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時計に命、意地の指先 時計職人・松浦敬一 2015年6月8日OA NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

TV番組レビュー
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■ 時計の名医、島にあり。壊れた時計がよみがえる!!

コンサルタントのつぶやき

小さな島のスゴ腕職人。松浦敬一さん。瀬戸内海に浮かぶ大崎下島の御手洗地区で、小さな時計店を営んでいる。大手のメーカーが修理できずにさじを投げた時計が彼の手元に日本中から集まってくる。松浦さんが言う。「時計には人生が詰まっている」。

松浦さんの朝は早い。6:30に開店。島の住人が朝一で時計を持ち込めるようにするため。年中無休。盆も正月でも一日も休まない。まずは日課の掃除から。ほこりは時計修理の一番の大敵。大小100の部品からなる時計。その一つでも狂い出せば時計は正しい時を告げなくなる。

持ち込まれたのは40年前に購入されたスイス製の時計。5年前から遅れが目立ってきた。原因は歯車に付着した汚れ。汚れが歯車の動きを悪くしていた。松浦さんは一つ一つの部品を分解し、洗浄液に浸し、はけで汚れを取っていく。そしてまた一つ一つの部品を組み立てる。分解する時に、その分解手順をすべて頭に叩き込む。なにせ頼るべき設計図は存在しない。

松浦敬一_プロフェッショナル_20150608

番組ホームページより

松浦さんの修理が無事終わり、時計は再び時を告げ始めた。ひげぜんまい。500分の1秒狂っても1日で3分狂ってしまう、シビアな世界だ。古い時計には替えの部品は手に入らない。ひげぜんまいの調整をしくじればその時計は死んでしまう。数ある時計修理屋が回避するひげぜんまいの修理に立ち向かう。松浦さんの流儀がそこにある。

「逃げない、しんどい道を進む」

「みんな逃げようとするからね。しんどいことは疲れるからね。それを可能にするとなったらどうしてもしんどい方へいかんと。だから最善を尽くすだけ」

他の職人があきらめたものを直すためには皆が避けるしんどい作業を引き受けるしかない。松浦さんは自らに逃げることを許さない。次は、50年前の時計が息を吹き返した。

「やっぱり元気になったいうのはね、ホンマに気持ちがええですよ。これがあるけん、続けられるよね。いつまでもね。やめようと思わんね」

 

■ プロのこだわり

年間300の時計が全国から集まってくる。修理は半年から一年待ちの状態。依頼は高級腕時計、キャラクターウオッチからかけ時計まで。年代も種類も様々。修理に取りかかる前、松浦さんには欠かせないものがある。

「持ち主の思いを力にする」

時計と一緒に送られてきた手紙を丹念に読みこむ。「この時計をどういう人が使っていたとか、親のをもらった時計とか、記念にもらった時計とか、いつごろもらったとかね。時計に対しての思いもあるしね。そういうのを頭に入れてから取りかからんと」。手紙で分からないことは直に電話で確認する。依頼者の思いに深く触れてこそ、とびきりの集中力が発揮できると松浦さんは信じている。

めざす仕事の姿がある。

「“最善”と断言できる仕事」

松浦さんは何とかなったという仕事をとにかく嫌う。これが最善と言い切れるまで粘り抜くのが信条だ。「一つ一つの時計に抜け目の無いように誠心誠意尽くすという最高のものにもっていきたいからね。最善を尽くして動くものにして戻したい気持ちが一番強いです」

 

■ 瀬戸内の島、時計の名医 修理一筋50年の意地 - 意地っ張り人生

生まれつき手先が器用で負けず嫌い。そういう性格を見抜いた祖父が小学生の松浦さんを弟子に混ぜ修業させた。中学生の頃には、数多くいる弟子の中で一番の腕と認められた。才能を見出してくれた祖父ががんに倒れ、最後に交わした言葉が「店を頼む」。

「最後の言葉はよう忘れられんですね。負けたですね。おじいさんの気持ちにね」松浦さんは島を出たいという気持ちを封印して店を継いだ。しかし、時代の波は松浦さんの想像を超えたスピードで押し寄せてきた。昭和50年代に入ると安価なクオーツ時計が普及。時計は使い捨ての時代になった。営業努力しても収入は年々減っていく。生活を切りつめて何とか店の経営を続けていた。でもそれ以上に自分の腕はもはや必要とされていない現実が心を重くしていた。

