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ガンジー(19)人間性への信頼を失ってはならない。人間性とは大海のようなものである。ほんの少し汚れても、海全体が汚れることはない。

名言・格言
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■ 潔癖主義や完璧主義と人格主義は全く異なる

You must not lose faith in humanity. Humanity is an ocean; if a few drops of the ocean are dirty, the ocean does not become dirty.

人間性への信頼を失ってはならない。人間性とは大海のようなものである。ほんの少し汚れても、海全体が汚れることはない。

(インドの弁護士、宗教家、政治指導者 / 1869~1948)
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あなたの抱く高潔な人のイメージは、逆に頑なに自分の潔癖な意志を貫く人、意志の強い人、というものかもしれません。私は本当の人格者は、一徹とか一貫だけで成り立つものではないと考えています。時には柔軟に思考し、時には厳しく襟を正し、また時には己の意志を貫く。要は本質とか原理原則は大事するけれども、実用への応用の段になったら、極端なほど現実主義になること。

自分の思いも実現されなければ、成就することはありません。成就するために手段を選ばない、と決意すべき時局に巡り合わせるかもしれない。そこで、己の信念を貫けるか貫けないか、小さな倫理観だけで高潔かどうか、人格者かどうかを安易に判断する風潮があるように見受けられます。

自分の意志を強く持つということは、その意志の実現にまで強い決意をもって行動することだと思います。

嘘も方便

ということわざがあります。これは、嘘も時と場合によっては、事をうまく運ぶためには必要悪である、と一般的には理解されていると思います。その引用元は「法華経」にある仏教用語です。法華経には比喩とか例え話が多く記述されており、その中で、火事になっているのに家から脱出しようとしない子供たちに対して、子供が日ごろ欲しがっていたものをアゲルヨ、といって家から連れ出すことに成功して、皆が無事だったという事例に基づきます。

そもそも、衆生(みんな)を救うことを目的として、仏教の真の教えに導くために用いる言葉を「方便」といい、ここから現代の「嘘も方便」という言葉の元になったのです。

事を成し遂げるためには、清濁併せ呑む度量の広さも必要かもしれません。細かい世評ばかり気にして、本質とか本義を見失っている人のいかに多いことか。

宋襄の仁

という中国の古い言葉もあります。

「仁」を大事にする宋の国の君主が敵軍が河を渡り切って、陣容を整えるまで待ってから戦さを始めたとする故事に由来するものです。自軍の数倍する敵を渡河中に叩くのは兵法の常道です。それを自分の小さな「仁」を尊ぶ気持ちを優先して、逆に自軍の多くの味方を死に追いやったわけです。こうなると、自分の我を通すことが正義かどうかも疑わしいわけです。

そういう意味では冒頭のガンジーの一滴どころで大海は汚れない、という言葉は、心理をついているのではと考えています。

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