西郷隆盛(2)命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬというような人物は処理に困るものである。

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■ 無欲の人は無敵の人である!

命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬ
というような人物は処理に困るものである。
このような手に負えない人物でなければ、
困難を共にして、
国家の大業を成し遂げることはできない。

しかし、このような人物は普通の人の眼では
見抜くことができぬと言われるので、
それでは孟子が

「仁という広い家に住み、
礼という正しい位置に立ち、
義という大道を歩む。
もし、志を得て用いられたら
民と共にその道を行い、
志を得ないで用いられなければ、
独りでその道を実践する。
そういう人は、
どんな富や身分もこれを汚すことはできないし、
貧しく身分が低いことによって心がくじけることもない。
力をもってもこれを屈服させることはできない」

と言っていますが、
このような人物が
いま仰せられたような人物のことでしょうかと尋ねると、
その通りだ、真に道を行う人でなければ、
そのような姿にはならないものだと答えられた。

20180205_西郷隆盛

(陸軍大将・近衛都督 /1828~1877)
——————–

誰かを攻略するとき、その人の好物を餌にチラつかせて、交渉事を有利に運ぼうとするやり方があります。それは、時にはお金であったり地位であったり、名誉だったりします。

しかし、無欲の人を釣る餌は、探すのに苦労します。これは物欲や権勢欲にように、一般的な道徳において悪しきものとされるもの以外でも、困りものです。例えば、自分の中の正義に固執する人は、どんなに正論であっても、その人の中の理屈を通してあげないと賛意を得られないからです。

逆に言うと、世の中一般的に「正義」とされる道を示してあげれば、一般受けもいいし、ターゲットとする人も口説くことができます。これが西郷どんがいうところの「手に負えない人物」かもしれません。

でもね、私が一番手こずるのは、そうした「義」や「仁」の心も持たない人を説得すること。つまり、「正義」や「正論」、「仁義」に訴えても動かない人物。西郷どんですら、薩摩士族に祭り上げられて、西南戦争で担ぎ上げられて、多くの血を流してしまったわけです。

そういう意味では、西郷どんは「義」「仁」を強く欲する人だったということになり、そこが攻め口になってしまいました。つまり、ある意味では「無欲」ではなかったわけです(ちょっと厳しい論評ですがね)。

それゆえ、何に対しても無欲の人が誰にも攻略されないという意味で最強なのです。それは、無気力な人という意味ではありません。本当に無気力な人は説得するにも価しないので、無視すればいいだけなので。

えっ、真の意味で無欲な人の攻略法を教えてほしいって?
それが分かったら私もこんなに悩んでいません。(^^;)

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