■ これはITの話題ですか? いいえ、『組織の経済学』の問題です!
SPA(specialty store retailer of private label apparel:製造小売業)としてのファーストリテイリングと、化学素材メーカーの東レのいわゆる「IoT」技術を駆使したサプライチェーン情報共有環境の構築の話とだけ認識することは大きな間違いといえましょう。これは、ITの進化という仮面をかぶった、古典的な「組織経済学」の格好の事例といえます。
2015/11/18|日本経済新聞|朝刊 ファストリと東レ、販売・生産情報共有 流行や人気…迅速対応 5年で1兆円取引発表
「ファーストリテイリングと東レは店頭の販売情報と工場の生産情報を共有する体制を築く。顧客ニーズや流行に応じて売れ筋衣料品を機動的に開発・生産できるようにする。人気商品の欠品を減らすこともでき、消費者は無駄足を踏まずに済む。両社は機能性素材を使った衣料品での協力関係をさらに深め、製販の一体感を強める。」
(注)日本経済新聞の記事へ直接リンクを貼ることは同社が禁じています。お手数ですが、一旦上記リンクで同社TOPページに飛んでいただき、上記リード文を検索すればお目当ての記事までたどり着くことができます
(下図は上記新聞記事添付の情報共有の仕組み図を転載)
こういうチャートだけ示されると、SCM情報を企業の垣根を超えて、上流から下流まで共有して、在庫の最適化と顧客需要の変化への迅速的対応(欠品しない、販売機会ロスを減らす)を目的としたものと知覚されがちです。しかし、「企業の境界線を決めるのはどこか?」「垂直統合の経済的メリットとは?」という問いからなる『組織経済学』の古典的命題なのです。
それでは、筆者が本質的と考える本題に入る前に、この新聞記事で解説されている両社の取引概要とその狙いについても、時事問題として触れておきましょう。
東レは、自社開発した機能性素材「ヒートテック」「ウルトラライトダウン」などの衣料品を製造し、ファーストリテイリング(以下、ユニクロと称す)に納品しています。ユニクロが持つ店舗の購買履歴や顧客要望情報と、東レが持つ工場の生産情報を見せ合いっこします。
記事では、
「衣料品の共同開発や製品取引から一歩踏み込み、店舗や電子商取引(EC)の販売現場と工場がリアルタイムでつながる仕組みをつくる。店頭で人気がある色の商品を機動的に増産することなどで販売機会を逃さないようにする。流行にあった衣料品を迅速に製品化することも可能になる。」
と記述されている部分になります。
同日の記者会見で、ユニクロの柳井氏は、
「デジタル化の進展で「時間的・距離的な制約がなくなる」」と発言し、
東レの日覚社長は、
ユニクロが積極出店を続ける中国・東南アジアでの増産や、欧州市場などを見据えたトルコでの生産開始をふまえ、
「IT(情報技術)を使って最適地から供給する」と発言しています。
■ これをユニクロのビジネスモデルの問題として見る!
下図は、ユニクロ自身が自社のSPAビジネスモデルとして、ホームページで公開しているものです。
(http://www.fastretailing.com/jp/group/strategy/uniqlobusiness.html)
このページで、SPAを次のように説明しています。
「SPA(Specialty store retailer of Private label Apparel : アパレル製造小売業)とは、素材調達、企画、開発、製造、物流、販売、在庫管理など、製造から販売までのすべての過程を一貫して行う業態のことです。」
そして、ユニクロのビジネスモデルの優位性を次のように説明しています。
「ユニクロは、企画から生産・販売までを一貫して行うSPAのビジネスモデルを確立しています。独自商品の開発による他社との差別化、販売状況に応じた機動的な生産調整、賃料や人件費を抑えたローコストな店舗経営に研きをかけ、「高品質で低価格の商品」を提供しています。」
この記述において、東レとの包括的提携および情報の見せ合いっこは、
・独自商品の開発による他社との差別化
・販売状況に応じた機動的な生産調整
に必須な要素となっています。
売れるもの(顧客が必要と思うもの)のニーズをユニクロが教えて、東レの技術でそれを商品化し、お互いの販売と生産情報をガラス張りにして、需給調整を限りなく、同一会社内の販売-生産連動に遜色ないレベルにまで高めようという試みです。
上図のユニクロのビジネスモデルのうち、東レが登場するのは、左上のグレー部分の「素材メーカー(外部)」だけです。ユニクロは、SCMのうち、素材供給、最終商品の生産(加工・縫製)、物流を外部企業に託し、自社の経営資源を、素材開発を含むMD(マーチャンダイジング)とマーケティングと店舗販売に特化し、外部企業との間での需給調整の中核を握った上でSCMに参加しています。
ユニクロはなぜ、こうした企業の境界線を引いて、そして成功しているのか? (SPA業界では時価総額は世界No.3、売上高は世界No.4)
・自社ホームページ情報より
(http://www.fastretailing.com/jp/ir/direction/position.html)
■ これを「垂直統合」や「自製か購買か」の問題として見る!
