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経営戦略概史(7)ドラッカーが「マネジメント」の有用性を世間に広めた”伝道師”

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■ 経営学者ではない。「マネジメント」の伝道師を担った文筆家だ!

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「経営戦略」の歴史を、三谷宏治著「経営戦略全史」(以下、本書)をベースに説明していきます。とうとうドラッカーの番になりました。本気を出すと、ドラッカーとポーターは何回連続投稿しても終わりそうにないので、ここでは思い切って1回こっきりの極シンプルな説明に収めたいと思います。

本書(P69~)によりますと、
ピーター・ドラッカー(1909~2005)は、ウィーンで生まれ育ち、22歳で公法・国際法の博士号を獲って新聞社で働き始めます。28歳で渡米し、あちこちの大学で教えながら執筆を続けます。2005年に95歳で亡くなるまでに、ニューヨーク大学経営大学院(現スターン・スクール)では22年の長きにわたり教鞭を執り、33冊以上の著作を残し、クレアモント大学経営大学院は彼の名を冠して、ドラッカースクールともなりました。

「文筆家」、こう呼ばれることをドラッカー本人は好んでいました。著作は37ヵ国以上で出版され、日本ではダイヤモンド社からの書籍だけでも累計400万部以上。『マネジメント課題・責任・実践』(1974年)は世界で数百万部が読まれています。

純粋に、ドラッカーを経営学者と世界は見ていない(少なくとも欧米の経営学の各種学会では)ことは、入山章栄氏の「世界の経営学者はいま何を考えているのか」の前文で取り上げられています。(だって帯に「ドラッカーなんて誰も読まない!?」って書いてあるし。。。)

ついでに、入山氏の最新著も下記に紹介しておきます。

■ 王者GMの危うさを示した『会社という概念』

三谷教授も本書の中(P70)で、ドラッカーの精力的な活動のすべてを紹介することはできないと、40~50年代の「近代マネジメントの伝道師」として活躍していた時期の思想を中心に説明すると宣言されています。

本書によりますと、
1946年に出版された『会社という概念』は、GMがドラッカーに依頼した自社研究レポートです。企業における実証研究の場を求めていたドラッカーがその求めに快諾し、43年晩秋から18カ月かけての調査プロジェクトがまとめられました。調べるにつれ、GMが採用していた事業部制の素晴らしさ、「大企業を管理する分権経営の手本」として見事なものでした。しかし、ドラッカーはそのGMを手放しでは称賛しませんでした。

① GMは作業者を利益追求のための(削減すべき)コストとして考えているが、作業者は人間であり、活用すべき経営資源である
② GMは命令と管理を重視する官僚主義に陥っており、将来の急激な環境変化に対応することができない

こう指摘し、従業員たちへのさらなる権限移譲と自己管理の必要性を提起します。これに対して、GM幹部は大いに憤慨し、このレポートを禁書扱いしました。その一方で、GMの外では「分権化」の必読書として大いに称賛され、危機に陥っていたフォード債権の教科書となったのは何とも皮肉な話です。

マネジメントの伝道師としてのデビューがこの著作でした。

ドラッカーは問いかけます。
「企業を中心としたこの「産業社会」は、社会として成り立つのだろうか?」
「「社会的存在としての人間」は、この産業社会において幸せになれるのだろうか?」

彼が出した答えこそ、
① 分権化
② マネジメント
でした。

■ 企業とマネジャーの存在意義を明示した『現代の経営』

本書によりますと、
8年後の1954年、『現代の経営』を上梓したドラッカーはマネジメント分野でのリーダーの地位を確立しました。シアーズやAT&Tという新しい成功企業を事例にして、

「経営管理者の仕事こそが事業に命を与え、そのリーダーシップがあってこそ資源たるヒト・モノ・カネが動き出す」

と主張し、「マネジメント」を独立した機能としてとらえ、「マネジャー」の役割を明確にしました。内容としては、ファヨール(フェイヨル)の整理と似通っていましたが、「機能」でなく「マネジャー」という個人(役割)を明示したことで、マネジャーの熱狂的な指示を得たのです。

ドラッカーは、さらに企業経営を「機械的な内部管理」だけでなく、大きく次の3つの側面から考えるべきと主張します。

① 顧客の創造 ― 企業は顧客に価値を創造するために存在する
② 人間的機関 ― 企業はヒトを生産的な存在とするためにある
③ 社会的機関 ― 企業は社会やコミュニティの公益をなすためにある

①は、「マーケティング」「イノベーション」に通じる物であり、③は「CSR:Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)」を明示したものであり、60年代に既に現代的な経営課題を先んじて論じる慧眼、まさに恐れ入りました、という感じです。

ただ裏返せば、彼のコンセプトに、現代の企業がなかなか追いつけなかったということです。三谷教授はこれを面白い表現で我々に伝えてくれています(P74)。

聖書も仏教の経典も、延べ数十億人に読まれていますが、悟りの境地に達した人間は数えるほどでしょう。同じく彼の『現代の経営』が打ち出した「目標による管理(MBO:Management By Objectives)」と「自己管理」の原則は、「新しい時代の人間像に基づく管理手法だ」と熱狂を持って迎えられましたが、実際には限られた企業の中でしか広がらず、多くの問題点を残しました。

筆者も、コンサルタントのはしくれとして、その昔は、事業会社のコーポレートスタッフとして、「MBO」「PDCA」「BSC」のコンセプトでもって経営管理に挑み続けましたが、いまだ満足できる事例を作り上げられていません。

注1)PDCAは、品質管理分野でデミング博士が提唱し、経営管理の世界でMBOとドッキングしている。本来のPDCAは、期間管理をする代物では決してない。

注2)BSCは、キャプラン、ノートンが提唱。具体的なMBO、PDCAの管理対象とする指標の整理方法として組み合わされている。

いずれにせよ、使いこなせないことまで、ドラッカーの責任ではありません。有用なコンセプトをつくり、整理し、広く世の中に伝えることこそが彼のミッションでした。その実践は、経営者とスタッフとコンサルタント(?)の仕事です。

もしどらのヒットは記憶に新しく、その続編も紹介しておきます。


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