■ 主体的に他人に与える喜びを持つことが幸福感につながる
誰かが始めなければならない。
見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくても、
「あなたから」始めるのだ。
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利己的な行動は、本当に自分にとって有利なのか? そして、利他的な行動は全て自分にとって不利になるのか? 自分の力だけでできることは小さく、他人と協力してできることは大きい。そして、他人と協力して大きい利益を得たいなら、まず他人に与えないと、他人と信頼関係は築けない。信頼関係が築ければ、他人と協力ができる! それゆえ、まず与えること、これが自分自身の幸福につながる、そうアドラーは説きました。
「『なぜ隣人を愛さなければいけないのか』『私の隣人は私を愛してくれるのか』と尋ねる人は協力する訓練ができておらず、自分にしか関心がないことを露呈している。人生におけるあらゆる失敗の原因は、自分のことしか考えていないことにある」と述べたのです。
アドラーは、他責を認めません。自分の行動の責任は自分にあると。そして、他人の評価を当てにして生きている人は、本当の意味で幸せにならないと。承認欲求が強い人間は、周りから評価されるように行動する。それでは主体的な人生を送ることはできない。その言説と今回の言説は、地下水脈でつながっています。
他人からまず協力を受けないと、他人に協力を授けない。それも主体的な人生ではありません。自分の行動原理を、まず他人がどう自分に接してくるかで、自分の出方を決めるということ。それでは結局、周りの人間の意のままに自分の行動を操られているのと同義です。
主体的に生きる。
その行動原理のひとつは、まず他人に自分から進んで協力すること。その時点で主体的に生きていることから得られる満足感・幸福感が得られます。さらに、応報的に、他人から様々な協力や支援が得られれば、もっと人生が幸せに満ち溢れます。
他人の協力を先に求める人生はやめにしましょう。
「求めよ、さらば与えられん」(新約聖書「マタイ伝」)
(与えられるのを待つのではなく、自ら積極的に努力すれば、必ずよい結果が得られるということ)
私はクリスチャンではありませんが、聖書には、人間の行動原理の本質を突いている言葉に満ちています。どうぞ、お暇な時に目を通されることもお勧めします。このブログ記事を全部読んでからね!(^^;)
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