■ 我思う、ゆえに我あり!
There is nothing either good or bad, but thinking makes it so.
物事によいも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる。
(英国の劇作家、詩人 / 1564~1616)
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デカルトが自著『方法序説』の中で提唱した有名な命題。
我思う、ゆえに我あり。
「全てについて疑うべし」という方法的懐疑により、仮に自分を含めた全世界が虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識している我だけはその存在を疑い得ない。
つまり、「自分は本当に存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できないゆえに、「私」はこの世に存在することが証明されているというもの。
中世ヨーロッパのキリスト教への信仰がこの世の全てであった頃、自分の意識の内部と、自分を取り巻く外部世界の問題は全く同じものであると考えられていました。つまり、内部に現われている観念(表象)と外部の実在が一致すると思いなされてきたのです。
デカルトの方法的懐疑はまずこの一致の妥当性を疑ったのです。表象と実在は一致するのではなく、むしろ表象から実在を判断することは間違いを伴うというものです。
シェイクスピアは、神への信仰と人間主体の価値観とのはざまで生きた激動のルネサンス期の人なので、結構、彼の戯曲にはこのような宗教的な背景が潜んでいるのです。
良いこととか、悪いこととか、それ自らがそこにある(実在する)のではなく、それを感じたり考えたりする人の思考次第で、どうとでも解釈できるということ。どうせ人間の解釈でものごとの善悪や良否が決まるものならば、自分にとっていいように解釈すればいいじゃん、ということ。
これは、自分勝手に、または自分の都合の良いように解釈して、傍若無人に振舞っていいということを意味するのではありません。
とても簡単に、小学生に言い含めるような表現を用いるなら、
「もし、あなたが失敗したら、それを悔やんで落ち込むよりは、次の成功の糧になると思ってむしろ喜びなさい」
こうして、肯定的に物事を捉える姿勢が整えば、前向きに物事に取り組むことができ、そうすれば自ずと、運が向き、全て良い方向に転がりますよ。気の持ち方次第で、幸せな人生を送ることができますよ。という教訓じみた言説となるのです。
ここまで、小難しいことを繰り返し書いてしまったかもしれませんが、結論は簡単。
「病は気から」
おっと、ここでも小洒落た? 蘊蓄をたれると、マウス実験で、睡眠不足など慢性的なストレスを与え続けるとともに、自分の神経細胞を攻撃してしまう免疫細胞を血管に注入したマウスは1週間で突然死する。ストレスだけを受け続けたマウスも、免疫細胞だけを注入されたマウスも突然死には至らなかった。両方の条件がそろったマウスだけが突然死した、という実験結果が得られています。ということも知りつつ、、、(^^;)
何が言いたいかというと、気の持ちよう、解釈のしようで、ものの見方次第で、あなたの行動が変わり、あなたの価値観が変わり、あなたを取り巻く環境そのものが変わるということ。あなたがあなたの人生の主人公なのですから。
コップの中に半分、水が入っています。
もう半分? それとも まだ半分?
それを決めるのはあなたのマインドだけなのですよ!!!(^^)
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