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地元にあった奇跡の店SP 第1弾 「地域住民の幸せを膨らませる奇跡のパン屋」 ピーターパン社長・横手和彦 2016年2月4日 TX カンブリア宮殿

TV番組レビュー
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■ 地元で発見“奇跡のパン屋” 住民の心もあったかくするパン

コンサルタントのつぶやき

こちらのパン屋の名物のひとつが「元気印のメロンパン」。2015/11/15に、1日で9749個販売したということでギネスブックにも載っている。このお店の特徴は“焼きたて”。クリームパンも例外ではない。お店には常時100種類の焼き立てパンが並ぶ。お家まで待てない客は、店先のテラス席で熱々のパンが食べられる。常連さんの主婦の一言。

「船橋に住んでいる理由の1位。(船橋から)引っ越しできない。」

住民にそこまで言わしめるパン屋とは、「石窯パン工房 ピーターパン」だ。ピーターパンは船橋市を中心に千葉県内に6店舗を展開。驚くべきは、1店舗当たりの年間売上高が約3億円(全国の菓子・パン屋の平均:2979円<経済産業省まとめ>)。実に、通常のパン屋の10倍を売り上げている。この驚くほどの人気の秘密は“焼きたて”。ピーターパンが考える“焼きたて”の目安は約30分。コクうまカレーパンは、フライヤーが2台あるのにもかかわらず、1つだけを用いて、1回に上げる個数も12個限定。ピーク時には5分おきに揚げ、常に出来立てを提供している。それだけではない。客がトレイに乗せていたカレーパンを揚げたてと店員がさっと取り換えてしまう。交換したパンは惜しみなく試食用に回す。これでまたお客を惹きつける。

このパン屋の社長が横手和彦(72歳)。

20160204_横手和彦_カンブリア宮殿

番組公式ホームページより

横手が何よりも大事にするのは、

「うちは子供を大切にする。おじいちゃん、おばあちゃん、お母ちゃん、必ずそこに子供がいる。子供を大切にすることがピーターパンの1つの特徴。」

陳列棚の低い位置に、かわいらしい動物キャラクターをあしらったパンが並ぶ。子供目線の棚をつくり、子供自身がパン選びを楽しめるようにしている。他にも子供が楽しめる仕掛けが。石窯の中がのぞける小窓が設置してあるのだ。パン作りの見学スペースもあり、将来のファンづくりの仕掛けがたくさんある。店先にはブランコや水車があり、子供が喜ぶ店には当然家族連れが多く集まってくるということ。

店先にはテラス席が設けてあり、焼き立てパンを楽しめるようになっているが、このテラス席にも工夫が。強力なヒーターが設置されて防寒対策もしてあり、さらにコーヒーは無料で提供。テラス席には住民が集まり、地域のコミュニティとなっている。地域住民との交流を深めるために、年間30回以上のイベント(クリスマスなど)を開催。お客を惹きつけている。

「地域の人に愛される店。休みに「どこに行く?」と聞いたら「ピーターパンに行く」というような、そんなお店にしたい。」

「種類は絞っている。100種類以上にはしない。」

村上氏が尋ねる。
「地域住民からの熱狂的支持の理由は単に「おいしい」だけではないはずだが」

「やはり、店の販売員がとても素晴らしい。私は勉強を始めて、心理学を学んだ。そして、明るくて優しい人を精神分析して採用し始めた。サーベイ(適性検査)があって。「優しくて明るい人」というのがうちのコンセプト。社員のマインドが一番大切なことだと思う。」

(筆者注:社長が自身の会社の従業員のことを褒める、というのはなかなかできることではないです。顧客満足度を上げるためには、まず従業員満足度が高くないと。サービスの質の高い従業員を選ぶ、育てる、そして慈しむ。横手社長スゴイ!)

