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盤上の宇宙、独創の一手 囲碁棋士・井山裕太 2016年4月25日 NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

TV番組レビュー
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■ 七冠達成! 囲碁棋士 井山裕太 その素顔と強さの秘密

コンサルタントのつぶやき

『独創の碁』

囲碁7大タイトルのうち6つを独占するという、前人未踏の快挙を成し遂げた囲碁棋士・井山裕太(26)

20160425_井山裕太_プロフェッショナル

公式ホームページより

2年前、6つのタイトルを持つ井山の戦いの日々を密着取材した。12歳でプロデビューした井山はどうやって史上最年少「名人」となり、類まれない強さを身に着けていったのか。

一手打つために千の可能性を読み合うプロ棋士の世界。その中で井山は勝率は驚異の7割。

2013年9月25日、名人戦 第3局、兵庫・宝塚。井山は囲碁7大タイトルのひとつ、名人位に挑んでいた。ここまで1勝1敗。先に4勝した方が勝ちとなる。井山は対局者より先に部屋に入る。一つの儀式を行うためだ。これから戦う碁盤を磨き、集中力を高めていく。対戦相手である名人の山下敬吾は10歳年上で平成の四天王のひとりに数えられる。最近は井山が勝ち越しているが、これまでの対戦成績はほぼ互角。

囲碁は黒と白の石を碁盤に置き、囲った面積の広さを競うゲームだ。相手を妨害しながら、「地」と呼ばれる陣地を増やしていく。どこに打つか、その方法は無数にある。一目でも多く陣地を稼げるように石を置いていく。互角な情勢が続く中盤、井山が思い切って相手の陣地の飛び込む一手を打つ。対局を見守るプロたちがどよめいた。プロの多くが考えたのは、角(すみ)の地を固める一手。だが、井山はその角を捨ててでも、相手の白地を奪いに行く手を打った。並み居るプロたちを唸らせる一手こそ、井山の本領。追い続ける理想の打ち方がある。

『独創の碁』

「結局、人まねばかりしてちゃ、勝てないんですよね。常識的にはこっちなんだろうけど、自分はこっちに打ちたいというのがあったとしたら自分はほぼ迷わず自分の打ちたい方というか、それを選ぶようにはしていますね。」

井山の強みは、直観的に打ちたいと思う手をためらわずに打つところにある。プロ同士の戦いでは読みの力は拮抗することが多い。その中で常識外れとも思われる一手を打つことで局面を打開するやり方で井山は対局を続けてきた。形成が有利になっても、井山は大胆な手を繰り返す。危険を顧みず、踏み込んでいく。

『安全は、最善の策ではない』

「安全な手というのは、ちょっとずつ甘い手というか、最善から少しずつ悪い。例えば100点の手から90何点。90何点の手が少しずつ積み重なっていくと、勝負が入れ替わってしまったりするような世界なので。どちらがリスクがあるかっていうと結構難しい。」

対局開始から17時間半。井山は名人山下を押し切り、第3局をものにした。

 

■ プロフェッショナルのこだわり

プロ棋士の毎日は新たな手を生み出すための研鑽の日々だ。井山も自分の対局を分析するストイックな毎日を送っている。でもあることに気を付けている。

「反省はするけど、後悔とか引きずったりはあまりしない。」

囲碁への情熱を失わないように集中して勉強し、短い時間で切り上げる。そしてもうひとつ大切にしている勉強法がある。若手棋士たちと開く研究会(井山研究会)だ。10代、20代の若手だけで和気藹々。格下の棋士でもそのみずみずしい手は大いに参考になると井山は言う。研究会にはなんと小学生もいる。彼女も井山に刺激を与えてくれる一人だ。

「どうしても大人になるといろいろ考えてしまって、なかなか出来ないことも、すごく思い切りよく、小さい子は打ってくるので」

忙しいタイトル戦の合間にも、井山は必ずここに顔を出す。

「みんなでわいわいするのが楽しいから来ている、というのもありますよね単純に。もちろん勉強なんですけど。実際の勝負の時というのは本当に孤独な戦いですので。気分転換といったらおかしいですけど、そういう意味もあるかなと思います。」

 

■ 自分を信じぬく力

今、井山には向き合っている課題がある。日本棋院 囲碁殿堂資料館には歴代の名人が残した棋譜がある。例えば、江戸時代並び立つ者がいないと言われた本因坊道策(1645~1702年)が残した棋譜。300年以上前の名人たちの打ち方を再現してみる。求めているものが確かにそこにあると井山は感じていた。

