本格的リニューアル構想中のため、一部表示に不具合があります m(_ _)m

創業450年!眠ることなく“眠り”を極める超老舗企業 西川産業社長・西川八一行 2015年8月27日 TX カンブリア宮殿

TV番組レビュー
この記事は約10分で読めます。

■ あなたの眠りを変える・・・眠らずに進化する450年企業

コンサルタントのつぶやき

高機能マットレス「AiR(エアー)」の売れ行きが好調だ。作ったのは羽毛布団で有名な西川産業。西川産業(東京西川)は、傘下に日本橋西川、京都西川、心斎橋西川、西川リビング、西川ベッド製造、西川テックスなど、グループ13社で構成されている。

西川社長の“眠り”に対する思いとは。
「お客様の睡眠の質を上げていく。睡眠時間をとれない人が多いので、“質”を変えることで翌日を変えて、病気になりにくい体にしていく。」

西川八一行_カンブリア宮殿_20150827

(番組公式ホームページより)

西川の創業はなんと1566年。来年には450年になる超老舗企業だ。初代 西川仁右衛門が近江で行商を始めたのが西川の第一歩。そして二代目の甚五郎が江戸に出て大ヒットを生む。その商品が「蚊帳」。道具に色を塗る習慣が無かった時代に、もえぎ色と朱色で色付けした近江蚊帳が普及した。そして11代目が1887年に「ふとん」を日本で初めて商品化。それまで布団は各家庭で作っていたのだ。

「日本睡眠科学研究所」。睡眠を研究し商品開発に生かす部署を日本で初めて創設した。その責任者いわく、「人間はなぜ眠るかなど根本的なことも分かっていないと言われている。まだまだ奥が深い。」

どうすれば質の良い睡眠が得られるのか? 寝ている時に体の一部(特に腰回り)に負荷(体重による荷重)がかかっていた。これを分散解消するのがあの「AiR」。また、人工気象室での実験が可能で、温度と湿度を自由に変えられる環境で眠りの状態を様々な条件下で観察することができる。さらに、枕元にスピーカーが内蔵されており、眠りを誘う音が8種類(風鈴やせせらぎなど)、耳元で鳴る仕掛けになっている敷布団を日本で最初に商品化したりしている。

社長の西川さんにも強い思いが。「どうしたら質がいい睡眠がとれて、起きている時間が充実するか、それに対する科学的な裏付けをつくっていく。ただ古いだけの老舗ではなくて、同時に最も新しいことをやっている」

さらに西川さんは店舗改革も行っている。百貨店に出している店舗はパステルカラーのかわいい感じ。若い女性をターゲットにしたオーダーメード枕がメインのお店「ピローウィーカフェ」。顧客の後頭部の計上を計測し、首周りの形状に合わせ、素材は顧客の寝心地に合わせた7種類のものを取り揃えて、その場でお客様一人ひとりに適した枕を作ってしまう。完成までおよそ30分。世界に一つしかない枕。

こうした創意工夫で年商は344億円。老舗企業でありながら寝具業界でTOPを走り続ける。「単純に伝統を引き継ぐだけでは寝具の場合は難しい。お客様の生活の変化に合わせて商品もサービスも変えていく。」

 

■ 450年の歴史を受け継ぐ男 知られざる壮絶ドラマ

西川の450年は、「マーケットを生み出す」歴史でもあった。蚊帳や布団は当時は市場そのものがそもそもなかった。。。

西川社長のデスクは大部屋の一角。社長いわく、「一番怖いのは悪い情報が聞こえないこと。できるだけ悪い情報の方が早く届くように。「あれどうなっているの?」と聞けるぐらい(の距離感)が大事。」

そんな西川社長が社長就任以来続けていることがある。毎月の給与明細に「名言カード」を添えているのだ。挑戦する心を起こさせる言葉の数々。例えば、「世界を動かそうと思ったら、まず自分を動かせ」by ソクラテス かと思えば漫画のONE PIECEから。「“今更”ですって!? “今から”よ!!」by ナミ。

「「変革しよう」「新しいことをやってみよう」と思えるか。今月だったらこの言葉かなというのを選んでいる」

老舗企業だからこそ挑戦する気持ちが大事と西川さん。実は創業家の人間ではなく、婿養子だ。大学卒業後、1990年に住友銀行(当時)に入行。そこで頭角を表わし、3年目でニューヨーク支店に配属。職場はあの世界貿易センタービル。エリート街道まっしぐらだった。あの世界同時多発テロの最中、西川さんはそのビルの中にいた。

