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ものづくりでファッションに革命起こした“エジソンを超えた男” 島精機製作所社長・島正博 2016年1月21日 TX カンブリア宮殿

TV番組レビュー
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■ セーターが丸ごと編み上がる! 世界が驚愕する「魔法の機械」

コンサルタントのつぶやき

前後の身頃と左右の袖、4つのパーツを縫い合わせてニットのセーターは出来上がる。手編みだと完成までに1ヶ月程度を要する。そうやってふつうは作るニット衣料だが、ちょっと風変わりなお店がある。

● 京都市 ニット工房 天使のにっと
http://angelknit.jp/

その主役は店の真ん中にドーンと置かれた大きな編み機。客のサイズに合わせたデータを入力すれば、機械が自動で動きだし、約1時間で、縫うことなく丸ごと編み上げる。後は糸を外して余分な部分を取るだけ。サイズに合わせて編むから体にジャストフィット。そして最大の特徴は縫い目が無いこと。縫い目が無いからゴロゴロせず、突っ張らなくて着心地が格段に良い。

その機械のメカニズムは、左右の袖と身頃を下から同時に編み始め、上の部分でひとつに編み上げる。世界で唯一の技術を搭載した魔法の編み機。この機械を作ったのは、和歌山にある「島精機製作所」だ。創業54年の機械メーカーだ。その製造現場はなんと手作り。熟練工の業が魔法の編み機を作りだしていた。部品の約8割を内製化している。自前主義でまねのできない精度を生み出すのだ。

他にも島精機が世界で初めて作った機械が。世界初、全自動“手袋”編み機。凹凸のあるニット生地に鮮やかな色を入れることができるインクジェット印刷機。まるで刺繍のような立体感! こうした独創的なものづくりで年商480億円。編み機では世界シェアNo.1。

島精機製の編み機は世界中で使われ、ここイタリアの知らない人はいないという巨大ニットメーカー「グランサッソ」でも使われている。その数なんと100台。

● グランサッソ Online Shop
http://www.brshop.jp/onlineshop/item/gransasso/index.php

島精機の編み機は、ベネトン、PRADA、GUCCI、MaxMaraなど、名だたるブランドで使われている。この世界初の無縫製ニットを生み出す編み機を作ったのは、78歳にしてバリバリの開発者であるこの男、島精機製作所・社長:島正博。

20160121_島正博_カンブリア宮殿

番組公式ホームページより

 

■ 「魔法の編み機」で世界驚かす 78歳の現役“発明家”社長!

島精機のユニークなアパレル機械のほとんどは、実は島が考え作りだしてきた。完全無縫製編み機が島最大の発明。島はこの編み機に「ホールガーメント(丸ごと・衣料)」と名付けた。実は無縫製編み機には元があった。1964年に開発に成功した「全自動“手袋”編み機」だ。この機械は1本の糸で丸ごと手袋を編んでいる。手袋を逆さましてセーターをイメージして、ニットセーターも無縫製で雨ないかと思案したのだ。島は部品や仕組みをひとつひとつ自分で開発していく。そして実に30年の月日を費やし、1995年、全自動“丸ごと”編み機が完成。産声を上げたホールガーメント。お披露目の場はイタリア・ミラノの見本市。出展すると、世界のアパレル関係者の注目の的に。

2015年、国際繊維機械展(ITMA)がミラノで開催。4年に一度の繊維機械業界のオリンピックだ。46の国・地域からメーカー、1700社が出展した。島精機も無縫製編み機の最新機種を出展。これまでの4分の1の時間で編み上がる。さらに、デザイン性の高い複雑な形状のニットも編めるように。またファッション業界に革命。

「どこのメーカーも世に無いもの、新鮮な魅力のある服を作りたい。この機械なら、そういうものができる。」

ニッポンの技術力ここにあり!
世界を驚かす生涯一発明家。

<島精機 発明の歴史>
1964年 全自動 手袋編み機(世界初)
1967年 全自動 襟編み機(世界初)
1978年 コンピュータ制御の横編み機
1985年 ニットの寸法誤差 制御システム(世界初)
1995年 完全無縫製横編み機「ホールガーメント」
2015年 「ホールガーメント」最新機種