ここまでくると、古典的な教科書の力に頼るしかありません。
上著の、「第3章:企業の垂直境界」において、サプライチェーンやバリューチェーン上に外部企業との取引を残す際の、すなわち外部市場を使う場合の便益とコストについて、P120で整理されています。
● 便益
1.市場の専門企業は、複数企業の業務を委託していることから規模の経済を達成している
2.市場の専門企業は、市場競争にさらされており、勝ち残るために効率的かつ革新的である。社内部門の場合は、非効率さや革新性の欠如が全社の成功によって隠されてしまう
● コスト
3.社内ではなく、市場の専門企業に活動を委託すると、垂直チェーンに沿った生産の調整が犠牲になる恐れがある
4.市場の専門企業に活動を任せると、機密情報が漏洩するおそれがある
5.社内で行うとかからない種類の取引費用が、市場の専門企業と業務を行うとかかる場合がある
<便益1:規模の経済>
この場合、東レがユニクロ以外との需要者との取引においても必要とされる化学繊維の原料の調達において、まとめて購入することで、ディスカウントを原料供給者から引き出せるとしたら(いわゆるボリュームディスカウント)、それは、「規模の経済」が働いているということができます。また、東レが長年同種製品の生産に携わってきたことによる「学習効果」により、より効率的な生産性を示すことができるかもしれません。生産技術の向上は、同種の生産をどれだけこなしてきたか、生産量の大小と比例することが多くあります。
また、東レがその専門分野で取得した特許などの知的財産を活用できることも、外部の専門家集団を使う大きな誘因となります。ただし、ユニクロ向け製品だけにクローズされた知財権なのか、同種の製品の製造技術に関する知財権なのかによって、その効果の発動割合はかなり異なってきます。後ほど触れますが、東レとユニクロ間の素材開発の情報管理は徹底しており、ユニクロが同業他社向け製品供給へ共同開発した技術の転用を許すような契約をしているはずがないので、この領域の専門家利益は相対的に小さいものといえましょう。
<便益2:市場競争による効率性>
企業は組織が大きくなると、組織の構成員が会社の目的に沿った行動をしないことが多くみられます。簡単にそれらを「怠業」と呼び、怠業を監視・管理するために費やされるコストを、「エージェンシー費用」と呼びます。端的に言うと、お客様との契約関係に行動が縛られていない部署は、目前の作業の効率をちょっと落としても、それほど目立たず、また効率を落とす余地が生じてしまうのが世の常です。それが著しいのが、本社部門や管理部門です。サプライチェーンを自社に取り込むことは、組織の肥大化を生みます。そして、直接社内取引(物流や商流)に参加しないバックヤードの仕事をする人、それらを管理・監督する人を必要とします。その分、組織全体の生産効率が落ちるというわけです。
<コスト3:生産調整の犠牲>
皆さんも、ビジネスの現場で経験されたことがあるかもしれませんが、これまで同じ会社の部門間で調整できていたことが、相手が、グループ関連会社となって外に切り出されたりすると、途端にコミュニケーションが悪くなり、思うように需給調整のための諸連絡が滞ることがあります。一方で、あくまで相対的なのですが、自動車産業で、「ケイレツ」がもてはやされたのは、欧米企業があくまで独立起業同士の対等関係で、完成車メーカーと部品メーカーとが、「契約」として取引関係を結んでいた場合、きめ細かい仕様調整や、機動的な仕様変更や、生産量調整の連絡が遅れたり、契約を盾に、生産済みの部材の買い取りを強要されたりすることがあります。ケイレツ内では、資本関係があることもあり、仲間意識の中で、飲みニケーションなど、密接な情報交換が行われ、長期的な人間関係の元で、きめ細やかな情報連携が達成されることがあります。
今回の、東レとユニクロのケースでは、この企業・組織を跨ぐ生産調整に必要な情報の壁をITの力によって壊すどころか、人間関係だけでは拾えないITのパワーによって、SKU:Stock Keeping Unit(最小管理単位)での情報共有を、
