■ 目的が先、手段は後
Find purpose, the means will follow.
目的を見つけよ。手段は後からついてくる。
(インドの弁護士、宗教家、政治指導者 / 1869~1948)
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プロジェクトワークで、クライアントやメンバとのディスカッションを毎日ある意味楽しんでいます。他の人との思いをぶつけあったり、互いに持ち寄った施策の良し悪しを論評するのは、すべて、前向きな態度でそれが行われれば、大抵は気分良く時間を過ごすことができ、会議が終わった後の爽快感たるや、言葉で表すことができない程ものがあります。
「そもそも」が語り合え、ちょっと躓いても、「とりあえず分かる地点まで遡ってどこで間違ったか確認しよう」と振り返りも適宜実施することができていると、短期的には後戻りしていても、着実に前に進んだ感があって、最終的には良い結果になっていることが多いと感じています。
そういうディスカッション後の爽快感、そしてプロジェクトの前に進んだ感がどういう時に得られるのかなあと考えるに、議題がとにかく「手段」ではなくて、そもそもの「目的」をきちんととらえたものであった場合であることを今日、再確認することができました。
別の言い方をすると、議論が「建設的」なのです。どうして建設的な議論だと感じることができるのかというと、
① ディスカッション参加者がとにかく課題解決志向であること
② 誰が悪かったかを明らかにするのをやんわりと回避し、何が悪かったのかを追求すること
③ 「そもそも何がしたかったんだっけ?」というセリフで口火を切っても誰も否定しないこと
という3つの条件が揃っていたことを明確に再確認できたからです。
比喩的にいうと、とにかく大仙でもなく男体山でもなくて鳥海山を上るのだ、といったん決めたとしたら、山頂を目指して、どのルートから登るのが一番体力を消耗しないで、一番早く到達できるのか、あるいは一番安全でけがをするリスクが最も低いルートはどこか、をわいわいがやがやと登山を始める前に議論するようなものです。そして、ルートが決められれば、行程表を定め、携行品を決め、実際に山に登るのです。途中途中のキャンプで、方位磁石で方向を間違っていないかを確かめ、明日の行動を再チェックする。そういう毎日は、疲れるけれど、その疲労感は大変心地よいものとなります。
とにかく議論や会議が無味乾燥で参加しても疲れるだけとか、結論も出さずにだらだら時間だけが過ぎるとか、声の大きい人の意見だけが通るとか、とにかく、会議がいけてないなあ、とお感じのそこのあなた、
「そもそも目的ってなんでしたっけ? 忘れてしまいました。もう一度教えてください」
と、テヘペロ的な顔で、口にしてみるのもいいかもしれません。
ただし、あまり多用すると、「そもそも先生」とあだ名されて、そのうちに会議にお呼ばれされなくなる可能性もありますが、、、(^^;)
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