(参考)
⇒「(スクランブル)「社員に優しい」は買い コスト増にも経営者自信(1)

テラス席について。

「大きなテーブルをひとつ置いたんですよ。自然に(お客同士の)交流ができて、「また会いましたね」と。」

年30回以上のイベント実施やコーヒー無料について、採算はどうなのかを尋ねると、

「規模を大きくするか、規模は小さくてもお客が喜ぶ店をやりたいか、お客が喜んでくれる方を取った。」

■ 脱サラして上京 スナック経営… “奇跡のパン屋”誕生秘話

千葉県内中心に6店舗を展開するピーターパン。他からの出店要請も少なくはない。

「規模拡大はしなくていい。売り上げではなく、お客が喜ぶことを。」

『規模拡大より客の喜び』

そんな横手の人生は決断の連続だった。1943年、広島・大崎下島生まれ。両親はミカン農家だった。大卒後、愛媛信用金庫へ就職。念願だった金融機関に就職することができ、順風満帆の船出に見えたが、2年後、ある問題を感じ始める。

「金融機関はお札の勘定がある。(自分は)ケアレスミスがものすごく多い人間で、もしも間違ったら大変なことじゃないかと。同じ辞めるなら“独立”しようと。」

24歳、これが最初の決断。“脱サラ”を決意。向かった先は高度成長真っ只中の東京だった(1967年)。横手は親に借りたお金を元手に、西麻布に、カラオケバーみたいな感じのスナックを開いた。店は大繁盛。ところが、横手の人生を変える大事件が起きる。それは娘が口にした一言だった。2歳10ヵ月の娘をある日店に連れてきたところ、お客にお酒を注いでいる姿を見られて、

「パパ、仕事してないじゃない。」

子供を大切に、子供のために生きてきた横手にはその一言は大きなショックだった。そして、34歳、2度目の決断をする。

■ 55歳で見つけた「天職」 “奇跡のパン屋”誕生秘話

娘の一言がきっかけで娘に働く姿を見せられる別の仕事をすることに。家族そろって千葉に移り住み、35歳(1978年)、ピーターパン1号店を開店。横手は当時流行し始めていた手作りパン屋に目を付け、知り合いの店で修業。そしてパン屋を開業するのだが、ここであることを売りにする。

「僕のパン製造技術は未熟なので、とにかく“焼きたて”を1日に何回も何回も出していこうと。」

そんな理由で焼き立てにこだわった横手。売れ行きは順調に伸び、充実した日々を過ごしていた。さらにビジネスを拡大。45歳の時、宅配ピザに進出し、7店舗を展開した。しかし、次第に店先に出ることもなくなり、売上数字だけを追っていく“売上至上主義”の辛い日々に。

「“売上”と“生産性”というものばかり追いかけて。疲れていたんでしょうね。「ピーターパンのパンおいしいね」って毎日買いに来てくくれていた。近所の奥さんの顔が浮かんだ。その奥さんの顔が浮かんだ途端に、すごく楽しかったんですよね。朝から晩まで働いていたが、子供たちと、お客さん、従業員とみんなが和気あいあいと、一生懸命やっている店がすごく懐かしかった。じゃあ、もう一回「原点に帰ろう」と。」

55歳の3度目の決断。売上の多くを占めていた宅配ピザをやめ、客の顔が見えるパン屋一本へ。そして始めたのが現在のピーターパンなのだ。

宅配ピザの時とは異なり、横手は毎週6店舗の見回りを欠かさない。それは先ず外から店全体を眺めることから始まる。

「お客さんの目線でディスプレーや商品を見ていくのに、必ず外に出て、そして(店に)入っていく。」

次に店内を見回る。そして500円の大きなショコラパンに目を止める。この大きさ値段では客の手が出ないと、小さく切り分けて100円で出すように指示。そうして棚に出したところ、出したそばから売れ始めた。横手はお客に喜んでもらうため、目が届く範囲でしか店をやらないと決めている。さらに地元客への感謝の意を示すためにイベントを開いているのだ。

いくつもの決断を乗り越え、横手は55歳で真の生きがいを見つけた。

「決断は早い。いろいろ考えて、準備はするけどスパッと決める。」

村上氏がシンプルに尋ねる。
「どうしてパンだったのか?」

「友達が作るパンがとてもおいしかったから。同じやるなら、この友達に頼ってパン屋になろうと。」

村上氏が続けて尋ねる。
「宅配ピザのチェーン店は成功していたのに、なぜ「おかしい」と思ったのか?」

「その時は8店舗やっていた、パン屋と合わせて。僕はもう現場には入らなくなった。経営計画をやるが、そうすると、(課題が)モグラ叩き状態になった。各店舗に目が行き届かないから。僕は肌で感じるタイプなんですが、各店舗を回ると、なんとなく「また来たか」というような感じがする店がある。もう楽しくない。」

