■ いま最も勢いがある日本代表! 世界的名将の育成術に迫る
「伝説の名将ここにあり」
とつとつとした日本語で語りかける小柄な男。実は、世界でその名を知らない者はいない百戦錬磨の名将だ。体格やスピードで劣る弱小国とされていた日本に、日本ならでは勝ち方を教え、日本史上初、世界ランキング9位に導いた。最強の組織を作るそのリーダー論は、ビジネス界からも熱い注目を集める。
「何よりも私たちは失敗から学ぶのです。」
趣味は日本人観察。強みも弱みを知り尽くす。誇り高いサムライを育てる。
■ 百戦錬磨の世界的名将 日本人の力はこうして引き出す
オーストラリア人のエディは監督就任3年目。自他共に認める仕事の虫だ。去年の10月、12日間に及ぶ宮崎合宿に密着取材が始まった。練習開始は朝6時スタート。これほど早い時間帯の練習開始は世界に類を見ない。エディは体を温め、万全の体制で選手を待つ。
「自分の体と仕事の準備。考えるための時間。それと選手のチェック。」
エディが指導するのは大学や社会人リーグで活躍する日本の精鋭たち。だが世界の強豪から見れば、体格も馬力もそしてスピードも劣る。その差をいかに埋めるか、エディが課すのは世界一か国と評される練習だ。そこには数々の実績を上げてきたエディならではの哲学がある。
『強みを知り、強みを伸ばす』
2003年、オーストラリア代表を率いたW杯。エディは選手たちの優れたスピードとパス技術を生かした戦術で準優勝に導いた。南アフリカ代表では、タックルを好む国民性に注目。世界屈指の堅い守備を前面に押し出し、優勝に貢献した。
エディが考える日本の強み。それはどんなに厳しい練習にも耐え、向上心を持ち続ける勤勉さだ。
「日本人は体格も小さいし、経験も少ないので、海外の強豪よりもハードに練習しないといけません。日本人の強みは、まじめで忍耐力があることです。それは間違いなく世界一です。ほかの国の選手なら、とっくに逃げ出しているでしょう。」
試合形式の練習中に鐘を鳴らし、全力疾走させる。休む間もなくプレー再開。エディが目指すのは、世界一過酷な練習に裏打ちされた世界一タフなチーム。
■ 日本代表を率いる世界的名将 最強の組織を作る型破りな手法
だが、エディの名将たる所以は、過酷な練習で選手を追い込むだけではない。選手一人一人の能力をいかに最大限引き出すか? その卓越した手腕こそ、エディの真骨頂だ。この日、エディの視線は一人の選手に注がれていた。代表初召集のトンガ出身のアマナキ(通称ナキ)。日本に来て5年。その才能にほれ込んだエディが代表に選出したが、引っ込み思案な所がある。どうやってナキをチームに馴染ませ、戦力としていくか? 翌日の練習では、初召集では異例のレギュラーとして選抜した。ナキは母国トンガの代表を断り、日本代表を選んだ。この先、トンガ代表としてプレーすることは叶わない。そしてエディは驚くべき手に出た。突然ナキをレギュラーから外したのだ。
「選手の心をもてあそぶことはしませんが、少しだけ揺さ振りをかけるのです。選手たちには失望も感じてほしいのです。それを乗り越え、チームを支え続けてほしいのです。」
組織を戦う集団として育てる時、エディは一つの信念を貫く。
『ハッピーにしない』
「私は、ハッピーなチームにはしたくありません。居心地がいいと、能力が発揮できないからです。時には少し突き放すことで、選手が100%安心しないようにします。あえて刺激し、緊張感を作り出すのです。」
■ 体の小さな日本人でも勝てる! 世界的名将が授けた戦い方とは
選手の育成のために、脇を固めるコーチ陣にも気を配る。スクラムにはフランスの有名なコーチ、タックルのコーチには日本人の総合格闘家を。体格の劣るチームに体制を低く早いタックルを伝授する。一昨年行われたヨーロッパ王者ウェールズとの試合。早速その成果が出た。平均体重110kgの相手にスクラムで圧倒。相手の突破を止める重心の低いタックルを次々と決めた。そして決め手は、豊富な練習量に裏打ちされた連続攻撃。いくら止められても、いち早く陣形を建て直し、しつこく突破を試みる。15回にわたる攻撃をしぶとく仕掛けてトライを奪い、歴史的勝利をつかんだ。さらに強豪を連破し、世界ランクは過去最高の9位に上昇した。
けれど、それで満足しないのがエディさん。新たな練習法を次々と編み出している。この日持ち出したのはアメフトのボール。ラグビーボールより軽くて滑りやすいため、ミスする選手が続出した。エディさんの仕掛けに困惑する選手たち。ここにひとつのねらいがある。
『どんどんミスをさせる』
「私たちは失敗から学ぶのです。練習とはそういうものです。日本の練習で一番間違っているのは、ミスをしないように練習することです。ノーミス、ノーミスと叫んでいますが、ミスをするから上達するのです。」
■ 世界の強豪を倒せ!! “戦う組織”はこうして作る
宮崎合宿を終えたエディジャパン。成果を試す重要な試合を迎えた。勝率9割を誇る世界屈指の強豪、マオリ・ブラックス(ニュージーランド)との2連戦。日本代表はエディ就任前にも一度対戦し、43点差で粉砕されていた。この強敵にどう立ち向かうか? ミーティングの途中、エディは突然日本のアニメを見せ始めた。困難に怯まず立ち向かう鉄腕アトムのように、勇気を持て!
