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俺が俺がの「我」を捨てて、お陰お陰の「下」で暮らせ

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謙譲の美徳を勧める言葉として受け止めていません

この言葉は世の中で広く伝わり、言葉遣いに様々なバリエーションが存在します。一般的には、江戸時代後期、越後(今の新潟県)の曹洞宗の僧侶、良寛和尚の言葉とされています。

「おらがおらがの「が」を捨て、おかげおかげの「げ」で生きよ」という表現など、あまり出典にこだわることなく、その人が受け止めやすい語呂の良いものを、自分に言い聞かす言葉として胸の内に持っておくのがいいのかもしれません。

もちろん、良寛和尚は仏典から「お説教」のひとつとして、この言葉を用いたそうで、いろいろと調べると、座禅や己と世の中とを切り分けない世界観を説明する内容なのだそうです。「お説教」といっても、宗教の教義・教典を、その信者や民衆に、口頭で分かりやすく説明する方の意味ですよ。

説教 - Wikipedia

私はこの言葉を知った時から、大事にしているのですが、決して、謙譲の美徳を勧める言葉として受け止めてはいません。腰を低くとか、感謝の気持ちをもって日々を生きようとか、こうあるべきという姿=理想を自分に言い聞かすために、この言葉を日々噛み締めているのでは決してありません。

TOPページ | 良寛記念館 ryokan memorial museum
良寛は、江戸時代を代表する禅僧で、我が国の勝れた詩人、歌人、書家ともいわれています。良寛記念館では、その良寛の遺墨や愛用の遺品、巨匠の描く絵画等を鑑賞しながら、現代に生きる良寛の温かい心との出会いをお約束します。

自分の無力さに打ちひしがれたときに唱えます

天台宗の開祖、伝教大師 最澄の「おのれを忘れて他を利するは慈悲のきわみなり」という言葉があります。「自分のことは後にして、まず人に喜んでいただく。それはほとけの行いであり、その行為で人は幸せになる」とでも解釈できますでしょうか。

これを端的に表す言葉が、「忘己利他もうこりた」です。宗派は違えこそすれ、元を辿ればブッダの教えです。お釈迦様の世界観がとてもよく分かる言葉です。「もうりた」ではありません。^^)

このように、一人のブッダ(お釈迦様)の言葉でも、解釈ひとつで様々な教えとなります。真面目に追究しようとすればするほど、解釈は多義的になるものです。ですから、冒頭の言葉も、出典や発話者である僧侶の仏教的裏付けがない解釈がされても許されると考えている理由がここにあります。

そして、私はこの言葉を、仏教の教えを少々読みふけり自分なりに考えたうえで、自分が使いやすいように解釈し直しています。

それでも、仏教もしくは老荘思想の影響は受けていることを自覚の上で、冒頭の言葉は、頑張ったけれど、結果が思うようにならなかったときに感じる無力感、虚脱感から救われるために使っています。

法話集|忘己利他(もうこりた…己を忘れて他を利する)
「人間の性(さが)として、私たちはどうしても自分中心に考えてしまうことがあります。もっと欲しい、こ …

万有引力の法則からロジックが始まります

勉強や仕事、スポーツ競技などで頑張ったけれど、結果が思わしくなかったとき、どうやって自分を慰めていますか? 小さい挫折にはめげずにどんどん前向きに挑戦し続けるバイタリティがある人にはこういう慰めの類は不必要かもしれません。けれど、世の中、そんな強い人ばかりではないはずです。

私は、心がくじけたとき、この言葉を思い出して、もう一度、前向きになれるように、自分の感情を誘導するように心がけています。

どうやって、この言葉を使って、挫折した心をもう一度前向きにできるのか、自分なりのロジックはこうです。

心の中のロジック

この世の物理法則のひとつに、アイザック・ニュートンが発見した「万有引力の法則」というものがある。

$$F = G\frac{Mm}{r^2}$$

力の大きさは質量に比例し、距離の2乗に反比例する。

お互いがお互いを引き寄せあう力は等しいはずなのに、どうして自分は地球の引き合う力(ここでは簡単に重力ということにしておく)に負けてしまうのか。

いや、一方的に重力に負けて落ちるのではなく、お互いが等しく引っ張り合っているけれど、彼我の圧倒的な質量差によって、相対的に引き寄せられているように見えるだけだ。

これは錯覚に違いない!

地球だって、太陽の引力から逃れらずに、365.242 190 402日周期で太陽の周りを公転しているじゃないか。

だけど、最初から地球が質量を持っていなかったら、

$$1.49597870700\times10^{11} m$$

の公転半径距離も維持できていないじゃないか。

太陽から見れば、己と地球は、相対的に質量差を見たらもう同じじゃないか。

「俺が」と、地球(世の中)とを分け隔てて考えることが馬鹿らしくなる。

「お陰様」と考えて、地球に生かされていると、素直に受け入れればいいじゃないか。

自分が頑張って、0.001mmでも地球が動けば、それでいいじゃないか。

自分が頑張るのは、自分の生き様を自分が思う通りにしたいから。相手(地球、世の中)を自分好みに変えようとするのは、そもそも相手の存在問題であって、最初から自分の手を離れた所にある課題なんだ。

原因(努力)は自分の問題で、結果(業績)は相手の問題。結果(業績)まで自分好みになったら、それは望外の拾い物。まさに「お陰様」!

俺が俺がの「我」を捨てて、お陰お陰の「下」で暮らせ!

ちなみにですが、現代に主流になっている西洋の科学文明は、ケプラー以降、神様(キリスト教)への信仰心が募って発展してきたのは明らかにされています。意外に科学と宗教は同根ですよね。

えっ、いつもこんなことを考えている人は不気味ですって? 最近嫌なことがあって落ち込んでたから、自分を元気づけるためにこじつけているだけですよ!お粗末様!^^;)

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