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■『組織は戦略に従う』でチャンドラーが本当に語ったこととは?

経営戦略(基礎編)_アイキャッチ

「経営戦略」の歴史を、三谷宏治著「経営戦略全史」(以下、本書)をベースに説明していきます。日本の経営戦略本には、かの名言と共にチャンドラーが必ずと言っていいほど、登場します。チャンドラーが、『組織は戦略に従う(邦題)』(原題:Strategy and Structure)は1962年に出版され、前回登場したアンゾフが『企業戦略論』を1965年に上梓しています。同い年の2人は、互いに、「戦略」と「組織」について語りましたが、

チャンドラー:「戦略」⇒「組織」
アンゾフ:「組織」⇒「戦略」

という対立構造で後の世に知られることになりました。しかし、実際は、両人とも、「⇒」ではなく、「⇔」と言っているんですね。チャンドラーは1989年の新版序文(邦訳は2004年)で「⇔」を訴え、アンゾフは、新著『戦略経営論』(1979年)で同じく「⇔」を改めて訴えています。

では改めて、本書より、チャンドラーの『Strategy and Structure』の本意と、この本が世に出た際の経営環境につい背景説明したいと思います。この本は、チャンドラーが10年以上かけた調査研究の集大成で、米国トップ企業4社の詳細な戦略・組織研究(ケーススタディ)が本文の過半を占めます。チャンドラーが「最初の経営史家」と呼ばれる所以です。それになぞらえるなら、アンゾフは定めし「最初の経営戦略家」でしょうか。

・デュポン
・GM
・スタンダード石油ニュージャージー(現:エクソン・モービル)
・シアーズ・ローバック

組織イノベーションを起こした代表企業として選ばれたのは上記4社。いずれも自社の危機的状況に立ち向かうために、大きな戦略と組織の変更を経験していました。

① 最初の事業拡大とそれに伴う経営資源の増大が生じた段階
② 資源活用の合理化が生じた段階
③ 経営資源を生かし続けるための、新市場・新製品ラインへの進出が生じた段階
④ 短期の需要、長期の市場トレンドの両方に対応しながら経営資源を生かすための組織改編の実施が生じた段階

時代背景が同じことから、アンゾフが事業多角化を議論したのと同じ経営環境の変化をチャンドラーも踏まえていたことが分かります。チャンドラーの観察したところ得られた洞察は、

・集権的職能別組織(本社の機能部門が全てを決める)から、本社と製品別または地域別事業部制組織への転換

・組織の単純な拡大が分権化(事業部制)を推し進めたのではなく、事業の多様化が分権化を促した

・本業と異なるビジネスを管理するのには骨が折れるため、集権的組織から権限移譲が事業部に行われた

といったところです。それゆえ、

「多角化戦略を推し進めるには事業部制に転換すべきだ!」

というロジックが世に広く受け入れられ、あのキャッチフレーズ『組織は戦略に従う』が誕生したのです。

事業部制については、
⇒「組織管理(2)- 組織デザインパターンの応用形 「機能別組織」と「事業部制組織」の間には
⇒「組織管理(3)- 組織デザインのための理論 「組織は戦略に従う」のか「戦略は組織に従う」のか?

しかし、チャンドラーが本当に言いたかったこととは、
「組織と戦略はお互いに大きく影響する」
「戦略は外部環境に従って大きく変わるし、変えやすい」
「でも組織はなかなか変わらないから、その妨げになる事が多い」
「しかし、逆に組織が変わることで戦略が変わることも多い」

ということです。現代の筆者のようなコンサルタントが拝命するテーマも、プロセスとITの仕組みを新しいコンセプトに従い、刷新しますが、その後の運用も新たにできるかに注力します。これを「チェンジマネジメント」と呼び、新システム構築に1年かけてサービスイン(カットオーバー)した後、構築にかけた時間以上(1~3年程度)に組織を変える活動に力を入れることを行います。こう書くと、またコンサルは、お金が欲しいから契約を引き延ばそうとする口実を探しているんだな、と思われがちであることも十分に認識しています。でも、「組織」(もっというと組織風土や従業員のマインド)は変わりにくいのです。ITの仕組みばかり新しくなっても、それを使う人の意識が変わらないと、逆に業務効率が落ちたままになり、新IT導入は失敗だ、という烙印を押されるのが落ちです。

