■ 田舎を“デザイン”で救う! 型破りデザイナーその魅力
現場で感じたことを第一にデザインするデザイナー。道の駅や伊勢丹で販売されている「きびなごフィレ」のパッケージをデザインした。作り手のお母さんたちが丁寧に仕事をして仕上げていく姿こそ、商品の一番の価値と考えた。それをデザインに生かしたのが、このシンプルなキャッチフレーズとラベル。
『さかなと
しおと
ひとてまで。』
「デザインが商品より語り過ぎたり付加価値をつけ過ぎてはダメ。彼女たちの働いている風景が浮かぶ言葉を選んでいる。」
梅原真さん。
地元の人も気づかない、地元の魅力を見つけ出す。梅原は地元高知にどっしり腰を据えている。梅原が扱うのは一次産業中心の地方の仕事ばかり。これまで、梅原は数々のヒットを飛ばし、田舎の人たちを助けてきた。
例えば、ゆずの産地だが、ゆずしかないとコンプレックスを抱いていた高知・馬路村からの依頼で、そこで30年前、梅原が考えたのは「ゆずの村」という名のポン酢。あえてコンプレックスを前面に押し出したところ、年間400万本を売り上げる商品に。
また、隠岐島・海士町で作ったのが、『島じゃ常識 さざえカレー』
肉の代わりにさざえを入れる。島の人が恥ずかしいと思っていたことこそ魅力に。こちらも年間2万食を売り上げる大ヒット。
梅原は断言する。田舎が「マイナス」と思っていることこそ、考え方ひとつで「魅力」に代わると。
「みんな「田舎はダメダメ」と言う。「やりようがない」「手の尽くしようがない」と言う。自分の足元を見ていったら面白いことがある。社会とつなげば新しい価値が生まれる。」
地方のものしか手掛けない梅原。しかし、その手法はデザイン業界の先端の人々にも注目されている。ある日、東京で講演。梅原を招いたのは、有名企業のデザインを数多く手掛けているデザイン界の重鎮、日本デザインセンター代表:原研哉さんはこう語る。
「梅原さんのデザインは「やれそうかな」という感じがするが、実は難しい。“桁違いの経済”を生み出している。そこを見て、勝てないなと思う、徹底的に勝てないものがある」
何もない田舎に経済を生み出す梅原。その元には依頼が殺到。しかし、引き受ける仕事にはある基準があった。
「数十億円とか数百億円の会社からの依頼はあるけどやらないですね」
都会や大企業からの依頼は基本断る。ではどんな仕事を引き受けているのか?依頼主は60代の姉妹。ここは明治時代から続く土佐和紙の工場。薄くて丈夫な和紙の品質は折り紙つき。しかし、時代の変化と共にわしのニーズは激減。廃業の危機に瀕していた。しかし、多忙だった梅原。最初はこの二人からの依頼は断るつもりだったという。
「電話を切ろうとしたときに、「ここに電話をしたら助けてくれると聞きました!」と叫んでいた声が受話器から聞こえてきて、ここで切られたら終わりだという感じ。高知弁でいう“ひせくる”(わめく)声が聞こえて」
泣きつかれて、放っておけなくなった。
デザインとは、ローカルの問題を解決する手段。それが梅原の信条。
「ローカルが豊かでなければ、その国は豊かではない。足元を見て、モノを見つけ出せる国が豊か」
■ 「なんにもない」を逆手にとってヒット連発、地方を元気にする男
村上氏が尋ねる。
「商品名が浮かんで、それからパッケージが浮かぶんですか?」
「ほぼ同時ぐらいですね。1.5秒で浮かぶ。打ち合わせが済んで、その段階でイメージはできている。デスクに行けばすぐにできちゃうみたいな」
小池さんが聞く。
「どうやって地方に埋もれているものの価値を見つけ出すのか?」
「自分が、絶体絶命のシーンに対して、エネルギーが湧き、モチベーションが上がる。「世の中から勝手に絶滅していいのか?」という思いがある。どうしても、そこに新しい価値を見つけに行きたくなる」
続けて小池さんが尋ねる。
「“一次産業”にこだわるワケとは?」
「小学校の時に社会で習ったけど、一次産業が(産業構造の)ベースにあり、2次の製造業がその上にあって、サービス業は3番目。だから、底辺の一次産業がしっかりすると、(産業構造の)三画形が安定する。ところが、底辺が細ってしまったので、(三角形が)逆になって、サービス業とそのインターネット系とが大きくなって、産業のピラミッドが逆三角形になりかけている。だから、とても一次産業の部分が気になる。“全てのベースは一次産業”という思いがある」
村上氏が聞く。
「最初から依頼を断る人の典型例とは?」
「“金が一番”の人。その人のやりたいことがいいことで、エネルギーがあって、「いい」と思ったらかなり難しい仕事でもやる。「儲かるか」は3番目ぐらいに考えている。その人のやる気があるのかをみる。1番目は、面白いかどうか。2番目は、、その事業が成り立つかどうか。水面下に沈んでいるものを表に出す喜び」
■ “なにもない”田舎から真の価値を見つける男
何もない田舎の風景。それこそが豊かなのだと梅原は言う。
「高知じゃなかったら嫌。高知じゃなかったら死んじゃうぞ。そんな感じさえするような高知好き。」
1950年、高知生まれ。大学卒業後、高知のテレビ制作会社での美術の仕事を経て、29歳でデザイナーとして独立。地元企業の広告やパッケージを手がけ、多くの仕事が舞い込んだ。実際、梅原がデザインした商品はよく売れていたという。しかし、梅原はある疑問を抱く。