ホールガーメントの発表前に、編み方をコンピュータで制御し、さらに誤差無く編む技術も画期的な制御システムを上市。この機械も世界中で使われている。島精機の売り上げの約9割が海外。主力は“ニット生地”を誤差無く編む機械。

村上氏が指摘するところによると、ユニクロ、H&M、ザラなど、ファストファッション企業は、誤差無く編む技術力を必要とし、それが海外売上高9割の秘密だそうだ。また、世界販売シェアで無縫製ニットの割合は現在、0.1%だという。

「無縫製ならば、ファッションが立体的になる。最終消費者にとって「誰も着てないもの」を着られる喜びがある。これがビックイノベーションにつながる。」

■ 「エジソンを超えた男」 78歳の現役“発明家”社長!

島精機の工場内にあるエレベーターは一風変わっている。各階の乗り口には、行き先階を表示したボタンが並んでいるのだ。普通のエレベーターは上下のボタンしかないのに。乗る前に階数を指定できるエレベーター、これも島が考案した。

「1秒でも違う。一生の間に「1秒」がどれだけあるか、すごい累積になる。」

島が発明したのは編み機だけではない。これまでに取得した特許は600件以上。和歌山が生んだ発明王なのだ。そんな島の何よりの自慢は、

「発明資産が1100件ぐらいになっていますね。トーマス・エジソンが生涯で1089の発明をした。」

自分の発明資産が全て特許を取ることができれば、エジソンを超えるというのだ。

「エジソンの発明は世界中で証明された立派なもの。僕の発明はレベルは低いけれど、数ではエジソンに並んでちょっと追い抜いた。」

■ 「エジソンを超えた男」 永遠の“発明少年”秘話

世界に2つとない編み機を発明した自称、エジソンを超えた男、島。天才発明家はいかにして世に出たのか? 1937年(昭和12年)和歌山県生まれ。父親は7歳の時に戦死し、母親一人の手で育てられた。小さな頃から工作好きな少年だった。16歳の時、転機が。きっかけは、母親が内職していた手袋の繕い仕事だった。当時は手首の部分が分かれていて、これを縫い合わせていたのだが、とても時間がかかっていた。その仕事を見ていた島は、「なんて効率が悪いんや。俺がなんとかしたろ」。発明少年の魂に火が付いた。そのころ近所の修理工場でアルバイトをしていた島は、暇を見つけては手袋を縫い合わせる機械作りに没頭した。島が初めて作った製造機械。1953年(16歳):手袋縫い合わせ機が完成。手袋専用のミシンだ。これで母親の仕事は楽になり、多くの女性も喜んだ。天才発明少年の島の名は地元で有名に。

(筆者注:「必要は発明の母」というけれど、まさしく母を助けたい気持ちが生み出した発明品!)

その後、定時制の工業高校を卒業すると、1962年(24歳)に、自分の発明を生かすため、島精機製作所を設立。世界を驚かせ続けてきた島、そのデスクは開発室にある。78歳の今も開発のトップだ。引き出しの中から出てきたのはアイデアスケッチの束。寝ても覚めても、夢の中でも発明のことを考え続けているという。

「世界に無いものをつくるのだから見本が無い。」

「8歳から近所の縫製機械(ミシン)の修理工場で働いていた。8歳の終わりにはミシンの改良を既に手掛けていた。

「みんながびっくりするくらいが面白い。気持ちいい。だからつくってみようと。」

(村上氏)
「アイデアはどこから来るんですか?」

「どうしたらいいかと考える。その「ひらめき」が早い。」

■ 「エジソンを超えた男」 ニッポンのアパレル産業を救う

NHKのハイビジョン放送向けのCGシステムまで作っていた。島が30年前に開発した。実はこのCGシステムも本業に生かすための発明だった。それが、ファッション“デザイン”システムだ。編み柄のデザイン、糸の種類や色をパソコン画面で選択し、本物さながらにデザインすることができる。開発の理由は単純。編む前に出来上がりを見られれば便利やな、と島が思ったから。さらにすごい所は、このシステムでデザインすれば、編み機に編み方を指示するプログラムも同時にできてしまう所。これも世界で島だけの技術だ。

