イチロー(14)準備というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、そのために考え得るすべてのことをこなしていく。

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■ 準備に込められた言い訳の材料となり得る要素は2つある!

準備というのは、
言い訳の材料となり得るものを排除していく、
そのために考え得るすべてのことをこなしていく。

(プロ野球選手、シアトル・マリナーズ会長付特別補佐 / 1973~)
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試合や本番に挑む、全ての人に対するメッセージとして大変重たい意味が込められている言葉だと思います。

そして、イチロー本人の真意は表面的な言葉の解釈で全てを掴み切れないのですが、現在の私が持ち得る感性からは、2つの含意を汲み取ることができます。

まずひとつめは、他者からの期待を裏切ってしまった時の言い訳。

つまり、これだけ毎日練習したんだから、これだけ日々修行したのだから、これだけ練習に集中したのだから、結果は事前の期待通りにはならなかったけれど、これで許されるよね、という言い訳になるという意味です。

この種の言い訳は、結果を重んじる「成果主義」の立場より、過程の努力の程を重んじる「プロセス主義」の立場からの物言いになります。努力した過程こそ、得られた成果なのだと強弁を張ることもできるし、結果が全てなんじゃない、健全な努力をする、その精神こそが尊いのだ、という価値観によるものです。

これは、ある行為の結果で褒められるか、それとも、ある行為の動機(善意であることが前提)で褒められたいか、の価値観の違いによるものです。

イチローの本意はここにはないと思います。

イチローの本意と私が信じる、ふたつめは、自分が期待する水準を満たす結果にならなかったときに、自分に対して言い訳ができないように、自分を追い込むための言い訳(という形をとった決意と本気)という意味です。

つまり、ことが成就せずに、事前に自分が思った通りにならなかったとき、他責(環境が悪かった、相手が悪かった、たまたまの偶然の産物で運が悪かった)に陥らないための言い分を最初に作っておく、自分の心に、きちんとアリバイを作っていく。この意でイチローはわざわざ「言い訳」という言葉を選んだのではないでしょうか。

「準備」というものは、自分が自分に対して言い訳ができないように、全力を尽くした、だけど上手くいかなかった。それは、準備を組み立てた自分が悪かった、次は反省を生かして、もっと上手くやろう、という前向きな自分を作るための、あくまで内省的なアリバイ作り。

そこに他者からの評価などはそもそもが無関係なのです。ただ、ひたすら、自分自身と向き合うからこそ、自分には言い訳が効かない。という決意表明の元、準備(練習)に勤しんでいるのだと思っています。

翻って自分はどうか?

できることを全部はやり尽くしてはいないですね。そもそも、どんな準備をすればいいか、いいアイデアが湧いてきません。それじゃダメじゃん!(^^;)

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