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■ 40mの巨大物体を山頂へ 見たことない“輸送現場”

コンサルタントのつぶやき

発電用巨大風車の羽(ブレード)を専用車で運ぶ。担当者は風車を運んで11年。今日は、なんでも運ぶ日本通運。長さ40m(ちなみに新幹線の車両は25m)で、プラスチック製だから、ちょっとでもぶつけると壊れてしまう。しかも重さは7トンもある。そして何より厄介なのは山道。ブレードを載せる台は左右上下の可動式で、タイヤまで回転し、横走行も可能。これでどんな細い曲がりくねった山道でも大丈夫。自由自在にブレードを動かし、山道を進む。重心を安定させるために、重さ5トンの重りも可動式で、ブレードの位置に合わせてバランスするように動かす。

風車は運んで終わりではない。据え付け作業までもやっている。日本通運は、建設業の許可も取っているから輸送だけでなく取り付け工事まで一貫受注体制が整っている。通常、発電用風車は運びにくく、設置しにくい場所に建てられる。日本通運の技術のおかげで、険阻な場所に風車を立てられるようになり、日本の風力発電の普及に一役買っている(その運送業務請負は約70%に達している)。担当者は言う。「「うちで運べないものは無い」

 

■ 東京五輪も大阪万博も何でも運び続けた140年

日本通運は、売上高:1兆9249億円(2015年3月期)。日本の巨大物流会社。一般消費者には引っ越しで有名だが、引っ越し運送は売上高の3%を占めるに過ぎない。メインは、鉄を中心とした産業品から、生鮮食品まであらゆるものを運ぶ。陸、海、空と、様々な手段を用いて、日本の物流を支えて続けている。

東京・港区に本社がある。グループ従業員は約6万9000人。朝の始業開始時には、職場で自前の「日通体操」が行われる。なかなかユニークな動きだが、職種ごとに別々の体操が考えられている。日通体操第1は作業員向け。日通体操第2は事務系向けで、椅子に座りっぱなしなので、肩や首をほぐす動きが中心だ。

そんな企業を率いるのは日本通運社長・渡邉健二。

20160324_渡邉健二_カンブリア宮殿

番組公式ホームページより

「人のために、人に役立つ仕事をしろ、というDNAがあって、どんなにデリケートだろうが、貴重な物だろうが運ぶものは全部運ぶ。」

日通には日本がその時代時代で必要なものを何でも運んできた歴史がある。戦後の高度成長期、深刻化する電力不足打開のために始まった黒部ダムの建設。日通はセメント40万トン、トレーラー1万7000台分を運び、世紀の大プロジェクトを裏で支えた。そして1964年の東京オリンピックでは、ヨットから選手の手荷物まであらゆるものを運んだ。さらに、走りながらマラソンコースにコーンを置いていったのも日通。大きなイベントの裏には日通あり。1970年には、大阪万博の顔だった太陽の塔、そして月から生還したアポロ7号、これも日通が運んだ。

日通の何でも運ぶ力、それを支える拠点が、埼玉・戸田市にある日通商事 東京製作所。敷地内に入ると、最大16mから10mに縮むトレーラーなどが目に入る。日通は特殊なものを運ぶ車を独自開発し、自前で作っている。量産できない特殊な車両ばかりだから、部品一つ一つが手作り。もちろん設計も自前でやる。運ぶ手段がなければ自分で作って、時代が必要とするものは何でも運ぶ。日本経済を運んで140年。巨大物流会社の知られざる実力とは。

ブレード専用車はいくらかかったの?
「(風力発電のブレード運送車は)全部合わせれば(制作費用は)億でしょうね。設計し、つくってトレーラーに載せるまで全部やるから。」

運送業だけでなく、取り付け作業まで請負されているが?
「高いものを立てるのは、一般的な建設業とは違う技術。海外で、いろいろなプラントを作る現場でも、工場の機械の据え付けなども、ほとんど日通でできる。そういう意味では建設業にも相当関わっている。」

