本格的リニューアル構想中のため、一部表示に不具合があります m(_ _)m

アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉(66)他者に対する貢献こそ自分の居場所を作る!

本レビュー
この記事は約3分で読めます。

■ 「共同体感覚」を持つことが幸福感につながる

コンサルタントのつぶやき

自分だけでなく、仲間の利益を大切にすること。
受け取るよりも多く、相手に与えること。
幸福になる唯一の道である。

—————————————————–
アドラーとその高弟ルドルフ・ドライカースは、人間が幸福になる道は、「共同体感覚」を持ち合わせることと説きました。「共同体感覚」は、他者への貢献によりもたらされるものです。どうして、他者への貢献が自分の幸福へとつながるのでしょうか?

アドラーは、全ての悩みは人間関係にあると言いました。悩みは全て他人からの評価を気に病むところから生まれるとも言いました。地下水脈ではその考え方とつながっています。自分が属している社会に自分の居場所がないことは不幸である。さすれば、社会の中に自分の居場所があれば、人は幸せになれるだろう、そういう考え方です。それでは、どうすれば、自分の居場所なるものが得られるのでしょうか?

社会の中で居場所がないことは大変悲しいことです。しかし、泣き言を言っても誰も助けてくれません。そうではなく、自ら居場所をつくるのです。そのためには「他者へ貢献する」ことから始めなくてはなりません。そのことにより、他者から感謝され、そして他者からもお返しとして支援され、社会の中に居場所をつくっていくのです。

社会の中に自分の居場所がない、と感じ、周りの人間が自分を理解してくれない、と愚痴るぐらいなら、まずは自分から周囲の人間に貢献してみてください。そうすれば、温かくあなたを迎えてくれる人がきっと現われるはずです。

「情けは人のためならず」

(注:原義では、この言葉は、周囲の人間のために親切に振る舞っていれば、回り巡って、自分に恩恵が返ってくる、のはずなのですが、最近のアンケート調査によりますと、誤解・誤用され、「情けをかけると、その人の為にならないので、情けをかけてはいけない」と解釈する人が過半数となっているそうです。私は、ソシュール言語学を学んでおりますので、原義を振りかざしてこういう本来とは異なる使用について、間違いをあげつらうつもりはありません。しかし、本来の日本語の使い方として、この誤用の意味を通すためには、「情けは人の為なるべからず」という表現形式をとらねばならない、という国語の問題であることには言及しておきます)

似た言葉に、キリスト教の『新約聖書』には、

「与えよ、さらば与えられん」(ルカによる福音書第6章)

という言葉もあります。この言葉も、上記の言葉と同様に、「先に何かを与えれば見返りが後から回り回って帰ってくる」という解釈もできますが、もっと宗教的に、「無償・無条件の奉仕によって、自己の内面や他者を通じて神の祝福が与えられる」と解釈するのが通常のようです。

んー。直接、恩恵を与えた相手から見返りを得られるのか、間接的に神からの祝福があたえられるのか、どっちにせよ、他利的行動は結局は自分のための行動になる、という帰結は変わらないようです。

それゆえ、宗教か哲学か、どっちでもよくて、人間が幸せになるための考え方や行動規範を与えてくれるものなら、どんなコンセプトでも貪欲に会得しよう。それが私の基本方針です。(^^;)

コメント