 

■ 「組織が戦略を変えた」3つの事例

以下、本書から3つの事例を簡約させて頂くと、

<事例1:余剰人員活用のための多角化>
世界で初めて事業部制をひいたのは1920年代のデュポンです。その引き金になったのは、第1次世界大戦中、各国の要請で設備や人員を増やし、戦後、その有効活用に迫られての本格的多角化の実践でした。当時、アメリカ合衆国は、伝統である「モンロー主義」(アメリカ合衆国はヨーロッパ諸国に干渉しないが、同時にアメリカ大陸全域に対するヨーロッパ諸国の干渉にも反対する)を謳い、大戦当初は中立を守り、戦後も国際連盟へは不参加となったという、世界史で習ったアレの影響です。

日本での好例は、キヤノンでしょう。ソノシートという電子機器商品立ち上げに大失敗した後の、エレクトロニクス技術者活用のために、様々な新規事業が立ち上がりました。

「組織」⇒「戦略」 が成り立つのはこういう時のことを言うのでしょうか。

 

<事例2:事業部制が事業拡大・海外展開戦略を促す>
デュポンは、本業だった化学繊維レイヨンの開発・生産能力を生かして、まったく市場の異なる防湿セロファンの分野で大成功を収めます。その後、ナイロン、アクリル、ポリエステルと進んでいきます。新しい事業は、事業部として順々に立ち上げればよい、と学習したわけです。

ちなみに、『化学繊維』には合成繊維・半合成繊維・再生繊維の3つに分類することができます。

合繊繊維:主に石油を原料としている
ポリエステル・アクリル・ポリウレタン・ポリエステル・ビニロン・ポリオレフィン。その中でもナイロン・ポリエステル・アクリルは三大合成繊維と呼ばれる

半合成繊維:セルロースやタンパク質のような天然原料に化学薬品を反応させて作った繊維
・アセテート、トリアセテート、プロミックス等

再生繊維:植物系と化学系の2つに分けられます。植物のセルロースを化学的に取りだし一度溶かし繊維に作り変えた植物系のものと、ペットボトル等の再生をした化学系の2つがある
・レーヨン・キュプラ・アセテート・ポリノジック等

すみません、完全文系の自分には、事業部を分けないと立ち行かないほど、製品バリエーションがあるとは思えないのですが、、、素材系の人に言わせれば、①製法が全く異なる、②顧客が全く異なる、ということらしいです。よくありますよね、専門外のことは何でも同じに見えるやつ。

事業部制の発明のおかげで、大企業における事業の多角化展開が楽になり、第二次世界大戦以降、大企業はこぞって地理的・製品的な拡大を推し進めました。これも、「組織」⇒「戦略」の例です。

しかし、ここまでは、アンゾフのいう「関連多角化」。その大企業の事業多角化の熱は冷めず、1960年代のM&Aブームと70年代に起こった「無関連多角化」の嵐でした。その後、事業多角化は、ほぼ無関連多角化を目指すものと同義になっていきます。

 

<事例3:管理しきれずリストラクチャリング戦略>
そしてとうとう、さすがの事業部制という魔法の装置も、事業多角化の管理負荷を支えきれなくなります。1969年当時、GEは46、コングロマリットのリットンは70もの事業部を抱え、本社と事業部門上層部のコミュニケーションは途絶し、全社管理は崩壊寸前になりました。

ここでまた、その組織的要請から戦略が変わります。事業の絞り込み、リストラクチャリング戦略が始まったのです。現代風に言うと、「選択と集中」「総花的経営からの脱却」です。1970~80年代、アメリカ企業は企業の解体や再構築の波に洗われました。1981年から2001年までGEのCEOを務めたジャック・ウェルチは就任直後から「世界でシェアが1位か2位でなければ撤退する」と宣言し、事業分野を3分の1以下に絞り込んで、大成功を収めます。