「やっぱり強い人はみんな自分のものを持たれているというか。自分にしかないものというか、自分は絶対ここには自信がるとか、何かそういうところを強い人は持たれているような気がしますね、多分どの時代でも。」

最高の手を思いつくだけでは、プロの道では勝ちきれない。勝負のかかった場面で、時には大胆な手であっても信じて打ちきれるかどうか。誰の助けもない中で、それをやりきるのは容易なことではない。

『自分を信じぬく力』

名人戦 第5局 2013年10月16日 山梨・甲府。井山は3勝1敗と王手をかけていた。序盤から激しい攻防。対局が2日目に突入しても優劣がつかない。井山、101手の手番が山場となった。角を守るか、敵陣の囲いを攻めるか。対局を見守るプロ棋士たちの大勢は角を捨てるで一致していた。角を守るまさかの手。だが井山は敵陣中央を攻めるのをあきらめたわけではなかった。ある直感があった。

『石に、気迫を込める』

井山が中央に切り込んだ。足がかりが無くても切り崩せる。その直感を信じて打ち続ける。

「相手の手が全ていい手に見えているようでは、なかなか勝負には勝てないので。誰になんと言われようと自分はこうなんだ、というのがないとダメだと思う。」

夜8時、18時間余りの戦いを制し、井山は名人位を奪い取った。知力を尽くして戦い抜く。それが井山が住む世界だ。その日の夜、井山は先輩棋士と酒を酌み交わしながら、対局を振り返っていた。テレビの取材が入っていることに乗じて、先輩たちが井山に突っ込み始めた。

(先輩棋士)
「強くなろうとしていた時、どうしていたの?」

「本当、当たり前のことしかやってないと思うんですけどね。みんなやっているようなことをやってると思うんですけど。」

24歳にして前人未到の6冠制覇。でもその裏には勝負師として葛藤してきた内なる戦いがある。

 

■ プロで初めて泣いた日

井山は大阪の生まれ。共働きの両親の元、一人っ子として育った。囲碁と出会ったのは5歳の時。父親がテレビゲームのソフトを買ってきたのがきっかけだった。コンピュータと対戦するうち、たちまち父親が敵わないほど強くなった。

「今まで勝てなかったコンピュータにたまに勝てるようになり、もう少し負けなくなり、勝ち始めて行く中で、なんとなく強くなっているのかなという感覚が得られるのが楽しかったんでしょうね。」

翌年、大人に交じってテレビ選手権に出場すると、幼稚園生の井山はアマチュア戦で見事5人抜きを達成した。これを機に、番組で解説を務めた石井邦生9段に弟子入りすることが決まった。石井さんは井山のために、異例の練習法を考えた。電車で通わせ続ければ、幼い井山は疲れてしまう。それより自宅でのびのび打たせようと、当時、出初めのインターネットで対局を重ねた。細かい技術は教えず、毎週送る手紙で、ひとつのことを言い続けた。

『元気いっぱいに打ちなさい』

石井さんの指導の元、井山はみるみるうちに頭角を現していく。8歳で小学生名人。12歳でプロデビュー。そして16歳で飛び級を認められて7段に昇格。一躍トップ棋士の仲間入りを果たした。順風満帆の道のりに、初めて壁が立ちふさがったのは、その頃からだった。百戦錬磨のトップ棋士たちとの対局では、勝負どころで慎重になってしまう。負けられないと気負うほど、奔放な手を打ちきれない。大一番で際どい負けが続いた。

「どこにもぶつけることができない、悔しさもそうだが、もやもやしたものが。(家に)帰る気もしなくて、(駅の)ホームにずっと座っているということもありましたね。何にもする気がしないというか。」

死にもの狂いでその壁を破る対策を考えた。読みの正確性を高めようと、徹底的に詰碁の問題を解いてみた。長時間戦う体力をつけようと、坂道でのランニングも行った。19歳の時、初めて名人位への挑戦権を得る。相手は台湾出身の張栩名人。井山が目標にしてきた最強の棋士だ。井山は幸先よく2連勝。でも勝つほどに言いようのない苦しさに悩まされるようになった。負けても張栩名人は平然と打ち続けてくる。45cm先でこちらの強さを試されている圧倒的な空気。

「張栩さんの打つ手からは自信というか、そういうものがひしひしと伝わってきたというか、張栩さんにそういうふうに打たれると、そっちが正しいのかなとかっていうふうに思って。」

