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アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉(42)ライフタスク、人生の課題は3つある!

本レビュー
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■ 人生における3つの課題は全て対人課題。それをライフタスクと呼ぶ!

コンサルタントのつぶやき

人生には3つの課題がある。
1つ目は「仕事の課題」
2つ目は「交友の課題」
3つ目は「愛の課題」である。
そして後の方になるほど解決は難しくなる。

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本書によりますと、アドラーは、「あらゆる人生の課題は、対人関係に集約され、それはわずか3つに分類される」と言ったそうです。アドラーはこれらの課題を総称して「ライフタスク(人生の課題)」と呼びました。

本書では、これをある男性の悩みの例で説明しています。
ある会社員の男性は、「商品を売り込む商談の時は、まったく緊張せずに普通に話すことができるのに、雑談になると途端に緊張して話せなくなる。女性と話すときはもっと緊張してしまう」という悩みです。

商談とは仕事上の課題です。これは人間関係の中では、アドラーによればもっとも簡単な問題だそうです。それ以上に難しいのが交友の課題であり、愛の課題ということで、前述の男性が商談が一番楽、雑談になると難易度が増し、ましてや女性と話すとなると緊張してしまう、というのは、この難易度の違いをシンプルに説明するものです。

ここで私の心理状態を全て吐露してしまうのは恥ずかしいので、一部だけお話ししますが、私も、ビジネストークが最も気が楽で、家族との会話の方がその何倍も難易度が増します。(^^;)

私の場合は、家族には本当の自分をさらけ出してもいい、という「甘え」のくせが幼少のころから抜けないのです。それゆえ、両親からは、いくら家族の間と言っても、「親しき仲にも礼儀あり」、家族だからといって、あまりに素の状態でコミュニケーションされると、聞いている方に心理的負担が大きくなるため、家族にも気を使って話をしなさい、とよく説教されました。家族は一番小さな社会(共同体)なのだから、というわけです。それは結婚してからも、家内からも言われているので、おそらく当たっているのでしょう。(^^;)

自分が素で会話する時は、まるで真剣を抜き身で突き立てるように、辛辣で攻撃的なスタンスになるそうです。まあ、仕事上でも、よく同僚や上司からもっと柔らかい物腰で会話するようにお叱りを受けることが多々あるので、家庭も職場も問わず、地が出てしまっているのでしょう。

「礼記」の一節の「大学」という中国古典に、

『修身、斉家、治国、平天下』
というものがあります。

意味は、
「天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである」

この世に平和をもたらすには、自分を中心に、同心円状に思いをはせる対象・範囲を順次広げていって、まず自分の言動を律する、次に自分の家庭内を円満にし、さらに自分が属する国(近代では会社や自治体など、家族より大きい組織を思い描いてください)をうまく運営すると、最後には、社会全体を幸せにできますよ、という感じです。

どこまで行っても、論語に代表される孔孟の思想というのは、自分自身の修行が根本にあるのです。自分自身の練度を上げれば、自分を含むグループ・集団の幸福度が上がる、という考え方です。

実はこの言葉には、前段があって、

「正心誠意格物致知、修身斉家治国平天下」

となるのです。

「修身」つまり、自分の行いを正しく律するためには、
「格物致知」つまり、ものの道理をよく考えて、事の善悪を自然に感じられるようにすること、
その前提に、「正心誠意」つまり、心を正しく保つには、自分をいつわらず誠実に対処すべきであるとする心持ちであること、を自分に課すのです。

アドラー心理学はどこまで行っても自分に厳しく、孤独な哲学と呼ばれています。『論語』 などで従来から親しまれてきた中国古典の世界も、孔子や孟子の教えである「儒学」の世界も、まず、自分自身で己を高める修行ができない「小人(しょうじん)」から、己を高める修行を自分の意思で実行し続け、自分の行動を道徳的に律することができる「君子(くんし)」になるように、自分に厳しい哲学(道徳?)です。

私は、幼少の頃から中国古典を少々たしなんできましたが、最近、アドラー心理学に出会って、洋の東西を問わず、似たような、自分を律する厳しい教え(哲学)が時代を超えて、場所を超えて存在する偶然がとてつもなく不思議で、かつそれゆえ、これを勉強するにたる哲学ではないかとよく思うようになりました。

格物→致知→誠意→正心→修身→斉家→治国→平天下

儒学は己を律することから始まって、社会をよくすることを最終目的とします。さて、アドラー心理学の最終形は? それはこの連載の最後に考えることにしましょう。

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