①「リストラ」「ダウンサイジング」と呼ばれる大規模な整理解雇による資本力の建て直し
② 企業の合併・買収(M&A)と国際化の推進

会社を守り、人材を守らないことから、「建物を壊さずに人間のみを殺す中性子爆弾」の特性になぞらえて「ニュートロンジャック」と綽名されましたが、No.1、No.2戦略は、すぐに方向転換されたことはあまり知られていません。CEO就任直後、それまで上司だった並み居る事業部長に対してリストラという強権発動をした後、GEはPPM理論に基づき、新規事業育成も怠りませんでした。チャンドラーのキャッチフレーズの件といい、世間は本当にマジックワードに弱いものですね。

 

■ チャンドラーが本当に言いたかったこと

本書によりますと、
アンゾフが言う通り、「戦略」が中期にわたる自社の「あるべき姿(To-Be)」と「現在の姿(As-Is)」のギャップを埋める「方針」なのだとすれば、それは当然、事業(顧客、市場、製品別)にも組織(組織デザイン、権限、プロセス)にも同様に当てはまります。つまり、ここで議論されていたのは「戦略と組織」の対立構造や、どっちが先かという依存関係ではなく、「事業戦略と組織戦略」の相互作用のお話しだったのです。

チャンドラーが4社のケーススタディで見出したのは、

「経営者にとって事業戦略(や事業ポートフォリオ戦略)は変えやすく、組織戦略は変えにくい(実行が難しい)から、事業戦略に沿って組織戦略を立案・実行した方が無難である」

という安全策なのでした。マッキンゼーをはじめとする経営コンサルティング会社が、これを「事業部制導入」という売れる商品に仕立てた、ということです。今日はここまで。

(注)職業倫理の問題から、公開情報に基づいた記述に徹します。また、それに対する意見表明はあくまで個人的なものであり、筆者が属するいかなる組織・団体の見解とも無関係です。

経営戦略(基礎編)_経営戦略概史(9)チャンドラーは本当に「組織は戦略に従う」と言ったのか?