「収入の無いのが辛かった。これだけの技術があっても、なんぼ技術があっても、それを直す技術が発揮できんのじゃから、だからしんどかったですね。辛いです」。不遇の時代は20年続いた。それでも松浦さんは頑なに仕事を変えようとはしなかった。50歳になった時、歴史の風情がある島の街並みが偶然雑誌で特集された。松浦さんの仕事もそこで取り上げられた。

するとポツリポツリと修理の仕事が舞い込むようになった。送られてくるのは、他の時計店がさじを投げた困難な依頼ばかり。それをコツコツ修理すると、次第にうわさが広まり、さらに時計が集まるようになった。60歳になった時、一人の客からお礼の手紙が届いた。何気なく読んだ文面が心に沁みた。「父の死後、失われた25年を取り戻した思いです。私の心の時間の修復をしてもらったような気持ちがするのです」。

 

■ 動き出す“時”、動き出す“心”

「助けられたですね。ああ、こういうのもあるんじゃなあ思うてね。やっぱりちいとでもそういうんの時計を直してあげて、それから喜んでもらったら元気をもらってくれたらちいとでも助かるんじゃないかと思ったですね」

島に残った選択、時計修理を諦めなかった選択、自分の選んだ道は絶対後悔しない。そう意地を張って松浦さんは生きてきた。「やっぱりうれしいですよ、修理できることはね。「ピンセット持って棺桶入れてくれ」いうくらいしたいんだが」

毎日仕事の後のウォーキングは、座り仕事が続く体に血液を巡らせてくれる。風呂でも独自のケアがある。タオルで目を温め疲れを取る。

4月中旬、風変わりな依頼が舞い込んできた。40年前のスイス製の腕時計。同封されていた手紙には、「直らない時は破棄して頂いて結構です」。その一文の真意を測りかねていた。送られてきた時計の状態を見る。錆びついていて裏ぶたが開かない。修理は絶望的。でも何か気になる。依頼主に電話をした。電話には持ち主の妻が出た。時計は夫が若い時から肌身離さず身につけていたもの。何軒も修理を断られ、松浦さんが最後の希望という。自分があきらめればこの時計は死ぬ。思いを受け止めた。

 

■ 止まった時、再び - 小さな島の“時計の名医”依頼主の秘めた思い

依頼主は72歳で、14年前に脳卒中で右半身が不自由に。毎朝2時間の運動で何とか体が動く状態だった。脱サラしてフラワーショップを経営。経営が軌道に乗った時に買ったこの腕時計を肌身離さず身に付け、夢を懸命に追い続けた頃の思いがこの時計には刻まれている。14年前に体が不自由になった頃、不思議なことにこの時計も故障し、動かなくなっていた。依頼者は信じていた。この相棒が再び動き出せば、自分も元気になれると。

時計修理のスゴ腕職人、“人生の時計”動かせるか?

依頼者の時計の修理が始まった。止まってから14年が経つ時計。果たして直せるかどうか? 錆びついてねじが回らず、機械部を本体から外すこともできない。ドライバーの先をやすりで磨いて、深くネジ穴に差し込んでネジを回す。そして表れてきた時計の心臓部のひげぜんまい。錆はきていない。望みはつながった。ここまで通常の3倍の時間がかかった。ひげぜんまいは何度も微調整を繰り返し、動くようになった。

しかし本番はこれから。その他の機械部分が錆で動かなくなっていた。飛び切り厄介な部品に錆が見つかった。時計の針を回すための「筒カナ」が錆びて回らない。機械油を馴染ませ少しずつ動かし、錆を落としていく。組み上げて試しに動かしてみた。再び針が動き始めた。依頼者の相棒が息を吹き返した。依頼者の手元に再び動き始めた時計が戻った。依頼者の気力がみなぎっていく。

時計修理一筋の意地っ張り人生。今日も思いが刻み込まれた時計との真剣勝負が始まる!

 

プロフェッショナルとは?

「時計の一つ一つについて、誠心誠意向き合う。
 きちんと向き合って、誠意をもって対応する。
 当たり前のことを、きちんとこなすのが、
 プロフェッショナルじゃないかと思う。」

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→再放送:6月13日(土)午前0時55分~午前1時43分(金曜深夜) 総合

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