「テーマは勇気! 最初必ず日本の攻撃ね。マオリは攻撃的なチームだけど日本が主導権を握ること。攻撃の意識ね。」
初戦、受けに回った日本は失点を重ねた。日本21:マオリ61。40点差をつけられた大敗だった。
「負ければプライドが傷つきます。だからこそ、もっと強くなりたいという気持ちに駆られるのです。」
第2戦でどう雪辱を果たすか。
「なぜ日本人が勝てないかというと、日本人は優しすぎるから。相手を痛めつけてやる、という思いでやらないと。争いなんだから、勝ちたいと思わないと。それは習慣づけなければいけないし、態度で示さなければならない。」
『勇気を持て』
「ラグビーは最も体格がものを言うスポーツです。日本人は常に上の階級の相手と戦っているようなものです。だから、選手が勇気を見せてくれたとき、私はとても満足します。」
試合残り8分。ついにリードを奪う。このまま勝ち切れるか? だが試合終了3分前、痛恨のトライを許す。日本18:マオリ20。あと一歩まで追い詰めたものの、届かなかった。
■ 世界的名将の知られざる半生 運命だった日本代表監督
世界の名将と名高いエディさん。その名声は日本との数奇な運命によって育まれた。
『日本への恩返し』
1960年、エディさんはオーストラリア人の父と、日本人の母の元に生まれた。ラグビー大国オーストラリア。エディさんもあっという間にのめり込んでいく。体も小さく足も速くなかったが、頭脳明晰と評判の選手だった。大学を卒業後、地元のチームでプレーしながら、代表入りを目指したが目が出ず、33歳で引退。学校の体育教師として働いていた2年後、チャンスが訪れる。突然日本の大学チームからコーチをしてくれないかという誘いが舞い込んだ。母親の母国、大きな夢を抱いて初来日した。だが、そのプレーを見て愕然とした。技術もなければ体力もない。ラグビーの体を成していなかった。
「ひどいレベルでした。でも潜在能力は高く、学ぶ意欲もとても強かったです。」
教えれば教えるほど夢中になって吸収し、伸びていく選手たち。エディさんは基礎の戦術から、最先端のチーム論まで片っ端から学び、選手の指導に日夜明け暮れた。1年後、母国のチームから監督のオファーが来た。エディさんの指導者としての快進撃が始まった。就任3年目で世界最高峰のリーグで準優勝。4年目に優勝。名将と言われるまでになった。その手腕を買われ、41歳の若さで念願のオーストラリア代表監督に就任。2年後のW杯で見事準優勝を勝ち取った。
だが、ここからが本当の試練の始まりだった。次こそは優勝。世間の期待は膨らむ一方。しかしエディさんは選手の世代交代に失敗し、成績は下降線の一途をたどった。バッシングの嵐。自宅にゴミを投げ込まれた。2年後、任期途中で解任された。
「無力感を感じました。人生で一番やりたかった仕事を失ったのです。この先、どう生きたらいいのだろうと途方に暮れました。」
1週間後、気づけばエディさんは日本に向かっていた。かつて世話になったチームで選手たちと一緒に汗を流した。皆変わらず練習に打ち込んでいた。エディさんの中で何かが吹っ切れた。
「日本の選手たちは、私にオーストラリアで何があったのか聞いてきませんでした。日本人の素晴らしい心です。とても前向きになりました。」
再び、這い上がって見せる。エディさんはオーストラリアに戻り、弱小チームの監督を引き受けた。何のとりえもない選手たち。まったく勝てず、悶々とする日々が続いた。そんなある日、ある若手選手に目をとめた。練習が始まって20分立つと、決まって動きが緩慢になり、精彩を欠いていた。データ上では説明がつかない。エディさんは1対1で話を聞いた。すると、5分も経たないうちに大声で泣き始めたという。
「両親が離婚し、父親がギャンブル依存症でお金を取り上げられていたのです。そこで心理学の専門家に相談し、父親もサポートしました。そうすると、彼は見違えるように回復し、活躍していったのです。」
エディさんは彼の他にも才能を持て余している若手がいることに気がついた。このチームの最大の強みは若い選手の可能性。指導者としてひとつの哲学が刻まれた。
『強みを知り、強みを磨く』
その後、世界で目覚ましい実勢をあげたエディさんに、2年前、日本代表監督の声がかかる。他にもオファーがあった。それでも日本を選んだ。胸に秘めた思いがあった。
「私は半分日本人ですし、最初にコーチの仕事を与えてくれたのも日本でした。日本には義理を感じています。キャリアの最後は日本に恩返しをしたいと思っています。」
エディさんは20年におよぶ指導者の集大成として、日本人の強みを生かし、新たな歴史を刻もうとしている。
■ 今年のW杯で勝つために名将が明かす日本の課題
