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反復連打で身に着けること - 同じことを言い続ける忍耐力と諦めの境地の狭間での迷いについて

所感
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■ 反復連打する価値があることなのか見極める必要がある!

「駄目じゃないか、どうして●●しないんだ!? 前にも同じことを注意したよね(怒)」

心の中でまた同じことを言っていると気づきながら、それでも同じことを言い続けなければならない状況がそこかしこにあります。相手の行動や思考プロセスがなかなか変わらないのには、3つほどの理由があると思います。

(1)本人が言われている内容について理解しているにもかかわらず、アドバイスや忠告を最初から受け入れる気がそもそもない
(2)本人は間違いに気づいているけれど、なかなか長年の習慣を容易に変えることができない
(3)本人が間違っていることに全く気が付いていないので、何を怒られているか理解できていない

(1)について
組織の名分として、職制の責任として、上司が正しいとする信念は表層的な伝え方の妙はあるとして、最後まで貫く必要があります。信念、ビリーフ(belief)は、職業人として、分別のある大人として、職場や家族や交友関係の中で、自分を自分たらしめるために、必ず自覚化して心の中に持つ必要があります。ただ、他人にそれを押し付けるのは傲慢の誹りを免れないでしょう。

しかし、自分の職掌を全うするために、譲れない一線というものがあります。それを守るためには、信念に忠実に、他人(部下や上司、時にはお得意様)にも主張すべき時があります。言うべき時に言うべきことを口にできる。それができるかどうかが分別ある大人かどうかの最初の分岐点ではないかと思っています。

※ 「しかし」とか「すべき」という用語は、独りよがりになっている時に多用される語彙であるということも、同時に忘れてはいけません。(^^;)

(2)について
このケースにだけ、反復連打で同じことを言い続けることに救いがある、もしくは、名分が立つと思っています。相手がこちらの言い分を受け入れているけれど、すぐには対応できていない。そういう人の訓練につき合ってあげるという感覚です。

染み着いた思考プロセスは、人生において大きなイベントやブレイクスルーが無いとなかなか変えることは難しいでしょう。痛い目に遭ったり、大事故を引き起こす前に、親切心でこっちは言いたくないことを言っているんですがね。。。 それでも本人が変わりたいと自覚し、こちらからの忠告がそれなりに正当であると認めてくれている場合は、こっちも腹を括ります。最後までお付き合いしましょう!

(3)について
このケースについては、こちら側の言い方、伝え方を変えて、相手がどうしたら理解できるか、心を砕いてやる必要があります。手を変え品を変え、言い方や言い回しだったり、例の出し方だったり、時には仕事の指示の仕方や、まず相手に意見を出させたり、敢えて挽回可能な小さな失敗させてから、それを題材に教育する、という手を使ったりする必要があるでしょう。

 

■ 反復連打を実践するには相手の状況もよく観察してからでないとね!

ここでよく考えてほしいのは、(1)と(3)の場合には、言っているこっちも本当に疲れてしまうということ。そして仕舞いには、「もしかしたら間違っているのは自分の方ではないのか?」と自己の信念の方を疑い始めたりして、、、(^^)

そうなると自分の心の中で、忍耐力と諦観とのせめぎ合いが激しくなってきます。そうした心の内の葛藤や苦しみから逃れる一番の早道は、もうあきらめて何も言わなくなること。その人に期待をしなければ、自分を楽にすることができます。

もし、上記のケースが仕事上での出来事だったら、ゴールに至る道を変える(方法を変える)ことで、相手を自分の思うようにコントロールする必要性自体を消滅させればいい。違う方法論を採用したり、自分の意に沿う別の部下を連れてきたりすれば済むことです。

むしろ、その相手が仕事上のゴールの障害になっているのだとしたら、そして同時にあなたがどう説得や説教しても言動を変えることができないのだとしたら、その人を回避するか、排除するか、無視すればいい。それだけのこと。実行はとても楽なのです。

仕事はわざわざ難路を行くことはありません。ミッション達成のために、最短で最楽の道を往けばいい。

コンサルタントや医者ができることは、本人が改善したい、完治したいという願いをほんの少しお手伝いするだけのことなのです。それは、周囲の人への説得や教育・指導についても例外ではありません。

⇒「物語シリーズ(2)人は一人で勝手に助かるだけ。誰かが誰かを助けることなどできない。- 忍野メメ
⇒「ブラック・ジャック(1)これだけは きみもキモにめいじておきたまえ。医者は人をなおすんじゃない。人をなおす手伝いをするだけだ。- 本間丈太郎

 

■ それでも反復連打を続ける意味を自分に問いかける!

そういうことは、本当は分かっているんです。相手が自分を受け入れていないことも、相手が聞く耳を持っていないことも。

それでも、言うべきことと、言わねばならないときがある!

それは、自分の生き様の真価が問われている場合。私は誰に対しても誠実でありたいと考えています。そして、常にそれを実践し続けようと毎分毎秒、努力し続けているつもりです。誠実であるということは、ただ人当たりがよい、誰とでも分け隔てなく上手に会話できる、必ず相手を心地よくさせることではないと考えています。

私にとっての“誠実”であるという意味は、“正直”であることです。自分の心の内は、言葉にしなければ、表情や姿勢を押し殺せばある程度、表出を抑え込むことができ、いわば、周囲の人を騙すことができます。そういう抑制的な言動に本当に価値があるのでしょうか?

自分の心に嘘はつけない、と昔から言います。

言葉で出さないけれど、表情や態度に思わず出してしまうかもしれません。そして一番大きいのは、お天道様にはあなたの本心を偽ることはできないということ。

お天道様と自分だけは、自分の本心を見抜いています。どんなにごまかしても、自分の心とお天道様を欺くことはできません。

嘘偽りなく、周囲の人に接するために、私は明日も自分の心に正直に生きていきます。それが、間違った言動を引き起こせば、必ずお天道様が見ていてくださり、罰を与えたり、悔い改める機会を与えたりしてくださります。それは周囲の人からの説教や忠告の姿を取ることが一番多いかもしれません。

すなわち、

傾聴 と 正直さ

これを信条としているのだという改めての決意表明になりました。(^^)

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