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世紀の大工事、“城”を曳(ひ)く 曳家(ひきや)職人・石川憲太郎 2015年11月16日 NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

TV番組レビュー
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■ 築200年の天守を動かす 世紀の大工事に挑む曳家職人

コンサルタントのつぶやき

『“城”が動く』

弘前城天守閣。江戸時代に築かれた国の重要指定文化財だ。その天守が今、倒壊の危機に瀕していた。天守の足元、石垣が老朽化し、放置すれば崩壊する危険な状態にあった。そこで石垣を補修するため、天守を移動させる。200年以上の歴史を誇る天守の大工事を任された一人の男。どんな建物も自在に動かす若き匠。曳家職人、石川憲太郎、40歳。

20151116_石川憲太郎_プロフェッショナル

番組公式ホームページより

曳家とは500年以上前から引き継がれる土木工法だ。

「曳家っていうのは建物と一緒に、人の気持ちも一緒に動かしていると思ってやっているんで、どんなことがあってもやり遂げます。」

挑むのは400トンの国の宝。次々と襲いかかる想定外の事態。半年間に及ぶビックプロジェクト。失敗は許されない。山形、米沢市の中心にある石川の会社。職人は12人。石川は現場をまとめる工事部長を務める。曳家とは、500年以上前から伝わる伝統の土木工法。建物を解体し、移築するよりも、低コストで移動できる手段として発展してきた。当時の姿のまま貴重な建物を移動できる唯一の手段として、今も重宝される、“曳家”。かつては人力でテコを動かしていたが、今はジャッキ。古い文化財や震災で傾いた家など、傷つけることなく安全に運ぶ。高齢化で職人が減る中、石川は40歳にて、国の重要文化財を任されるほどのエキスパートだ。

今年、石川の腕を見込んで、世紀の大工事の話が舞い込んだ。青森県にある国の重要文化財、弘前城の天守だ。この日、現場下見に臨んだ。

「傾いていますよね。もう明らかですよね。そこに平らな構造物ができているので、後ろに傾いているのがすごく分かりやすくなってしまいました。」

石川の目には、傾きがセンチ単位で見えるという。
(筆者注:素人の筆者がテレビ画面でじっと見ても、その傾きはわかりませんでした。)

「20センチくらいはいってるはずですね。」

傾きの原因は、江戸時代に作られた石垣の歪み。このままでは天守が崩壊しかねないという。そこで今回、石垣を改修するため、およそ400トンの天守を持ち上げて70メートル先の仮説の台に移動させる。曳家のエキスパート石川。工事に挑む前に必ず心に誓う信念がある。

『人々の思いも、運ぶ』

歴史があるほどに深まっていく建物への愛着。曳家は単なる建物の移動では済まされないと石川は言う。

「自分の中では建物と一緒に人の気持ちも一緒に動かしていると思ってやっているんで、だから、建物を壊したり潰したりすれば、その人の思いもなくなっちゃうんで、そういうあったかい思い出は、ずっと曳家終わってからも思い出せるように、無事運びたい。」

だが、現場は想像を超えていた。200年以上前に作られた建造物。設計図は存在しない。壁や柱の老朽化も激しい。壁の内部のつくりもどうなっているのか、記録もない。難工事は必至。一世一代の大仕事が間もなく始まる。

■ 重要文化財を無傷で動かす 水平をとらえるプロの目

一旦山形に戻った石川。弘前城の前に納めなければならない現場があった。旧鶴岡警察署庁舎。築130年の国重要文化財。地盤が悪く、建物全体が傾いてきたため、1メートル先に動かし、基礎工事をやり直す。一度は解体しての移築が進められたが、和洋折衷の趣を少しでも残したいと急遽、曳家することとなった。ここもまた難しい現場だった。建物の顔ともいえる入口のアーチに、2階部分がのしかかり、激しく沈み込んでいた。曳家の成否は建物全体を水平にできるかどうかで決まる。今回主要となる柱は43本。それらを鋼材で固定。ジャッキの圧力で少しずつ傾きを直しながら水平にする。だが少しでも圧力をかけ間違えれば建物が壊れてしまう。