最大の目標、W杯まで1年を切った2014年11月、エディ率いる日本代表はさらなる強化を目指して、東ヨーロッパ遠征に赴いた。エディ就任以来、急成長を遂げたとはいえ、日本はW杯通算1勝の弱小国。その日本画強豪国を倒し、目標のベスト8を達成するのは容易ではない。大舞台で勝つために、エディの試練の時がやってこようとしていた。
日本に足りないもの。
コーチ陣を集めて、ミーティングを行った。
「選手にもっと責任感を持ってもらう必要があります。責任とは(各ポジションの)リーダーが若手にもっといいプレーをさせることです。それがリーダーの仕事でもあるのです。」
チーム最大の弱点は各ポジションのリーダーにあるとエディは考えていた。試合が始まれば、監督が逐一選手に指示を出すことはできない。リーダーが自ら判断し、チームをけん引できなれば、さらなる成長はない。エディが特に期待を寄せるリーダーがいた。副キャプテン、五郎丸。チームのスター選手だが、自己主張が若干弱い。
3日後に行われたルーマニア戦。リーダーたちの判断力が問われる格好の試合となった。相手のプレッシャーが強く、なかなか得点が奪えない。リーダーはこの状況をどう打開するか? 五郎丸たちはキックでコツコツと得点を積み上げる方法に出た。大きくリードを奪えないため、逆転される恐れもある。それでもキックを選び続ける。
「選手自らが考え行動ができる。私の仕事は私の仕事を無くすことだ。それができれば、選手たちが自分たちで問題を解決できるわけですから。」
全ての得点を五郎丸がキックであげる。難しいゲームを勝ち切った。
日本18:ルーマニア13。
「今日のチームは調子よくなかった。でもすごいファイトだった。日本がキックの得点で勝つことは珍しいことです。そう判断した彼らを誇りに思っています。」
■ 日本代表を率いる世界的名将 リーダーをどう育てるか
次に戦うグルジアはもっと手ごわい相手。しかし、精神的支柱だったキャプテンが負傷で離脱。その他の選手にもけが人が出た。
「今は次の試合を考えます。前の試合は終わり。」
経験の少ない若手中心のチームをどうリーダーが引っ張っていくか。
「(対戦する)グルジアは世界で一番体格が大きいチームのひとつ。赤ちゃんはひげが生えて生まれるって言われている。他国からレスリングを学びに来るくらいだから、組み合うのは避けた方がいい。」
リーダーたちを集めたミーティングで大まかな戦術を話し終えると、エディは部屋を後にした。あとは自分たちで考えさせる。五郎丸たちがどこまでチームを束ねられるか。選手たちは夜遅くまで気迫のこもった練習を続けていた。エディは大切にする儀式に取りかかた。選手一人一人に向かって、メッセージを用意する。
試合当日、エディは日本語で語り始めた。
「みんな4月から一生懸命やった。チームのレベルも上がりました。今日はグルジアのホームゲームです。でも日本のチームはタフなチーム。技術あります。体力あります。大事な勇気あります。15人の勇気あります。自信持ってね、今日。僕、自信持ってる。」
グルジアは体格差にものを言わせ、押し込んできた。先制トライを奪われる。7点をリードされて試合を折り返した。そこに不吉な情報が飛び込んできた。前半、五郎丸が相手のラフプレーで負傷したという。それでも出場を志願した。勝負の後半が始まった。
Japan Way
日本は、日本の道を行け
反撃はエディが日本に授けたあの戦術から始まった。これまで幾度となく強敵を倒してきた連続攻撃。何度止められても、相手に向かっていく。
試合終了。
日本24:グルジア35。
それでもエディは笑顔だった。選手の成長に確かな手ごたえを感じていた。
「勝てませんでしたからね。これは私の責任です。選手たちは100%力を出し切ったと思っています。それがジャパン・ウェイです。次に何をすべきか、これから考えます。それも楽しみなんです。」
W杯で世界を驚かす日まで。エディ・ジョーンズの戦いに終わりはない。
プロフェッショナルとは?
「私にとってプロフェッショナルな人というのは、
何事も常にしっかりやろうとしている人だと思います。
どこであろうと何をしていようと、
自分の仕事はできるだけ完ぺきにやろうとする人です。」
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番組ホームページはこちら
(http://www.nhk.or.jp/professional/2015/1005/index.html)
日本代表 – 日本ラグビーフットボール協会のホームページはこちら
(https://www.rugby-japan.jp/japan/)
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