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■ 勝負は戦う前に既に決している!

経営戦略(基礎編)_アイキャッチ

勝因に対する洞察力が一般大衆と同じレベルでは大した戦略家だとは言えません。

(以下は孫子流の比喩の言葉が並びます)
戦闘に勝利した後、天下中の人々が立派だと褒め称えるようでは優れた戦略家とはいえない。
細い毛を持ち上げたからといって、力持ちとはいえない。
太陽や月が見えたからといって、視力が良いとはいえない。
雷鳴が聞こえたからといって、耳が良いとはいえない。

われわれ兵法家の間で優れている戦略家というのは、

「容易に勝てる態勢の敵に勝つもの」なのです。

それゆえ、優れた戦略家が戦った場合には、世間をあっと驚かせる奇抜な勝利もなく、智将だとの名声もなく、勇敢な武功もありません。

優れた戦略家の戦いというのは、勝利するのにいささかの危なげさもなく、あらかじめ勝利のために設定した状況が、もはや態勢として敗れている敵に勝つようになっているのです。

結論!
「巧みに戦う者というのは、決して敗れる恐れのない体制に身を置いて、敵が敗れさる機会を逃さない」

勝利する軍は、まず勝利を確定しておいてから、その勝利を予定通り実現しようと戦闘を始めますが、敗北する軍は、まず戦闘を開始してから、その後で勝利を求めようとします。両者は既に戦う前から歴然と勝率に差が出る戦い方をしているのです。

孫子 (講談社学術文庫)


—————–
「勝ちやすきに勝つ」
派手な勝利とはなりませんが、着実に勝利の果実を得ることが優れた戦略家です。

実態は異なるのですが、少数派が多数派に奇襲をかけて、一発逆転! 大勝利、というのに人は酔いしれます。例えば、織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦い。2000~3000人程度の織田軍が24,000人程度の圧倒的戦力差がある今川軍を、本陣奇襲で大将義元の首を上げることで勝利した、日本の戦国時代でも有名な一戦。

表面的には、少数派が奇襲により見事な逆転勝利を手に入れ、この戦いで信長の名が一躍有名になった、というのが一般的見解。それも一理あるのでしょう。しかし、どうやって、義元の首を獲ることに成功したのでしょうか?そして、義元の首を獲るだけで、どうして今川軍は崩壊して領国へすごすごと三々五々退却していったのでしょうか?

信長は、居並ぶ重臣たちがこぞって籠城を唱えましたが、援軍が来ない籠城戦に勝機は無い、と完全に見切ったわけです。そして、今川軍、敵組織の指揮命令系統や敵重臣の人間関係をつぶさに状況分析し、トップの首を取ることで、今川軍の指揮命令系統は完全に崩壊し、組織の体を為さなくなるであろうことを戦いの前から知っていました。

そして、ひそかに、今川軍の行軍の軌跡をずっと観察し、戦陣が伸び切り、本陣の守りが手薄になる頃合い、雨が降るという天候、飯炊き作業に追われる時間帯、織田軍をなめきって警戒心レベルが最低にまで落ちる段階、全てを計算したうえで、桶狭間(田楽間)に奇襲をかけたのです。

信長の心中では、この奇襲が成功するか、一か八かの賭けでは決してなく、勝利を確信したうえでの決起だったわけです。

信長は、常日頃から、領民に親しくし、地元の人の声が集まるように平時から領民経営を行っていました。だからこそ、今川軍の一挙手一投足が手に取るようにわかっていたのです。

「勝ちやすきに勝つ」

これぞ戦略家として最高!

信長は、期せずして、「名声」と「勝利の実」、名実ともにこの戦いで天下取りに名乗りを上げる大勝利を手にしました。

現代ビジネスにおいては、莫大な負債(LBOなど)で大型M&Aをしかけ、次々と事業拡大に成功しているソフトバンクの孫さん。おっと、奇遇にも「孫子」と同じ苗字でした。きっと孫さんには、戦う前(M&Aを仕掛ける前)から、勝利が見えていることでしょう。

スプリント? きっとなんとかするでしょう。(^^;)

