■ 「常識」にはいい常識と悪い常識がある!
Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18.
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。
(理論物理学者、ノーベル物理学賞受賞 / 1879~1955)
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私の語感として、「常識」という言葉には2つの意味が込められていると考えています。
① 仲間内で円滑な人間関係を営むためのプロトコル(いい常識)
② 脳力(能力ではない)を節約するためのショートカット(わるい常識になる可能性あり)
①について
嘔吐している知り合いがいたら背中をさすってあげる、エスカレーターでは急いでいなかったら左側(大阪では右側)による、電車やバスの中ではお年寄りには席を譲るなど、日常生活を気持ちよく過ごすための、ちょっとした決まり事。
ただし、エスカレーターの安全運転のためには、あえて左右に寄らずに中央に立つことがメーカーからは推奨されているし、中には「私はそんなに耄碌していない(そんな年寄りではない)」と席を譲ろうとした相手から怒られることもあり。(^^;)
それゆえ、絶対的真理ということではなく、ちょっとした生活の知恵の類で知っていて損はない程度のモノ。
②について
分数の割り算は、分子と分母をひっくり返してから掛け算する、英語は5文型から成る、など、いちいち、そもそも、なぜ、を考えていると、効率的にその先のモノゴトが進められないので、取りあえず正しいものという前提を置いて、議論を先に進める類のもの。
ただし、「There is ~」で始める文は、いったん第2文型ということで。。。など、たいしたことではないけど、こだわると先に進めないことがあったります。
おそらく、冒頭のアインシュタインの言葉は、この②の種類の常識が、頭を固くし、自由な新発想で物事を考えられなくなる悪影響の方を心配しての言葉なのだろうと推測しています。
でもこれは、手続きを速やかに済ませて物事を効率的に進める姿勢と、そもそもから考え抜き、新しい法則や解決施策を思いつく姿勢はなかなか両立しにくいという事実も表しているのです。
さらにもう一つの留意点を加えるなら、自分で証明する力が衰えること。
これは私の小学校中学年の頃の思い出なのですが、理科の教科書には、太陽は東から登り、西に沈むと、地球の周りを太陽が回っているという「天動説」に従った記載があったのです。当然、図鑑を読むことが大好きだった当時に私は、既に「地動説」が正しいことを知識として得ていたので、理科の先生(担任ではない理科専門の先生だった)が、「地球の周りを太陽が回って、、、」という説明をし始めた時、間髪入れずに「先生、太陽の周りを地球が回っているんだよ!」と無邪気に口をはさんでしまいました。
私の言葉を聞いた先生は、決して口を挟まれたことに怒ったのではなく、かなり興奮して私に注意の言葉を与えたのです。「それは、君が観察とか実験をして得た結論なのかね?」
まだ幼かった私は、「だって、図鑑にそう書いてあるから」としか答えられなかったことを今でも忘れることができません。それを聞いた先生は、「何かを正しいと主張する場合は、それが正しいと証明できなくてはいけないんだよ」とかなり、いいえ、とんでもなく強い口調で諭されたのです。
「この教室には確かに物知りは多いかもしれない。しかし、真の探究者はいない」
まあ、小学3年生にこんな言葉を投げつける先生も今から思えば大人気なかったと思いますが、先生の言いたかったことが本当に腹落ちして理解できるようになったのは、相当後になってからだと記憶しています。おそらく大学生になった頃かと。(^^;)
えっ、今ですか?
現在は、普通の人とは異なる発想と着眼点でモノが言えることを評価されて、経営コンサルタントとして重宝がられています。自分で言うな!(^^;)
↓これって、知識としての常識が身に付くかもしれないけど、自分の頭で考え抜く技を教えてくれるものはないかもしれませんね。
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