従来は、デザイナーとニット工場間では、手書きのデザイン画でやり取りしていた。この手書きのデザイン画を元に、工場側で編み方のプログラムを制作。試作品を編み上げ、デザイナーのもとに送る。デザイナーのイメージと違えば何度も合うまで試作を繰り返す。
しかし、島のデザインシステムを使って、デジタルデータで情報をやり取りすれば、最初からデザインと編み方が分かるので、出来上がりのイメージがずれることはない。やり直しの手間が無くなり、いち早く商品化ができるのだ。

(筆者注:うーん、デジタルでつながり、工場の生産性革命を引き起こした。ドイツ本場の「インダストリー4.0」を既に実現している!!!)

後はプログラミングデータが入ったUSBメモリを編み機に差し込むだけで量産できる。デザインシステムが編み機に連動しているので、自動的に編み上がる。このデザインシステム導入により、デザイナーとやり取りする期間が1ヶ月短縮できたという。

ニット工場「寺田ニット」の寺田社長が語る。
「一針たりともずれていない。仮に1万枚編んでも全部ずれがなく店に出る。」

国内のニット工場は労賃の安い海外に押され、ピーク時の6分の1に減少している。しかし、効率と高品質を両立する島の機械があれば、国内でもものづくりがやっていけるはず。

再び、寺田社長語る。
「早くできても完成度が高くないと商品とは言えないが、そのためには島精機のシステムはものすごく強い味方。」

出来上がった試作品はすぐさまデザイン会社(アパレルブランド「フランドル」)へ送られる。

● フランドル
http://www.flandre.ne.jp/
● フランドル マガジン
http://www.flandre-magazine.com/
ここに、寺田ニットさんへの工場訪問の記事があります。
http://www.flandre-magazine.com/monozukuri/dear_factories/story/vol1/

そしてニットの季節を迎えた東京銀座の老舗百貨店「銀座三越」にある女性服売り場「SUPERIOR CLOSET」では、無縫製のニットが並んでいる。タグには「日本を纏う」の文字が。

「イノベーションを起こして、本当のメード・イン・ジャパンでやっていくことが、日本経済をもっと強いものにしていくチャンス。」

■ “丸ごと編む”技術が宇宙へ! そして未来へ!

女性宇宙飛行士の山崎直子さん。彼女が宇宙でのミッションで重宝したというのが無縫製カーディガンだ。これが宇宙船内用カーディガンで、島精機の無縫製技術をもとに開発されたもの。彼女の着心地の感想は、「腕の部分、肩の部分が特に動きやすかった。」無重力状態では、腕の動きが欠かせない。縫い目のないカーディガンは突っ張らず動きやすかったという。宇宙でも注目された島の技術。更にそれは未来も変えていく。

その舞台はアメリカ・ペンシルベニア州、ドレクセル大学。ここに「シマセイキ先端技術研究所」がある。島の無縫製ニットの技術を医学・工学分野などで活用する研究を行っている。例えばこんなものの開発。妊婦用腹帯だ。これを巻くだけで胎児の心拍数などを測定可能に。センサーをニット生地と一体化させて編み上げるのだ。また、手袋も編んでいる。握力の弱い人をサポートしたり、リハビリ用の補助グローブとして応用できないかと研究している。島の編み機でこれまでなかったものを開発しているのだ。人型ロボットの「ヒューボ」というものまである。皮膚にあたる表面がニットでおおわれている。触覚センサーが編み込まれているので、触れると感知して自動で反応して動く。

村上氏がどうしても知りたくて聞き出そうとする。
「島さんはアイデアするとき、頭の中とか精神状態とかどうなっているんですか?」

「一瞬です。1杯飲んでいる時にパッとひらめいたり、寝ている時に夢でパッとひらめく。学校の成績は悪かった。やんちゃだった。学歴は発明に関係ない。すぐに仕事をせいと。仕事をやってから何をやりたいか、「エンジンを勉強したい」と思えば、エンジンの勉強をしたらいい。仕事をしてから方向を決める。まず仕事をやりなさい。やっぱり、早くからスタートすること。」

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番組ホームページはこちら
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20160121.html

島精機製作所のホームページはこちら
http://www.shimaseiki.co.jp/

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