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孫子 第4章 形篇 15 勝兵は先ず勝ちて而(しか)る後に戦うhttp://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/ab47f6b60b2243be5165d08fde098dfb-e1428423948658.jpghttp://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/ab47f6b60b2243be5165d08fde098dfb-150x150.jpg小林 友昭孫子の兵法(入門編)兵法,孫子,戦略■ 勝負は戦う前に既に決している! 勝因に対する洞察力が一般大衆と同じレベルでは大した戦略家だとは言えません。 (以下は孫子流の比喩の言葉が並びます) 戦闘に勝利した後、天下中の人々が立派だと褒め称えるようでは優れた戦略家とはいえない。 細い毛を持ち上げたからといって、力持ちとはいえない。 太陽や月が見えたからといって、視力が良いとはいえない。 雷鳴が聞こえたからといって、耳が良いとはいえない。 われわれ兵法家の間で優れている戦略家というのは、 「容易に勝てる態勢の敵に勝つもの」なのです。 それゆえ、優れた戦略家が戦った場合には、世間をあっと驚かせる奇抜な勝利もなく、智将だとの名声もなく、勇敢な武功もありません。 優れた戦略家の戦いというのは、勝利するのにいささかの危なげさもなく、あらかじめ勝利のために設定した状況が、もはや態勢として敗れている敵に勝つようになっているのです。 結論! 「巧みに戦う者というのは、決して敗れる恐れのない体制に身を置いて、敵が敗れさる機会を逃さない」 勝利する軍は、まず勝利を確定しておいてから、その勝利を予定通り実現しようと戦闘を始めますが、敗北する軍は、まず戦闘を開始してから、その後で勝利を求めようとします。両者は既に戦う前から歴然と勝率に差が出る戦い方をしているのです。 孫子 (講談社学術文庫) ----------------- 「勝ちやすきに勝つ」 派手な勝利とはなりませんが、着実に勝利の果実を得ることが優れた戦略家です。 実態は異なるのですが、少数派が多数派に奇襲をかけて、一発逆転! 大勝利、というのに人は酔いしれます。例えば、織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦い。2000~3000人程度の織田軍が24,000人程度の圧倒的戦力差がある今川軍を、本陣奇襲で大将義元の首を上げることで勝利した、日本の戦国時代でも有名な一戦。 表面的には、少数派が奇襲により見事な逆転勝利を手に入れ、この戦いで信長の名が一躍有名になった、というのが一般的見解。それも一理あるのでしょう。しかし、どうやって、義元の首を獲ることに成功したのでしょうか?そして、義元の首を獲るだけで、どうして今川軍は崩壊して領国へすごすごと三々五々退却していったのでしょうか? 信長は、居並ぶ重臣たちがこぞって籠城を唱えましたが、援軍が来ない籠城戦に勝機は無い、と完全に見切ったわけです。そして、今川軍、敵組織の指揮命令系統や敵重臣の人間関係をつぶさに状況分析し、トップの首を取ることで、今川軍の指揮命令系統は完全に崩壊し、組織の体を為さなくなるであろうことを戦いの前から知っていました。 そして、ひそかに、今川軍の行軍の軌跡をずっと観察し、戦陣が伸び切り、本陣の守りが手薄になる頃合い、雨が降るという天候、飯炊き作業に追われる時間帯、織田軍をなめきって警戒心レベルが最低にまで落ちる段階、全てを計算したうえで、桶狭間(田楽間)に奇襲をかけたのです。 信長の心中では、この奇襲が成功するか、一か八かの賭けでは決してなく、勝利を確信したうえでの決起だったわけです。 信長は、常日頃から、領民に親しくし、地元の人の声が集まるように平時から領民経営を行っていました。だからこそ、今川軍の一挙手一投足が手に取るようにわかっていたのです。 「勝ちやすきに勝つ」 これぞ戦略家として最高! 信長は、期せずして、「名声」と「勝利の実」、名実ともにこの戦いで天下取りに名乗りを上げる大勝利を手にしました。 現代ビジネスにおいては、莫大な負債(LBOなど)で大型M&Aをしかけ、次々と事業拡大に成功しているソフトバンクの孫さん。おっと、奇遇にも「孫子」と同じ苗字でした。きっと孫さんには、戦う前(M&Aを仕掛ける前)から、勝利が見えていることでしょう。 スプリント? きっとなんとかするでしょう。(^^;)現役の経営コンサルタントが管理会計をテーマに情報発信します