● これまで日通が運んできたもの
・風力発電の「羽」
・新幹線の車両
・美術品・仏像
・冷凍マンモス
・東京マラソンのランナー4万人の手荷物
・ロケット・人工衛星
・現金
・競走馬
・すばる望遠鏡

基本運べないものは無いんですか?
「法的に禁じられているもの以外は、運べると思っている。」

なぜ、海外拠点が600か所も?
「1950年代から、海外に出始めた。顧客企業が海外で物を売るとなると、そこに物を運ばなければならない。工場も出るということになれば、工場の移転を手がけ、その後、企業が部品を運ぶルートをつくるために、また出ていく。それが積もり積もって、今の拠点数になった。」

 

■ 日通の“段取り八分”精神 ルーツは江戸の飛脚

2015年12月、東京・大手町、JXホールディングス本社で働く2500人が一斉引越しを抱えていた。段ボール箱だけで3万6000箱、トラック1500台という桁違いの大移動だ。まずは日通の引っ越し担当がオフィスを事前視察し、一人一人の荷物量も目算で見積もっていく。日通には仕事をするうえで大事な心得があるという。

「事前の準備は「段取り八分」でやらないと、当日慌てることになる」

『段取り八分』-仕事の質は事前の準備によって決まる! これこそ人様の荷物を運んできた日通の核となる言葉だ。

日通のルーツは、江戸時代に手紙を運んだ飛脚にまで遡る。日通の創始者:佐々木荘助は、幕末の江戸で、飛脚を束ねる「飛脚問屋」を取り仕切っていた。しかし、明治政府の世になり、近代的な郵便制度が始まり、飛脚は窮地に追い込まれた。佐々木は郵便制度の創始者:前島密と交渉し、

「手紙は政府が運び、それ以外は民間が運ぶ」という取り決めを結んだ。

(筆者注:このお話は今でも「信書」は法的に郵政グループのみが手掛けられる、というヤマト運輸の規制との闘い、というやつのルーツになったやつです)

こうして佐々木は、日本初の近代的な運送会社、1872年(明治5年)に陸運元会社(日通の前身)を設立。その後、第2次世界大戦が近づくと、国の産業統制によって、1937年(昭和12年)に、同業他社と統合、国策会社「日本通運」が設立された。戦時中、燃料不足に苦しんだ日通は犬にまで車を引かせて、生活物資を運び続けた。そして戦後、民間会社として再出発。日本の経済復興と足並みをそろえるように、様々なものを運んだ。その中のひとつが新幹線。そうした新しいものを運び続ける中で、「段取り八分」の精神が築かれていった。

「新しいものを、新しい所に運ぶとき、新しく開拓しながらやることになる。そういう意味で、事前の準備を大切にするようになった。」

 

■ 巨大風車 運ぶ準備に3年 段取りに「そこまでやる?」

「段取り八分」の精神は会社のあらゆるところに染みついている。先の風車運搬を例にとると、

(風車担当者)
「ここに風車を立てる話があって調査に来たのが3年半前。」

まず調査でやったのが、車にドライブレコーダーを取り付けて、実際の運搬ルートを走行する。全工程の中で通りにくい200か所近いカーブや交差点を全て動画でチェック。例えば、とある交差点。長いトレーラーで左折する際、コンピュータグラフィックでシミュレートしたところ、後ろの車輪が歩道に乗り上げることが判明。歩道に車輪が乗り上げると、車台がねじれて、羽根が破損する恐れがある。そこで取った策とは、歩道を切り下げること。歩道を掘り下げて車道と水平となるように工事したのだ。もちろん関係各署のOKをもらい、運搬が終わったら元に戻す。

(風車担当者)
「いざ、トレーラーに積んで、持っていって、通れなかったでは済まされない。そこまでの舞台を作り上げるのが自分の仕事」

物を確実に運ぶためにあらゆる困難を事前に克服する。これが「段取り八分」の精神だ。

 

■ 大震災で分かった 物流は”国の血管“

村上氏が問う。「関東大震災の時に、物流の大切さが再認識されたとか」

「物流網が切断されると、生きるための物資が届かなくなる。私も、阪神大震災の時、大阪に勤務していて、震災の起きた夜から日通の車は神戸に向かって荷物を積んで走っていた。東日本大震災も、3月11日に起きて、12日からもう動いていた。」

