■ 「目的はパリ。目標はフランス軍」について
Man is a goal seeking animal. His life only has meaning if he is reaching out and striving for his goals.
人間は、目標を追い求める動物である。目標へ到達しようと努力することによってのみ、人生が意味あるものとなる。
(古代ギリシアの哲学者 / 紀元前384~紀元前322)
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改めて、「目的はパリ。目標はフランス軍」という言葉について調べると、どうも『戦争論』の中でクラウゼヴィッツが語ったのではない、という説も有力ですが、ビジネス書とか経営戦略の教科書には、原典が『戦争論』となっています。まあ、デミング博士が提唱した「PDCA」も全く違った語義で世の中に流布しているので、まあ、引用の正しさと世の中の言説での普遍化と比べてみて、今回は後者をとって、この文脈で説明を重ねていきたいと思います。
意志をもって、とか、目的意識をもって人生を生きろ! という人生訓は多くの偉人や哲人が有名な言葉として残しています。冒頭の名言もそのひとつ。
意地悪くいうと、「目標をもって努力して生きるプロセスに意味がある。結果論として、その目標が達成されなくても、途中経過で頑張っていれば、それだけで有意義な時間の過ごし方であるのだ」という精神論、根性論とも解釈することができます。
人事評価の季節。プロセスを重視するか、結果(成果)を重視するか、迷うことも多々ありますが、皆さんは、どっち派ですか? プロセスはその人のケイパビリティとして、固定給と職位(タイトル)で評価し、結果(成果)は、変動給(業績給)で評価する、というバランスを採る人事評価システムを持つ会社が増えてきたように思えます。
私個人は、結果(成果)で遇される方が公正だと考えています。というのは、「目的はパリ。目標はフランス軍」というクラウゼヴィッツ(あるいはモルトケ?)が言ったとされる言説が大変心地よく耳に響くからです。
つまり、プロシア軍の行動目的は、政治目的を軍事行動で果たすこと。政治や外交上の交渉で有利に立つために、仮想敵国であるフランスの首都パリを制圧することが、軍事行動の目的となります。その目的を達成するために掲げる定量または定性的な目標として、
① プロシア軍をフランス軍並みの錬度にする
② 野戦でフランス軍の主力を撃破する
の2つを定めます。
この時、目的(パリ制圧)を果たさずとも、目標(プロシア軍の強化)が達成されれば、それでプロシア軍とプロシア王国の関係者はOKなのでしょうか?
私は、違うと思います。プロシア軍に属する兵隊は、毎日、厳しい軍事教練に耐えています。耐えること自体が軍隊人生の目的だとしたら、そんな軍事教練はくそくらえです。目的としてのパリ制圧を果たさずして、どうして日々の厳しい訓練の甲斐があると言えましょうか!
結果を出してこその人生です。おそらく、正しいプロセスを実施していることだけで、十分というのは、その正しいプロセスの順守自体が目的となっているからです。人は無目的に人生を生きるほど、実は器用ではないのです。みんな、自分がやっていることの目的を探し、適当で、折り合いがつく目的をお題目として設定しているだけです。
究極的には、すべからく、人とは”目的”的に人生を生きている。私はこう断言します。その目的設定は人それぞれということで、過程を正しく営むというのも含めてね。(^^;)
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