「中身には添加物がいっぱいや。こんなん好きやないのに」
中身に関係なく、売るためだけのデザインに感じた違和感。そんな折、梅原はある風景を目にし、心を揺さぶられた。それは、四万十川のそこかしこに架かる橋、沈下橋だった。素朴なこの橋は大雨が降ると川に沈む。しかし、手すりも欄干もないため水の抵抗が少なく、水を受け流す。
「渡もんだから、表面を歩ければいいの。そして、川の力に逆らわなければいいの。よく考えると、オリジナルな考え方。これくらいのデザインでいい、というお手本」
田舎にあるものの価値を見つけ出す。そうした“足元”を見つめる生き方がデザイナー梅原の生き方になった。
梅原さんにあこがれて、地元の何もない所から価値を見出そうとしている人たちが高知にいっぱいいる。
「「梅原のせい」という人たちがいっぱいいる。「梅原のせいで高知に来ちゃった」「定住しちゃった」と言う人が他にもいる。今のところ「梅原のせい」で止まっているが、「梅原のおかげ」となるように、「せい」を「おかげ」にしようじゃないか、というのが今のテーマですね」
村上氏が聞く。
「梅原さんにとって沈下橋はどういう象徴なんでしょうね?」
「人間に例えれば、あの橋のような生き方がいい。無理やり自然に抵抗して、大きい橋を何十億円かけて造るのではなく、この橋で、自然(の脅威)が来たら静かにして、洪水が収まれば出て来る。これでいいんじゃないの。擬人化したものを見てみると、この程度の社会や人間の考え方でいいんじゃないかと、というのをそこに見たんですよね」
村上氏の視点。
「地域の価値は、外部の視点で気づくものでは?」
「自分のいる場所の価値は自分では見つけにくい。けども、「そうてすね」という人はやっぱりいる。そういう人と出会った時、仕事にスイッチが入る」
■ 山も地域もよみがえる・・・ 型破りのデザイナーの挑戦
高知県は森林率が84%と日本一。しかし、山は荒れる一方。何とかしたいと思い作ったのが、間伐材で作った入浴グッズ。商品が売れるだけでなく、これで間伐が進めば、山も守られる。それが梅原の願い。山と暮らしを再生する取り組み。
「山が価値を持てば、周辺の町や村が生き返る。新しい生き方を示すことができれば、(地域は)よみがえる」
山の価値、再生の切り札と考えているのがこれ、「栗」だ。四万十の栗は全く知名度が無かった。普通の栗に比べて大型で糖度が高い。栗そのものの味で勝負する商品を考えた。モンブランケーキのように見えて、スポンジ生地を一切使わない、栗ペーストとトッピングの栗だけで、素材の良さを引き出す梅原のアイデアだ。4個分の栗が詰まったモンブラン。“しまんと地栗”シリーズは、年間2500万円の売り上げ。道の駅だけでなく、ネット販売でも大人気に。
四万十の栗が人気になったはいいが、作り手がいない。農家の高齢化もあり、四万十地域の栗生産量は、ピーク時の40分の1に。栗山も荒れる一方。これを甦らせ、農家を呼び戻す方法はないか? そこで梅原たちが動き出した。タッグを組んだのは地元の農協や加工業者など。栗の山再生プロジェクトだ。岐阜からプロの剪定士を呼び、わざわざ移住までしてもらった。10年以上かけて、1本1本の栗の木を再生し、10年以上を費やして元の生産量に戻そうという地道な取り組みだ。デザイナー梅原、その姿を見て感じるところがあったようだ。
山で見たのは地道な取り組み。梅原は栗関連商品のパッケージをデザインし直した。出来上がったものは実にシンプル。
「地面から何か生えてくる。その価値をいただいて暮らしていく。木も地面から生えている」
栗の木をきっかけに地域そのものを再生させる。梅原たちの壮大な挑戦が始まった。
「土地の個性を利用して、山に栗があるなら、その栗で生きていく。育てることから商品までを山で作れたら地域の人は食べていける」
「農業のやりにくい地域を“中山間地域”という。日本全体で73%が“中山間地域”。そこが疲弊していて、モノを生まない。そこで、山に力を与え、栗が流通し始めると、山が生き返ってくる。それを、全国あちこちではできないけど、四万十地域から自分たちの生き方を示す」
村上氏が確認する。
「デザイナーの仕事からは逸脱していますよね?」
「自分では逸脱していない、、、地域の生き方をまとめる役割。それって、誰かがやらないと地域が消滅していく。地方の自立にとって大事なことは、一言。「地方は自分で考えろ!」30年位前も、ふるさと創生事業と銘打って、1988年~1989年にかけて、国が各市町村に1億円を配布した。その時に、土佐は黄金の鰹をつくったり、カラオケバーをつくっちゃったり、1億円をもらった時に、地方は自立に向かう用意をしなかった。お金が来れば、コンサルタントなど、外部に全部お願いして自分で考えない。それが問題だと思っていて、国が悪いんじゃなくて、受け手のローカルに問題がある。今まで自分で考えてなかったから、考える力がついていない。「自分で考えなさい」、そうすると答えが出て来る」
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