東日本大震災が起きた時、港は壊滅、鉄道網は遮断。頼みの綱はトラック輸送。そんな中、日本通運は、災害対策基本法の「指定公共機関」として、救援物資を率先して運ぶことになっている。パンなど食料品をかき集め、2ヶ月で被災地に走らせたトラックは述べ7000台にも上った。」

村上氏から。「モノを運ぶは、国家経済の根幹ですよね」

「「何か困ったことがあれば、日通が出ていく」というのがある。使命感みたいなものがある。運べないものがあったら、「何とかして、どうにかして運んでやろう」と考える。」

『人々が困った時こそ、何が何でも運ぶ』

「国策会社「日本通運」をつくった時に、地方地方の中小の運送会社を統合した。日通の元は本当の中小企業。地域の皆さんと、密着した会社だった。したがって、何かあったら何でも手助けする。中小が統合されて日本通運という大きな会社になったが、DNAは、その時代から始まっていると思う。」

 

■ 700年前の仏像“初外出” 緊迫の輸送作戦に密着!

日通にはこんな現場もある。世界の美術品を運ぶ仕事だ。
・1964年、「ミロのビーナス」
・1999年、ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」

日通には美術品担当が600人もいる。

そんな彼らの次の仕事は、700年前、鎌倉時代の仏像。奈良・桜井市の長谷寺から大阪で開かれる展覧会場(あべのハルカス美術館)まで仏像を運ぶ。

国の重要文化財、「難陀龍王立像(1316年)」。

日通には美術品だけを扱う支店がある。日通 関西美術品支店。ここで一体一体大きさが異なる仏像の専用の運搬用木枠を作り始める。仏像を優しく包むための綿布団。仏像に直接触れる部分は特別な和紙で包む。白薄葉紙。中性で化学変化が起きない。美術品を痛めにくいという。そして仏像を入れる向きを入念にチェックする。これが段取り八分の精神。そして搬送当日、足場を組んで台座からおろし、白薄葉紙を大量に丸め、クッションを作り、壊れにくい仏像の上部に付属している龍の隙間を埋めていく。繊細で壊れやすい手、顔、飾りの龍を完全に紙でくるんで保護する。次の木枠への固定。綿布団とウレタンを足場に挟み、材木で固定する。抑えるのは背中など、なるべく平らな所。ここまでの作業に4時間。その後は、空調と揺れ防止機能が付いた特別車両で運ぶ。

しかし、運送が成功したかどうかは、梱包を解くまで分からない。破損個所は無い。成功した。

● 「長谷寺の明宝と十一面観音の信仰」あべのハルカス美術館(3月27日まで)

(美術品担当者)
「無事にいって当たり前。同じものが無いので、何十年経とうが、初めて動かす物が出てくる。常に向上心を持ってやっていく。」

(社長)
「美術品の担当者は、寺の責任者と常にいろいろと話し合いをしている。そうしないと、信用してもらえない。(美術品運送は)日通の看板だと思っている。それと同時に、モノを動かす面白さ、楽しさ、大切さが世間の方に分かってもらえれば非常にいい。」

村上氏が問う。「ドライバー不足に対してはどう対処するか?」

「運輸業界全体で言えば、国内海運や鉄道貨物など、トラックで運ばなくても済むシステムを今、一生懸命つくっている。もっと将来にわたれば、自動運転だろうと思っている。少なくとも、高速道路だけは、自動運転で、夜中に1レーンを仕切って、ドライバーが乗らなくても、隊列を組んで、東京から大阪に走らせる。そういうことが、大きく日本の物流を変える。

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カンブリア宮殿 番組ホームページ2016年3月24日放送分はこちら