どこに打っても自分の手が悪いような錯覚に陥る。その感触を最後まで払拭できず井山は負けた。控室に戻った時、プロになって初めて涙がこみ上げてきた。

「最後に自分を信じきれなかったなという悔しさというか、負けたことに対するというよりも、そういう悔しさというか。」

井山さんは自分に欠けているものにはっきりと気づいた。

『自分を信じぬく力』

この悔しさを心に刻みつけ、井山は変わった。一手一手、自分はこう打つと心に決めた。批判を恐れず大胆に。目指すのはどんな状況でも自分を信じぬく境地。勝負師としてあくなき挑戦が続いている。

 

■ 七冠達成! 囲碁棋士 井山裕太 その素顔と強さの秘密

2016年4月20日 十段戦 第4局。 前人未到、七冠達成! しかし、その道のりは長く険しかった。一年で最も厳しい戦いが始まろうとしていた。囲碁世界一を決める世界トーナメント。井山は日本代表として出場する。かつては世界最強を誇った日本。だが近年は中国、韓国に追い越され、ここ8年、世界主要大会での優勝を逃している。特に強いのが中国。世界戦を7度制した古力(グー・リー)。今や実力世界一と呼ばれている陳耀ヨウ。世界のトップを独占する勢いを示している。

日本を代表する誇りを懸けた戦いが始まろうとしていた。11月10日、韓国・仁川。世界一を決めるトーナメント、LG杯に臨むため韓国に降り立った。井山は準々決勝に駒を進めていた。

「自分ができるだけのことをやるというか、自分の普段の力をどれだけ出せるかだと思います。」

次の対戦は、実力世界一といわれる中国の陳耀ヨウ。井山にとっては長年の強敵だ。初めて対戦したのは小学生の時。子供同士の戦いでは負けたことのなかった井山が同じ年の陳に負けた。

「悔しいというよりは、驚きの方が大きかったかもしれないですね。勝負できるようになろうと思ったら、今までのようではいけないなとも思いました。」

中国の棋士は、競り合いでの読みがめっぽう鋭い。井山は序盤から独創的な手を放ち、相手の読みを超えた展開に持ち込みたいと考えていた。

「日本の代表として、日本のタイトル保持者として、それなりのものを示したいというか、それなりに自信は持っているので、とにかく自分のベストを尽くして、いい戦いが出来ればと思いますね。」

LG杯 朝鮮日報 棋王戦 準々決勝 対局当日、井山はいつもの通り先に部屋に入る。

「すごく鋭い、目つきもそうなんですけど、結構迫力を感じるほうで。そういう鋭さというのが陳さんの強みでもあると思いますし、隙を見せると持っていかれるというか、素いう鋭さを持っていると思いますね。」

序盤、陳は井山の独創性を封じる手を打ってきた。かつて日本でよく打たれた定石だ。既によく研究されており、新たな展開には持ち込みにくい。別室では韓国の棋士たちが戦局を見守っていた。井山が動いた。黒(相手の石)を小さく抑え込み、自陣を広く確保しようという手。長考の末、陳が最強の手を返してきた。一手先んじた陳は打ちこんできた。一手ずつ後手に回る。苦しい展開だ。井山は形成を挽回する会心の一手を探る。

『自分を信じる力』

井山が強硬な一手を返した。

「一番、許さんといった手というか。一番厳しく相手に迫った手ですね。左側の陣地を巡って激しい展開。陳は重圧をかけてくる。形成はわずかに陳有利。対局開始から4時間。

「直接攻めてもちょっとうまくいかないと見て、こちらに打ったんですけれども。」

陳の重圧をはぐらかし、新たな場所へと誘う一手。だが陳は井山の誘いには乗らなかった。更に下側から左側を攻め上がる。形成は一気に陳に傾いた。井山は粘るが、陳は確実に反してくる。開始から5時間半。ついに投了に追い込まれた。井山の自在な手を完全に封じ込めた陳。これが世界一の実力。控室では棋士たちがこの一戦を検討している。井山は30分、自分の部屋から出てこなかった。控室に現れた。遠巻きに検討を見つめる。あの手を選んだ自分とは何か? 心は揺らいでいなかった。井山は碁盤を睨みつけていた。対戦の翌日、井山はいつもの表情に戻っていた。

「どういうところが他の棋士と違って強いのか、対局で少し分かった気がするので。今回の経験を生かしてなんとかもう少しいい戦いができるように。もうちょっと強くなりたいと思いましたね。」

全身全霊をかけた頭脳の戦い。遥かな頂きを目指して、井山の修行は続いていく。

プロフェッショナルとは

どういう苦しい局面でも、どんなにわからない
未知の世界に入ってもですね、やっぱり自分を
信じる力というか、それに尽きますね。

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→再放送 5月2日(月)午後3時10分~午後3時59分 総合

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