「煙に巻かれてどこにも逃げられないまま、非常階段を真っ暗闇の中、3時間かかって逃げることになった。その中で、「これは生きて帰れない」という覚悟で数時間いた。それで、自分はもっとやるべきことがあったのではないかと」

そのころ、1995年 現会長の姪と結婚し西川産業に入社した。金融にはないものをつくるというものに興味を持ち入社を決めた。入社後10年の2006年、38歳で社長就任。しかし、西川さんを待ち受けていたのは苦難の道だった。

「本当に消滅しかねないと思っていました。倒産してもおかしくはない。」

 

■ 大人気のマットレス その裏に知られざるドラマ

就任当時、西川産業の売り上げは落ち込み、ピーク時から半減していた。その頃の商品はおとなしくどこにでもあるようなものばかり。購買層は年齢が高めのお客がほとんどだった。そこで西川社長が起死回生をかけて開発したのがあの「AiR」だった。しかし、商品化までは困難の連続だった。開発のベースとなった整圧敷きふとんは既にあったが、色が地味で、年配のお客しか買ってくれなかった。どうすればもっと幅広い購買層から支持が得られるか?趣味のジョギング中にアイデアがひらめいた。

「前を走っている人の靴裏が鮮明に目に飛び込んできた。そういう靴の裏にも機能のところには色がついている。」これだ!! 西川社長は直観した。すぐさま開発部に提案。「ランニングシューズのような派手な色のマットレスを作れば、きっと若い人にもアピールできるはずです。」

しかし、社員たちは猛反対! 「そんな色やったことありませんよ。」「どうせシーツで隠れるのにコストが無駄に上がります。」

当時開発に反対した樋口さんいわく、
「寝具に興味のある客は年配の人が多かった。当時は若年向けの柄は開発してこなかった。「これ以上あたらしいことをする必要があるのか」と思った。」

デザイン担当の福崎さんも反対した口だった。
「寝具で濃い色とか、コントラストの強い色はまず売れない。「なぜそんなことするのか」という雰囲気があった。」

社員の猛反対にあって、心が折れそうになった時、たびたび訪れた場所がある。それは色付き蚊帳の展示場所。

「お客様に合わせて変革をしていく。革新の連続が歴史。新しいニーズを先駆けて提案することが歴史をつくる。」

1年かけて粘り強く社員を説得した西川社長。ようやくプロジェクトは動きだした。しかし更なる壁が。選んだのは赤と黒のツートンカラー。色の違うものを合わせるには高度な技術が必要だった。西川社長は老舗のタイヤメーカー、ブリヂストンに託す。そう、車のシートとして、ウレタン素材の加工を得意としていたのだ。ブリヂストンはこの依頼に最先端の加工技術で応えてくれた。まず、黒と赤、2枚のウレタンをくっつける。次に特殊な機械にセットし、一筆書きの要領で一気にカットしていく。

西川社長が作ろうと言い出して2年。2009年に「AiR(エアー)」が発売された。累計35万枚を売り出す西川産業最大のヒットとなったのだ。

なでしこジャパンの宮間選手、松山英樹プロ、田中将大投手など有名なアスリートがユーザとなっている。

「AiR」の開発をきっかけに、社員の意識改革が行われ、新しいことに挑戦するという空気が生まれたという。

「色を変えることより、社員の気持ちを変えることに時間がかかった。一気にムードが変わってきて、それがありがたかった。」

 

■ 450年の歴史を受け継ぐ男 「伝統とは何か・・・」

「2005年の年末に(現・会長に)呼ばれて、「来期から社長をやってもらう」と。えっ!?という感じですよね。その時に、伝統伝統ということばっかりにこだわるんじゃなくて、「革新の連続が伝統だ」という言葉をもらった。それで腹を決めて引き受けさせていただくと申し上げた。」

伝統があって何かがあるんじゃなく、革新とかチャレンジを続けてずっと前を向いて進んでいる、そしてふっと後ろを振り返ったら、後ろに伝統がついてきた。

「全部を否定して何でも変えればいいということではない。「何を残すか」「何を変えていくのか」の判断が一番難しいとまず実感した。」

MC村上氏からの質問。
「何を変えて、何を変えなかったのか?」

「卸業なので、「取引先に商品を納めればおしまい」という、BtoB(業者相手のビジネス)の感覚ではダメだと。取引先が神様ということになっていた。もちろんBtoBだが、その先のBtoC(消費者相手)が前提に無ければ、そちらのマーケットを作っていくという気持ちが無かったら途絶えてしまう。」