日本通運のホームページはこちら

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日本経済を運んで140年! 何でも届ける力を生む「段取り八分」精神 日本通運社長・渡邉健二 2016年3月24日 TX カンブリア宮殿http://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/f2dde0c815f506d35f39301dbbb486e41-e1428166267398.jpghttp://keieikanrikaikei.com/wp-content/uploads/2015/04/f2dde0c815f506d35f39301dbbb486e41-150x150.jpg小林 友昭TV番組レビューカンブリア宮殿,日本通運,渡邉健二,段取り八分,運送業■ 40mの巨大物体を山頂へ 見たことない“輸送現場” 発電用巨大風車の羽(ブレード)を専用車で運ぶ。担当者は風車を運んで11年。今日は、なんでも運ぶ日本通運。長さ40m(ちなみに新幹線の車両は25m)で、プラスチック製だから、ちょっとでもぶつけると壊れてしまう。しかも重さは7トンもある。そして何より厄介なのは山道。ブレードを載せる台は左右上下の可動式で、タイヤまで回転し、横走行も可能。これでどんな細い曲がりくねった山道でも大丈夫。自由自在にブレードを動かし、山道を進む。重心を安定させるために、重さ5トンの重りも可動式で、ブレードの位置に合わせてバランスするように動かす。 風車は運んで終わりではない。据え付け作業までもやっている。日本通運は、建設業の許可も取っているから輸送だけでなく取り付け工事まで一貫受注体制が整っている。通常、発電用風車は運びにくく、設置しにくい場所に建てられる。日本通運の技術のおかげで、険阻な場所に風車を立てられるようになり、日本の風力発電の普及に一役買っている(その運送業務請負は約70%に達している)。担当者は言う。「「うちで運べないものは無い」   ■ 東京五輪も大阪万博も何でも運び続けた140年 日本通運は、売上高:1兆9249億円(2015年3月期)。日本の巨大物流会社。一般消費者には引っ越しで有名だが、引っ越し運送は売上高の3%を占めるに過ぎない。メインは、鉄を中心とした産業品から、生鮮食品まであらゆるものを運ぶ。陸、海、空と、様々な手段を用いて、日本の物流を支えて続けている。 東京・港区に本社がある。グループ従業員は約6万9000人。朝の始業開始時には、職場で自前の「日通体操」が行われる。なかなかユニークな動きだが、職種ごとに別々の体操が考えられている。日通体操第1は作業員向け。日通体操第2は事務系向けで、椅子に座りっぱなしなので、肩や首をほぐす動きが中心だ。 そんな企業を率いるのは日本通運社長・渡邉健二。 (番組公式ホームページより) 「人のために、人に役立つ仕事をしろ、というDNAがあって、どんなにデリケートだろうが、貴重な物だろうが運ぶものは全部運ぶ。」 日通には日本がその時代時代で必要なものを何でも運んできた歴史がある。戦後の高度成長期、深刻化する電力不足打開のために始まった黒部ダムの建設。日通はセメント40万トン、トレーラー1万7000台分を運び、世紀の大プロジェクトを裏で支えた。そして1964年の東京オリンピックでは、ヨットから選手の手荷物まであらゆるものを運んだ。さらに、走りながらマラソンコースにコーンを置いていったのも日通。大きなイベントの裏には日通あり。1970年には、大阪万博の顔だった太陽の塔、そして月から生還したアポロ7号、これも日通が運んだ。 日通の何でも運ぶ力、それを支える拠点が、埼玉・戸田市にある日通商事 東京製作所。敷地内に入ると、最大16mから10mに縮むトレーラーなどが目に入る。日通は特殊なものを運ぶ車を独自開発し、自前で作っている。量産できない特殊な車両ばかりだから、部品一つ一つが手作り。もちろん設計も自前でやる。運ぶ手段がなければ自分で作って、時代が必要とするものは何でも運ぶ。日本経済を運んで140年。巨大物流会社の知られざる実力とは。 