需要→販売→在庫→最終製品の生産→機能素材の供給→原料調達
まで、会社や組織の壁を極限まで無くしてしまおう、という試みです。そうです、先で言及した「ITの進化の話題」としてだけ捉えると、ここだけの改善策としての取り組みという限定的なテーマとなってしまうのです。
<コスト4:機密漏洩>
よく中国に生産ラインを外部委託すると、同業者に設計図が流出して、、、という話を耳にすることが多くなりました。東レとユニクロに関しては、徹底的な情報セキュリティが施されています。どちらかから、素材開発に関連する情報漏洩が極めて困難な環境を整備(入退室の徹底的チェック、入室可能な人員を極力制限、機密文書自体へのアクセス管理)を施しています。両社のこの取引では、この類のことはあまり問題視することはないでしょう。
<コスト5:取引費用>
市場を使った体外企業との取引に、社内組織では発生しないコストが発生することを発見したロナルド・コースは、その主著「The Nature of the Frim(企業の性質)」で一躍有名になり、1991年にノーベル経済学賞を獲っています。彼を嚆矢に、取引費用経済学という研究分野が確立されました。そこから、いくつかのトピックをご紹介します。
・完備契約と不完備契約
人には、合理性の限界(限界的合理性)があり、将来起こり得る全ての事象をあらかじめ予想して、そのすべての契約書の条文に表記することは事実上大変な困難が伴います。
・情報の非対称性
各当事者が「契約」に関連するすべての情報に均一にアクセスできないことからも、完備契約が締結されないことがあります。厳格な品質チェックをしてから製品を供給することを記した契約があったとして、受入サイドは、供給側が本当に当初謳った品質チェックを実施しているのか、例えば独立した第三者機関による監査あるいは当事者の証言を審議するする必要があるのです。
・関係特殊資産
ある特定の取引を行うために投資した資産のことで、対象取引以外の取引に援用する場合には、一定の生産性の低下や追加コストが発生することが不可避のものです。本稿では、東レがヒートテックを生み出す生産ラインの設備が専用機械と専用生産技術の塊で、他に転用できない(技術的に、あるいは法律的に)場合、この専用ラインがここでいう関係特殊資産ということになります。これは次に説明する「ホールドアップ問題」の一部を構成します。
・ホールドアップ問題
本例では、東レにヒートテックの専用ラインを構築させておいた後、ユニクロが事前に約束しておいた発注量を著しく下回る注文しか出さないとか、極めつけは発注自体を止めてしまうと、東レは、それまで先行投資していた資金を回収できなくなります。一番たちが悪いのは、こうした問題を持ち出して、供給者側に投資をさせておいてから、発注停止をちらつかせて、大幅な値引きを引き出そうと、交渉の材料に使われることです。
幸いにも、新聞報道では、
「両社は06年に提携し、5年ごとの衣料品の取引量の計画や事業戦略を策定してきた。11~15年の累計取引額は当初想定より5割多い6千億円になる見通しだ。17日には、海外店舗数の増加や対象商品の拡充から、16~20年に同1兆円をめざすことも正式発表した。」
と、お互いの中期計画を一緒に作成し、契約関係の良好に保つことに腐心しているようです。こうした高い信頼関係が築かれてこそ、共同開発とか、需給調整のための情報の見せ合いっこが可能になります。ドイツの「インダストリー4.0」も、多数の中小企業が参加しています。ドイツでは、国を挙げて、こうした信頼関係の醸造をITの力で行おうとしています。こうした動きを、単なるITのテクノロジーの進化の問題と片づけるには大きすぎるテーマです。「ものづくり」の現場の背景には、いろんな人たちの人生がかかっている。会社や産業の盛衰や興亡、そこで働く人の幸せがある! 仕事ってそういうもんでしょ?
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