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経営戦略概史(9)チャンドラーは本当に「組織は戦略に従う」と言ったのか?http://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/ab47f6b60b2243be5165d08fde098dfb-e1428423948658.jpghttp://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/ab47f6b60b2243be5165d08fde098dfb-150x150.jpg小林 友昭経営戦略(基礎編)GE,PPM理論,アンゾフ,ジャック・ウェルチ,ダウンサイジング,チェンジマネジメント,チャンドラー,デュポン,リストラ,リストラクチャリング,三谷宏治,事業部制,組織は戦略に従う,経営戦略,経営戦略全史■『組織は戦略に従う』でチャンドラーが本当に語ったこととは? 「経営戦略」の歴史を、三谷宏治著「経営戦略全史」(以下、本書)をベースに説明していきます。日本の経営戦略本には、かの名言と共にチャンドラーが必ずと言っていいほど、登場します。チャンドラーが、『組織は戦略に従う(邦題)』(原題:Strategy and Structure)は1962年に出版され、前回登場したアンゾフが『企業戦略論』を1965年に上梓しています。同い年の2人は、互いに、「戦略」と「組織」について語りましたが、 チャンドラー:「戦略」⇒「組織」 アンゾフ:「組織」⇒「戦略」 という対立構造で後の世に知られることになりました。しかし、実際は、両人とも、「⇒」ではなく、「⇔」と言っているんですね。チャンドラーは1989年の新版序文(邦訳は2004年)で「⇔」を訴え、アンゾフは、新著『戦略経営論』(1979年)で同じく「⇔」を改めて訴えています。 では改めて、本書より、チャンドラーの『Strategy and Structure』の本意と、この本が世に出た際の経営環境につい背景説明したいと思います。この本は、チャンドラーが10年以上かけた調査研究の集大成で、米国トップ企業4社の詳細な戦略・組織研究(ケーススタディ)が本文の過半を占めます。チャンドラーが「最初の経営史家」と呼ばれる所以です。それになぞらえるなら、アンゾフは定めし「最初の経営戦略家」でしょうか。 ・デュポン ・GM ・スタンダード石油ニュージャージー(現:エクソン・モービル) ・シアーズ・ローバック 組織イノベーションを起こした代表企業として選ばれたのは上記4社。いずれも自社の危機的状況に立ち向かうために、大きな戦略と組織の変更を経験していました。 ① 最初の事業拡大とそれに伴う経営資源の増大が生じた段階 ② 資源活用の合理化が生じた段階 ③ 経営資源を生かし続けるための、新市場・新製品ラインへの進出が生じた段階 ④ 短期の需要、長期の市場トレンドの両方に対応しながら経営資源を生かすための組織改編の実施が生じた段階 時代背景が同じことから、アンゾフが事業多角化を議論したのと同じ経営環境の変化をチャンドラーも踏まえていたことが分かります。チャンドラーの観察したところ得られた洞察は、 ・集権的職能別組織(本社の機能部門が全てを決める)から、本社と製品別または地域別事業部制組織への転換 ・組織の単純な拡大が分権化(事業部制)を推し進めたのではなく、事業の多様化が分権化を促した ・本業と異なるビジネスを管理するのには骨が折れるため、集権的組織から権限移譲が事業部に行われた といったところです。それゆえ、 「多角化戦略を推し進めるには事業部制に転換すべきだ!」 というロジックが世に広く受け入れられ、あのキャッチフレーズ『組織は戦略に従う』が誕生したのです。 事業部制については、 ⇒「組織管理(2)- 組織デザインパターンの応用形 「機能別組織」と「事業部制組織」の間には」 ⇒「組織管理(3)- 組織デザインのための理論 「組織は戦略に従う」のか「戦略は組織に従う」のか?」 しかし、チャンドラーが本当に言いたかったこととは、 「組織と戦略はお互いに大きく影響する」 「戦略は外部環境に従って大きく変わるし、変えやすい」 「でも組織はなかなか変わらないから、その妨げになる事が多い」 「しかし、逆に組織が変わることで戦略が変わることも多い」 ということです。現代の筆者のようなコンサルタントが拝命するテーマも、プロセスとITの仕組みを新しいコンセプトに従い、刷新しますが、その後の運用も新たにできるかに注力します。これを「チェンジマネジメント」と呼び、新システム構築に1年かけてサービスイン(カットオーバー)した後、構築にかけた時間以上(1~3年程度)に組織を変える活動に力を入れることを行います。こう書くと、またコンサルは、お金が欲しいから契約を引き延ばそうとする口実を探しているんだな、と思われがちであることも十分に認識しています。でも、「組織」(もっというと組織風土や従業員のマインド)は変わりにくいのです。ITの仕組みばかり新しくなっても、それを使う人の意識が変わらないと、逆に業務効率が落ちたままになり、新IT導入は失敗だ、という烙印を押されるのが落ちです。   ■ 「組織が戦略を変えた」3つの事例 以下、本書から3つの事例を簡約させて頂くと、 <事例1:余剰人員活用のための多角化> 世界で初めて事業部制をひいたのは1920年代のデュポンです。