの1000万分の1を1メートルとする」と決めました。そして実際の測量に基づいてその長さを表す「メートル原器」が作られました。1889年の第1回国際度量衡総会においてその「メートル原器」が長さの標準として国際的に採用されました。日本にも、そのフランス製の「メートル原器」の複製が持ち込まれ、日本の「1メートル」の長さを決めていました。そういう世界の大勢に逆らって、未だにポンド・ヤード法を使っている国がありますが、、、 最初は、素朴に人間が自然現象を測定して度量衡を決めていたのです。それが、技術の進歩と共に、メートル(長さ)の世界では、1960年にクリプトン86原子のスペクトル線の波長、1983年にレーザ技術の発展により真空中の光の速さ、といった感じで原器によらず1メートルを決めることになりました。 (下記、『メートル定義の変遷』は「計量標準センター」のホームページより) 私も、当時まだ小さい息子を連れて「国立科学博物館」を訪れた際、息子そっちのけで、1メートル原器の大きな金属の塊を前に、しばらく見とれていた経験があります。そして、メートルになる前はどういう基準だったか、調べてみました。 日本の古来の長さの基準は、「尺」。そもそもは「身体尺」といって、「手を広げたときの親指の先から中指の先までの長さを1尺」としていました。これでははかる人の手の大きさによって長さがバラバラになるので、「公定尺」といって国がある一定の長さの基準を作りました。これがまた素朴で、時代や場所によって、変化していっています。昔は大らかで、多少の誤差や、何々尺ではかったらこうなった、で通じていたんだと思います。 あらゆる単位と重要原理・法則集―長さ,面積,体積,重さ,時間,熱量… (ニュートンムック Newton別冊) 長さの定義の変遷にも分かるように、「どうやって基準を決めるか」「決めた基準を使って何をするのか」が変わっていくと、「基準」自体が変わっていきます。何もこれは自然科学の度量衡の世界だけではなく、社会科学(個人的には『社会科学』という領域は存在しないという信念がありますが)の分野でも、大事なことです。 経営方針決定や業務プロセス設計をする際、世の中が株主への還元を重視していれば「ROE」が最重要指標で、その数値が大きければ大きいほど「良し」とされるのでしょうし、人手不足の世の中になれば、「省力化」「ロボット導入率」が経営管理目標となり、それぞれの指標は値が大きいほど「良し」とされます。 高度経済成長の時代は、パイ自体がどんどんおおきくなっていったので、「売上高成長率」が高ければ高いほど「良し」とされ、結果としても経営は上手くいっていました。当時、「ROE」等を持ち出せば、おそらく「過少投資を促す逆作用を示す、いけてない管理指標」との烙印を押されていたでしょう。 この新聞記事の最後に心に刺さるコメントがありました。その一節をご紹介して今回の記事を終わりにしたいと思います。 「単位の定義変更で、身の回りで何が変わるのか。山田氏(応用熱計測研究グループ長)は「何も変わらないようにするのが再定義の目的」と話す。めまぐるしく動く現代社会で「究極に変わらないもの」を作る努力が、実を結ぼうとしている。」現役の経営コンサルタントが管理会計をテーマに情報発信します