ガンジー(16)弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。

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■ 不寛容社会の病理について

The weak can never forgive. Forgiveness is the attribute of the strong.

弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。

(インドの弁護士、宗教家、政治指導者 / 1869~1948)
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心が強い人は、どんな死角攻められても慌てふためかず、落ち着いて対応することができます。それゆえ、ちょっとやそっとの想定外事項が発生しても、その原因となった相手を責めようとは思いません。

自分の実力をいつも相対的に評価できる人は、彼我の戦力差や能力差を一瞬のうちに把握することができ、その場その場で適切な対応を取ることができます。

それに引き替え、心が弱い人は常に責められることにビクビクしているので、些細なことでも大げさに受け取り、過剰反応することで弱い自分の身を守ろうとします。

また、正確に自分の実力を推し量れない人は、自分の物差しで測ることのできない器の人、それまで同じ空気を吸っていない人(異邦人)に対して、恐怖のあまり、先制攻撃をすることで防御姿勢を取ろうとします。

現代の不寛容社会は、強いものが弱きものを虐げるというより、弱いものがより弱いものを叩く傾向があるように見受けられます。その傾向を生み出す病理は、先述の通りです。

「許す」という言葉は、過去に受けた攻撃や不利益になるよう作為的に立ち回られた行為を無かったこととして、「水に流す」度量があるかどうかを意味します。また、相手の弱さや能力不足でしでかした過ちのしりぬぐいをしてあげて、その対価を得ようとはしない言動も広義では含まれると考えてもいいでしょう。

そうした態度にはどういう動機が隠されているのでしょうか?

「人を許す」というのは、強きものが強いことを証明する、という意味もあります。また、強きものが弱きものを庇護する、そうした庇い合い・助け合いが当たり前の世の中になれば、いつか自分が弱者になった時に助けてもらおうという保険を掛ける、という意味もあります。

つまり、道徳的にはあまり筋が良くない動機かもしれないけれど、その結果もたらされる言動は、少しかもしれませんが、寛容な社会形成に役立っているのかもしれないのです。

かつて、鄧小平はこう言いました。

黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ。

虚勢でもやせ我慢でも、計算高い保険であっても、寛容な態度は生きやすい社会づくりのために必要なことです。キャンキャン吠える犬は得てして弱い犬です。

さあ、寛容や生きやすい社会のために、虚勢でも見栄でもいいから、相手を許すことを始めましょう。

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小林 友昭
小林 友昭
現役の経営コンサルタントです。経営管理の仕組み構築や経営戦略の立案、BIシステムを中心としたIT導入まで手掛けております。
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