その引き金になったのは、第1次世界大戦中、各国の要請で設備や人員を増やし、戦後、その有効活用に迫られての本格的多角化の実践でした。当時、アメリカ合衆国は、伝統である「モンロー主義」(アメリカ合衆国はヨーロッパ諸国に干渉しないが、同時にアメリカ大陸全域に対するヨーロッパ諸国の干渉にも反対する)を謳い、大戦当初は中立を守り、戦後も国際連盟へは不参加となったという、世界史で習ったアレの影響です。 日本での好例は、キヤノンでしょう。ソノシートという電子機器商品立ち上げに大失敗した後の、エレクトロニクス技術者活用のために、様々な新規事業が立ち上がりました。 「組織」⇒「戦略」 が成り立つのはこういう時のことを言うのでしょうか。   <事例2:事業部制が事業拡大・海外展開戦略を促す> デュポンは、本業だった化学繊維レイヨンの開発・生産能力を生かして、まったく市場の異なる防湿セロファンの分野で大成功を収めます。その後、ナイロン、アクリル、ポリエステルと進んでいきます。新しい事業は、事業部として順々に立ち上げればよい、と学習したわけです。 ちなみに、『化学繊維』には合成繊維・半合成繊維・再生繊維の3つに分類することができます。 合繊繊維:主に石油を原料としている ポリエステル・アクリル・ポリウレタン・ポリエステル・ビニロン・ポリオレフィン。その中でもナイロン・ポリエステル・アクリルは三大合成繊維と呼ばれる 半合成繊維:セルロースやタンパク質のような天然原料に化学薬品を反応させて作った繊維 ・アセテート、トリアセテート、プロミックス等 再生繊維:植物系と化学系の2つに分けられます。植物のセルロースを化学的に取りだし一度溶かし繊維に作り変えた植物系のものと、ペットボトル等の再生をした化学系の2つがある ・レーヨン・キュプラ・アセテート・ポリノジック等 すみません、完全文系の自分には、事業部を分けないと立ち行かないほど、製品バリエーションがあるとは思えないのですが、、、素材系の人に言わせれば、①製法が全く異なる、②顧客が全く異なる、ということらしいです。よくありますよね、専門外のことは何でも同じに見えるやつ。 事業部制の発明のおかげで、大企業における事業の多角化展開が楽になり、第二次世界大戦以降、大企業はこぞって地理的・製品的な拡大を推し進めました。これも、「組織」⇒「戦略」の例です。 しかし、ここまでは、アンゾフのいう「関連多角化」。その大企業の事業多角化の熱は冷めず、1960年代のM&Aブームと70年代に起こった「無関連多角化」の嵐でした。その後、事業多角化は、ほぼ無関連多角化を目指すものと同義になっていきます。   <事例3:管理しきれずリストラクチャリング戦略> そしてとうとう、さすがの事業部制という魔法の装置も、事業多角化の管理負荷を支えきれなくなります。1969年当時、GEは46、コングロマリットのリットンは70もの事業部を抱え、本社と事業部門上層部のコミュニケーションは途絶し、全社管理は崩壊寸前になりました。 ここでまた、その組織的要請から戦略が変わります。事業の絞り込み、リストラクチャリング戦略が始まったのです。現代風に言うと、「選択と集中」「総花的経営からの脱却」です。1970~80年代、アメリカ企業は企業の解体や再構築の波に洗われました。1981年から2001年までGEのCEOを務めたジャック・ウェルチは就任直後から「世界でシェアが1位か2位でなければ撤退する」と宣言し、事業分野を3分の1以下に絞り込んで、大成功を収めます。 ①「リストラ」「ダウンサイジング」と呼ばれる大規模な整理解雇による資本力の建て直し ② 企業の合併・買収(M&A)と国際化の推進 会社を守り、人材を守らないことから、「建物を壊さずに人間のみを殺す中性子爆弾」の特性になぞらえて「ニュートロンジャック」と綽名されましたが、No.1、No.2戦略は、すぐに方向転換されたことはあまり知られていません。CEO就任直後、それまで上司だった並み居る事業部長に対してリストラという強権発動をした後、GEはPPM理論に基づき、新規事業育成も怠りませんでした。チャンドラーのキャッチフレーズの件といい、世間は本当にマジックワードに弱いものですね。   ■ チャンドラーが本当に言いたかったこと 本書によりますと、 アンゾフが言う通り、「戦略」が中期にわたる自社の「あるべき姿(To-Be)」と「現在の姿(As-Is)」のギャップを埋める「方針」なのだとすれば、それは当然、事業(顧客、市場、製品別)にも組織(組織デザイン、権限、プロセス)にも同様に当てはまります。つまり、ここで議論されていたのは「戦略と組織」の対立構造や、どっちが先かという依存関係ではなく、「事業戦略と組織戦略」の相互作用のお話しだったのです。 チャンドラーが4社のケーススタディで見出したのは、 「経営者にとって事業戦略(や事業ポートフォリオ戦略)は変えやすく、組織戦略は変えにくい(実行が難しい)から、事業戦略に沿って組織戦略を立案・実行した方が無難である」 という安全策なのでした。マッキンゼーをはじめとする経営コンサルティング会社が、これを「事業部制導入」という売れる商品に仕立てた、ということです。今日はここまで。 (注)職業倫理の問題から、公開情報に基づいた記述に徹します。また、それに対する意見表明はあくまで個人的なものであり、筆者が属するいかなる組織・団体の見解とも無関係です。現役の経営コンサルタントが管理会計をテーマに情報発信します