曳家職人としての石川の凄味はその眼力。建物の構造から使われている部材、地盤の固さなどから、どこにどれだけの力を加えればよいか見切る。方針が固まった。計測した結果、43本の柱の沈み込みは全てバラバラ。最も難しいとされるアーチ部分は、6.5センチ上げなければ水平にならない。ところでここで新たな問題が持ち上がった。文化財ゆえの制限だ。柱脇に鋼材を通し、ボルトで固定すれば確実に持ち上げられる。しかし、国の重要文化財に傷は一切付けられない。そこで新たに鋼材を運び入れた石川。2本の鋼材で柱と壁を挟んで持ち上げようとしていた。僅かなミスも一切許されない現場。鋼材で挟んだ柱がずれ落ちることはないか。困難に直面した時、石川は自身にこう言い聞かせる。

『恐れを知れ』

「毎回同じ建物、同じ構造ってことがまずないので、調子に乗ってたらダメなんです。どこかひとつボタンを掛け違えただけでも大惨事に結びつくような仕事柄かなっていう。自分自身に対して過信しないように戒めるためにも、絶対臆病であるべきだと。」

目を付けたのは壁が剥がれ落ちた9センチほどの隙間。ここに板を挟めば鋼材と柱を確実に固定できるのではないか。急ごしらえで作った板を何枚も挟んで着実に固定していく。作業開始2分前。石川はさらに入り口付近のアーチ部分のジャッキを2台増やすように指示した。設置したジャッキは17台。それぞれの圧を変えながら、ミリ単位で持ち上げていく。まずは沈んでいる部分を持ち上げる。問題のアーチ部分だけがなかなか上がらない。他の圧力を弱め、アーチ部分に力を集中させる。全体の歪み具合から行けると踏んだ。1時間後、建物は狙い通り水平になった。そしてこれから移動用のレールに乗せるため、建物全体を70センチ上げる。ジャッキの位置を再度確認。柱や壁を傷つけることなく、70センチ持ち上げた。後は仮の土台ができ次第、70センチ下げる。石川は休む暇なく、次の現場に向かった。

■ 弘前城大移動を担うプロ 心に刻む若き日の大失敗

この日、石川さんの職場に向かうと、秋葉孝さんに出会った。昔の石川さんのことを聞いた。この人に職人の心を叩き込まれた。

「1日2日遅れたって、次の仕事の影響もあるけれども、けがさせたり、壁落としたりするよりいいんでねえかなっていう考え方で教えてたな。」

「曳家は臆病にやれ」。その言葉の意味を石川さんが本当に理解したのは、取り返しのつかない失敗をした後だった。

『仕事を、なめていた』

高校卒業後、入社したスーパーをすぐにやめ、ぶらぶらしている時に求人のチラシを見て入社したのが今の会社だった。15人を超えるベテランの中で唯一の新人。毎日雑用に追われた。横目で先輩職人の仕事を見ているうちに、やがて、ある感情が沸き起こってきた。「俺より仕事が遅い」。

「自分よりも先輩の方が遅いんじゃないかとか、もっと自分の方がうまくできるんじゃないかと思ったりも見てる中であったんで、自分がやりたいっていう思いが徐々に出てきた。」

ようやく現場リーダーを任されるようになったのは、20代半ばの頃。ある仕事を託された。何代も受け継がれてきた会津若松の古い土蔵。現場を見るなり思った。「やれる!」素早くジャッキをセットすると、蔵を持ち上げた。しかし次の瞬間、、、

「一瞬何が起きたか、まず真っ白になったんで。なんだろうって。ようやく中を見て、ああ、ジャッキが倒れている。あと、建物がずれている。」

蔵は傾き、壁は崩れた。不安定な地盤にジャッキを立てた初歩的なミスが原因だった。家主の怒鳴り声が響いた。

「そのままの形で残したいから、お前たちに頼んでいるのに、お前たちが壊してどうするんだ、っていう。もうどうすることもできなかったです。あのときは。完全に打ちのめされました。」