「(変えようとすると)今までの仕事を否定されているような印象になる。考え方そのものが変わることなのでOKとなかなか言ってもらえない。」

MC村上氏から。「そういう時は、どうやって説得していくんですか?」

「「私どもはもともと“行商”ですよね」と。」

西川産業の創業は全国を行商して歩いた近江商人。近江商人の商売の心得として有名なのが、「三方良し」。売り手・買い手・世間 全てが喜ぶ商売。

その精神を守ろうと、消費者重視の姿勢を訴えたのだ。

「行商は、直接お客の求めるものを持っていく。例えば、当時は麻を麻の無い地方に持っていく。向こうに行ってお金にしたら、現地で海産物を買って山の方に帰ってくる。つまり、ニーズのある場所にニーズのあるものを運ぶ。直接お渡しする。それが原点ですと。今は本当にそういう時代なんだろうと。一人一人のニーズに合わせて。サービス・商品を提案するかが大事な時代なのに、それがどこかにいってしまった = 我々の歴史はどこに行ったのか、残すべきものが全部どこかにいってしまって、残さなくていいものにしがみついて「残すべきことを捨ててないか」と。」

 - 時代に合わせた取捨選択が新たな伝統をつくる -

 

■ 眠れる町のふとん店を “眠りの相談所”に

西川チェーン(西川産業の商品を扱っているお店)が全国に約350店舗ある。

「昔は嫁入りしたら、ふとんを10枚、座ぶとん20枚くらい新調した。今はそんなことはなくなった。」

全国の寝具店は5036店(2014年経済産業省調べ)。ふとんを注文する人が減り、全国の寝具店はピーク時の約4分の1に。そんな中、創業の地、近江八幡に西川チェーンのオーナーが集まった。西川社長が呼び掛けて集まってもらったのだ。そして訴えたのは、

「睡眠や健康について相談できる場所を作りたい。」

5年前から西川社長が進めているのは、チェーン店を「眠りの相談所」に変えるプロジェクト。寝具を売るだけのお店ではなくて、眠りの相談もできる場所にして共に生き残りを図ろうというのだ。

「正直、商品を売るだけの旧来型の寝具店だと厳しい。商品はもちろんですけど、今後は「眠りの相談所」にしてサービスを加えていく。」

チェーン店オーナーの一人、井鍋さん。
「一人一人の眠りに対する悩み、寝具に対する悩みを、丁寧に時間をかけて、コツコツとやっていきたい。」相談に乗ってくれる布団屋さんのうわさは口コミで広がり、お客様が増えてきている。井鍋さん、西川産業のオリジナル資格である「羽毛ふとん診断士」をとった。

持ち込まれた相談に、布団のリフォーム、羽毛の増量、睡眠方法の指導を次々と手早くさばいていく。井鍋さんは、睡眠に関する専門知識を取得する「スリープマスター」の資格も持つ。

お客様とのいろいろな接点を増やし、今やこのお店は2億円を売り上げる。

西川社長いわく、
「寝具をただ売るだけではなくて、いろいろな悩みを聞いて、その方(お客)の個性や暑がり・寒がり・体重など、それに合わせてフィッティングしていく、ということを提案していく」

「眠りの相談を受けるためには、“信頼性”が必要。アドバイスをする資格制度を作ったり、ちゃんとしたエビデンス(科学的根拠)を集めることで、将来は、例えばトクホ(特定保健用食品)のようなものを寝具で作って、一人一人にあったものを、オーダーメードで提案するのが理想です。」

“眠りの相談所”はコミュニティを作る。寝具店を場にしてコミュニティを作っていきたい。

「(地域のコミュニティをつくるための)受け皿となるものをゼロからつくるのではなくて、町の寝具店さんは、地域の名士だった人が多い。それをもう一回復活すれば、ゼロからつくり直すより早く確実にできる。」

「快眠の後にやってくる元気な朝や毎日、総合的な提案をしてお客のライフスタイルを変えていく。」

超老舗は寝る間を惜しんで眠ることを考えていく!

——————–
番組ホームページはこちら
(http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20150827.html)

西川産業のホームページはこちら
http://www.nishikawasangyo.co.jp/

コメント