ブレード専用車はいくらかかったの? 「(風力発電のブレード運送車は)全部合わせれば(制作費用は)億でしょうね。設計し、つくってトレーラーに載せるまで全部やるから。」 運送業だけでなく、取り付け作業まで請負されているが? 「高いものを立てるのは、一般的な建設業とは違う技術。海外で、いろいろなプラントを作る現場でも、工場の機械の据え付けなども、ほとんど日通でできる。そういう意味では建設業にも相当関わっている。」 ● これまで日通が運んできたもの ・風力発電の「羽」 ・新幹線の車両 ・美術品・仏像 ・冷凍マンモス ・東京マラソンのランナー4万人の手荷物 ・ロケット・人工衛星 ・現金 ・競走馬 ・すばる望遠鏡 基本運べないものは無いんですか? 「法的に禁じられているもの以外は、運べると思っている。」 なぜ、海外拠点が600か所も? 「1950年代から、海外に出始めた。顧客企業が海外で物を売るとなると、そこに物を運ばなければならない。工場も出るということになれば、工場の移転を手がけ、その後、企業が部品を運ぶルートをつくるために、また出ていく。それが積もり積もって、今の拠点数になった。」   ■ 日通の“段取り八分”精神 ルーツは江戸の飛脚 2015年12月、東京・大手町、JXホールディングス本社で働く2500人が一斉引越しを抱えていた。段ボール箱だけで3万6000箱、トラック1500台という桁違いの大移動だ。まずは日通の引っ越し担当がオフィスを事前視察し、一人一人の荷物量も目算で見積もっていく。日通には仕事をするうえで大事な心得があるという。 「事前の準備は「段取り八分」でやらないと、当日慌てることになる」 『段取り八分』-仕事の質は事前の準備によって決まる! これこそ人様の荷物を運んできた日通の核となる言葉だ。 日通のルーツは、江戸時代に手紙を運んだ飛脚にまで遡る。日通の創始者:佐々木荘助は、幕末の江戸で、飛脚を束ねる「飛脚問屋」を取り仕切っていた。しかし、明治政府の世になり、近代的な郵便制度が始まり、飛脚は窮地に追い込まれた。佐々木は郵便制度の創始者:前島密と交渉し、 「手紙は政府が運び、それ以外は民間が運ぶ」という取り決めを結んだ。 (筆者注:このお話は今でも「信書」は法的に郵政グループのみが手掛けられる、というヤマト運輸の規制との闘い、というやつのルーツになったやつです) こうして佐々木は、日本初の近代的な運送会社、1872年(明治5年)に陸運元会社(日通の前身)を設立。その後、第2次世界大戦が近づくと、国の産業統制によって、1937年(昭和12年)に、同業他社と統合、国策会社「日本通運」が設立された。戦時中、燃料不足に苦しんだ日通は犬にまで車を引かせて、生活物資を運び続けた。そして戦後、民間会社として再出発。日本の経済復興と足並みをそろえるように、様々なものを運んだ。その中のひとつが新幹線。そうした新しいものを運び続ける中で、「段取り八分」の精神が築かれていった。 「新しいものを、新しい所に運ぶとき、新しく開拓しながらやることになる。そういう意味で、事前の準備を大切にするようになった。」   ■ 巨大風車 運ぶ準備に3年 段取りに「そこまでやる?」 「段取り八分」の精神は会社のあらゆるところに染みついている。先の風車運搬を例にとると、 (風車担当者) 「ここに風車を立てる話があって調査に来たのが3年半前。」 まず調査でやったのが、車にドライブレコーダーを取り付けて、実際の運搬ルートを走行する。全工程の中で通りにくい200か所近いカーブや交差点を全て動画でチェック。例えば、とある交差点。長いトレーラーで左折する際、コンピュータグラフィックでシミュレートしたところ、後ろの車輪が歩道に乗り上げることが判明。歩道に車輪が乗り上げると、車台がねじれて、羽根が破損する恐れがある。そこで取った策とは、歩道を切り下げること。歩道を掘り下げて車道と水平となるように工事したのだ。もちろん関係各署のOKをもらい、運搬が終わったら元に戻す。 (風車担当者) 「いざ、トレーラーに積んで、持っていって、通れなかったでは済まされない。そこまでの舞台を作り上げるのが自分の仕事」 物を確実に運ぶためにあらゆる困難を事前に克服する。