臆病なほど、時間をかけて仕事をしていた先輩職人たち。その本当の意味が分かった。心を入れ替えた。下準備を徹底した。建物の構造や強度、地盤の固さ、ジャッキの位置、圧力。確認の上に確認を繰り返す。

『恐れを知れ』

どんなに時間がかかっても、納得するまでは作業を進めない。曳家という仕事にのめり込んでいった。曳家職人になって20年余り。あの時叱ってくれた先輩にやっと冗談も言えるようになった。

■ 密着! 弘前城天守の大移動 200年の歴史をつなぐ曳家職人

7月、石川が青森、弘前に入った。これから4ケ月、部下たちと寝食を共にしながら大工事に挑む。

『200年の重み』

およそ400トンの天守を石垣から切り離し、移動させる今回の大工事。調査の結果、天守は最大27センチも沈み込んでいた。中でも厄介な場所があった。入り口の扉部分。外から湿気が入り込み、土台の傷みが激しい。しかも腐っている土台には、200キロを超えると見られる扉が乗っていた。更に難題があった。中心部分の柱は鋼材で挟み、持ち上げることができる。しかし、壁に埋め込まれている52本の柱は固定できない。鋼材を下に入れようにも、壁の下は石垣で、地面を掘ることはできない。

工事着工の日を迎えた。200年前に建てられた店主の柱は経年変化で微妙にずれ、真っ直ぐに並んでいない。鋼材が密着するよう板を何枚も挟み、隙間を埋めていく。問題の壁はどう持ち上げるか? 今回、石川は自身にとっても初となるある方法を用意していた。持ち込んだのは、壁に直接ひっかけるかぎ状のジャッキ。地面と壁の間にかぎ状のジャッキを入れ、壁を持ち上げる。これで最大27センチ上げて、天守を水平に戻す計画だ。しかし、柱と壁、別々のジャッキを同時に動かすのは至難の業だ。ジャッキは柱に27台、壁に10台。そのどれかが数ミリ想定よりも上がればたちまち壁が歪み、ひびが入ってしまう。

繊細なジャッキアップが求められる今回の現場。石川自らジャッキを操作する。まず、柱に圧力をかける。間を空けず、壁のジャッキにも圧をかける。次は柱と壁で12台のジャッキを同時に上げる。柱に比べ、壁はほとんど上がっていない。目標は27センチ。だが石川は3ミリ上げただけでこの日の作業を終えた。

「恐れをなくして挑戦すればたぶん、まだまだ上げられるけど、今のところ、まだここでしか張っていないからもうちょっとね。」

翌日、抑え気味にしていた壁側のジャッキを強めにしてみる。2時間をかけ、5センチ持ち上げた。しかし、200キロを超える入口の扉。このまま持ち上げると、壁自体が耐え切れない。実は、弘前城の曳家は今回が初めてではない。およそ100年前にも今回同様の石垣の改修工事が行われた。

「昔の何もないときにやった職人さんの力とか知恵が生きているのかなと思うと、相変わらず昔の人ってすごいなってふうに思いますね。」

昔の職人は見事に曳家をやり遂げた。果たして自分は。。。

『200年分の思いを、つなぐ』

この日、石川の指示で木材の加工が始まった。200キロもの扉がある壁。その扉から飛び出ている部分に木材を挟む。石川の作戦は、部材に木材をあてて、ジャッキアップの力で全体を持ち上げようというものだった。考え抜いた末にたどり着いた結論。だが、うまくいかなければ八方ふさがり。腕が試される。更に圧を加える。壁は崩れることなく、確実に持ち上がった。先が見えた。2日後、無事、27センチの歪みを直した。

8月16日、地切式当日。天守を10センチ宙に浮かせる。天守は、2ヶ月かけて70メートル移動した。10月24日、世紀の大工事が終わった。200年の重みを支え切った。

プロフェッショナルとは?

「根性ですね。
 技術うんぬんではなく、精神面だったり、強い心、
 そして芯の通った気持ちを持ち続けることが、
 プロフェッショナルじゃないかなと思っています。」

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番組ホームページはこちら
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