「もう規模拡大もお金儲けもいいやと。お客様が喜んでくださり、そこで働く社員が明るく元気に楽しく働ける、そんな店をやりたいと思った。」

「宅配ピザもやってみて分かった。無駄は無い。1年1年、今のために、僕の過去があったように感じる。」

『全ての過去は、今の自分のためにある』

「(地元の)高校に、「16歳の仕事塾」という講義がある。その講師をたまにする。高校生に「今、好きなことをしろ」と。「僕が自分の人生を見つけたのは55歳からだ」「55歳からでも、ここまでなれる」と。「だから精一杯好きなことをして、そのかわり真剣にやれよ」と言う。」

■ パンも人材も愛情で育つ! 客もスタッフも幸せに

スタッフが客の目から隠れて厨房でこっそりつまみ食い!? 実はこれ、お互いに競い合いながらのれっきとした商品開発の風景。仕事の合間に試作するのは営業中の釜の状態で焼き上げないと、商品としての完成度が分からないからだ。年間60種類もの新商品が登場するピーターパン。新商品開発にはユニークな仕組みがある。ピーターパンでは、経験を問わず誰でも新商品提案OKなのだ。そして、1店舗の限定販売を行い、それ売れ行き次第でレギュラー商品にするかどうかを決めるのだ。

若手にもチャンスを与える横手。その真意とは?
「「人に育ってもらいたい」「幸せになってもらいたい」というのが経営の目的。」

千葉県北部にある香取市・佐原にも住民の誰もが知る「パン工房シュシュ」という人気のお店がある。

● パン工房シュシュ
http://www.chouchou-breadfarm.com/

やはりこの店のこだわりも出来立てにこだわった熱々のパン。さらに、売り場の片隅にはキッズスペース。さらにコーヒーも無料。まるでピーターパンみたいだ。実は店主の青木さんはピーターパンの元従業員。横手さんは従業員のピーターパンからの独立を支援し、定期的に彼らのお店を見回っているのだ。青木さんは、横手さんと出会って価値観が激変したのだという。

(青木さん)
「衝撃だった。「お客様満足」を考えたことが無かった。おいしいものを作れば買ってもらえると思っていた。仕事は「どれだけお客に喜ばれるか」だと学んだ。」

嬉しそうに弟子の店内を回る横手さん。
「地域に愛される店。僕の理念がタンポポのようにその土地で芽を出して、花を咲かせている。」

村上氏が尋ねる。
「ピーターパンが地元を離れず“顔の見える”ビジネスをやられているのが強く印象に残る」

「「パンは愛情の食べ物だ」と言っている。「愛」の反対は「無視」。パンは「無視」していると絶対においしくならない。寒かったら温かくしてあげないといけないし、乾燥していたら湿度も調整してあげる。常にかまってあげなくてはいけない。まさに生き物。」

村上氏が続ける。
「“マス”に売る時代から“個人”に売る時代に移り変わってきているのでは?」

「それを意識している。地域のコミュニティに溶け込んだ地域の皆さんに愛されるパン屋をやりたい。少しずつ輪が広がっていく。人間というのはやはり家族が一番大切だと思う。その家族の輪を少し広げると友達の輪になってくる。その友達の輪がもっと大きくなるとコミュニティになる。だから社員たちに地元に帰るなら帰って、自分のコミュニティをつくってそこで幸せな家庭を築いて、コミュニティに溶け込むようなパン屋をやってもらえたらいいと思う。」

ここで横手さんから衝撃の告白。
実は小さい頃からパンがあまり好きではなかった。。。店を始めようという時、パン屋かラーメン屋でなやんだとのこと。その理由は、ラーメンが大好きで毎日食べていたから。そんな横手さんがパン屋で成功した本当の理由とは?

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番組ホームページはこちら
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20160204.html

石窯パン工房店 – ピーターパンのホームページはこちら
http://www.peaterpan.com/


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