これが「段取り八分」の精神だ。   ■ 大震災で分かった 物流は”国の血管“ 村上氏が問う。「関東大震災の時に、物流の大切さが再認識されたとか」 「物流網が切断されると、生きるための物資が届かなくなる。私も、阪神大震災の時、大阪に勤務していて、震災の起きた夜から日通の車は神戸に向かって荷物を積んで走っていた。東日本大震災も、3月11日に起きて、12日からもう動いていた。」 東日本大震災が起きた時、港は壊滅、鉄道網は遮断。頼みの綱はトラック輸送。そんな中、日本通運は、災害対策基本法の「指定公共機関」として、救援物資を率先して運ぶことになっている。パンなど食料品をかき集め、2ヶ月で被災地に走らせたトラックは述べ7000台にも上った。」 村上氏から。「モノを運ぶは、国家経済の根幹ですよね」 「「何か困ったことがあれば、日通が出ていく」というのがある。使命感みたいなものがある。運べないものがあったら、「何とかして、どうにかして運んでやろう」と考える。」 『人々が困った時こそ、何が何でも運ぶ』 「国策会社「日本通運」をつくった時に、地方地方の中小の運送会社を統合した。日通の元は本当の中小企業。地域の皆さんと、密着した会社だった。したがって、何かあったら何でも手助けする。中小が統合されて日本通運という大きな会社になったが、DNAは、その時代から始まっていると思う。」   ■ 700年前の仏像“初外出” 緊迫の輸送作戦に密着! 日通にはこんな現場もある。世界の美術品を運ぶ仕事だ。 ・1964年、「ミロのビーナス」 ・1999年、ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」 日通には美術品担当が600人もいる。 そんな彼らの次の仕事は、700年前、鎌倉時代の仏像。奈良・桜井市の長谷寺から大阪で開かれる展覧会場(あべのハルカス美術館)まで仏像を運ぶ。 国の重要文化財、「難陀龍王立像(1316年)」。 日通には美術品だけを扱う支店がある。日通 関西美術品支店。ここで一体一体大きさが異なる仏像の専用の運搬用木枠を作り始める。仏像を優しく包むための綿布団。仏像に直接触れる部分は特別な和紙で包む。白薄葉紙。中性で化学変化が起きない。美術品を痛めにくいという。そして仏像を入れる向きを入念にチェックする。これが段取り八分の精神。そして搬送当日、足場を組んで台座からおろし、白薄葉紙を大量に丸め、クッションを作り、壊れにくい仏像の上部に付属している龍の隙間を埋めていく。繊細で壊れやすい手、顔、飾りの龍を完全に紙でくるんで保護する。次の木枠への固定。綿布団とウレタンを足場に挟み、材木で固定する。抑えるのは背中など、なるべく平らな所。ここまでの作業に4時間。その後は、空調と揺れ防止機能が付いた特別車両で運ぶ。 しかし、運送が成功したかどうかは、梱包を解くまで分からない。破損個所は無い。成功した。 ● 「長谷寺の明宝と十一面観音の信仰」あべのハルカス美術館(3月27日まで) (美術品担当者) 「無事にいって当たり前。同じものが無いので、何十年経とうが、初めて動かす物が出てくる。常に向上心を持ってやっていく。」 (社長) 「美術品の担当者は、寺の責任者と常にいろいろと話し合いをしている。そうしないと、信用してもらえない。(美術品運送は)日通の看板だと思っている。それと同時に、モノを動かす面白さ、楽しさ、大切さが世間の方に分かってもらえれば非常にいい。」 村上氏が問う。「ドライバー不足に対してはどう対処するか?」 「運輸業界全体で言えば、国内海運や鉄道貨物など、トラックで運ばなくても済むシステムを今、一生懸命つくっている。もっと将来にわたれば、自動運転だろうと思っている。少なくとも、高速道路だけは、自動運転で、夜中に1レーンを仕切って、ドライバーが乗らなくても、隊列を組んで、東京から大阪に走らせる。そういうことが、大きく日本の物流を変える。 ------------------- カンブリア宮殿 番組ホームページ2016年3月24日放送分はこちら 日本通運のホームページはこちら現役の経営コンサルタントが管理会計をテーマに情報発信します