■ 「性格」ではなく、自分で選んだ「ライフスタイル」にすぎないのだ!
ライフスタイル(=性格)とは、
人生の設計図であり、
人生という舞台の脚本である。
ライフスタイルが変われば、
人生はガラリと変わるだろう。
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あなたは、自分の性格が好きですか? それとも嫌いですか? これまでの人生の中で、自分の性格が嫌になり、性格を変えて自分の人生をよりよくしたいと決意し、言動に注意することが何度かありませんでしたか? 基本的に、私は自分の性格が嫌いで、職場などの人の輪の中でうまく他人と付き合うために、この偏屈な性格をこれまで何度変えようと努力してきたことか。。。
そして、ものの本を何冊も読み、人の性格は変わりにくい、とか、逆に、いつでも、どのようにでも自分の性格は変えることができる、と正反対のことが書いてある本に出会い、また、いくつかの性格矯正TIPSを実践してきましたが、何ら改善の兆しもなく、現在に至っています。(^^;)
アドラーは言います。友人・知人の集まりの中で、会話の中心となる人もいれば、一言も話さない引っ込み思案の人もいます。こうした行動の違いは、「ライフスタイル」の違いによるものなのだそうです。「世の中の人は自分を受け容れてくれる」「自分は他人から好かれている」というライフスタイルを持っている人は、自ら会話の中心となれるでしょう。それとは逆に、「世の中の人は自分を拒絶している」「自分は他人から好かれてはいない」というライフスタイルを持っている人は、他人と交わることなく、一言も口を開くことは無いでしょう。
ライフスタイルというのは、生き方のクセであり、どのように行動すればうまくいくか、という信念です。
これは、一般論的には「性格」とか「人格」と呼ばれているものです。しかし、性格と表現してしまうと、一般的にはなかなか変えられないもの、というイメージが強いため、アドラーは、「ライフスタイル」という言葉を好んで使います。そして、そうした思考のクセは、「原因論」的に、生まれつき定まっているわけではなく、自分の意思で決めた行動様式、ものの見方の傾向、感情表現なのだから、いつでも変えることのできる対象である、と考えました。
これを簡単な例で説明すると、他人との交わりの中で積極的に言葉を発することのできない「性格」を持つ人は、「おとなしい性格」なのではなく、「人を信用していない性格」「自分は好かれるはずはないと思っている性格」と理解するのです。このように、「おとなしい」という表層のさらに奥にある、核となる信念を見つけ、それを変えることで行動や感情は大きく変えることができる。それが、アドラーの言う「ライフスタイルを変える」ということなのです。
いやあ、ズケズケと言わなくてもいいことまで口にしてしまい、周りの人を閉口させてしまう私の言動は、「自分の周りにいる人は全員敵である」という思い込みがあり、そういうライフスタイルを自然と選択しているのでしょうね。(^^;)
自分で選択している、自分の意思で決めたこと。そう言われれば、明日からでも変えることが出来そうですが、無意識にそういう行動を選び取っていると、つい考えがちになります。そういう時には、
⇒「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉(27)」
意識と無意識、理性と感情が葛藤する、
というのは嘘である。
「わかっているけどできません」とは、
単に「やりたくない」だけなのだ。
⇒「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉(28)」
「無意識にやってしまった…」
「理性が欲望に負けて…」とは、
自分や相手を欺くための「言い訳」でしかない。
あたりの言葉を思い出すことにしますか。。。
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