シェイクスピア(3)神は、我々を人間にするために、何らかの欠点を与える。

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■ つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの

You gods, will give us. Some faults to make us men.

神は、我々を人間にするために、何らかの欠点を与える。

20180322_シェイクスピア

(英国の劇作家、詩人 / 1564~1616)
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中世ヨーロッパでは、キリストへの信仰から、神は全知全能で人間は欠点多き存在であるということが何の疑いもなく信じられていました。

● 旧約聖書(創世記)より
神は楽園に人を置き、あらゆるものを食べて良いと命じたが、善悪を知る知識の木の実のみは「取って食べると死ぬであろう」として食べることを禁じた。しかし蛇にそそのかされた女が善悪の知識の木の実を食べ、女に勧められたアダムも食べた。ここで蛇は女に強制しておらず(強制できず)、女もアダムに強制しては居ないことが、女とアダムそれぞれ自身の意志によって犯された責任ある罪である。

そして、アダムとイヴの堕罪以降、子孫である全ての人間は生まれながらにして罪に陥っている(原罪または陥罪を負っている存在)であるが、神にして人であるイエス・キリストの死はこれを贖い、イエスをキリストと信じるものは罪の赦しを得て永遠の生命に入る、という信仰がキリスト教の根幹をなしているわけです。

シェイクスピア自身に信仰心があったかどうかをここでは断じませんが、彼の著作には、こうした、ルネサンス(文芸復興)後期の色が強く残っており、中世の教会中心的文化を離れた新しい文学のひとつとされています。

そうした蘊蓄はさておき、神への信仰の有無もさておき、人間はそもそも完璧ではなく、欠点だらけの存在。それでも、みんな生きているのです。ということは、欠点をどうにか無くさないといけないのではあなくて、欠点を持つ自分(人間)として、どういう風に有意義な時間を過ごすことができるのかをまず先に考えた方がよくはありませんか?

わたしは、欠点だらけの子どもだったらしく、いつも職員室に呼びされていましたし、通知表の生活態度欄には、現代では問題視されるような言葉が連なっており、両親も何度も担任の教師から呼び出されて、家庭での教育方針にまで説教を受けていました。わたしは、幼いながらに、他の同級生になじめず、どうして他の同級生と同じように生活や学習できないのか、本当に深く悩んでいました。現代より、普通でいること、みんなと一緒であることが大層重要視されている時代でしたから、なおさらのこと。

そういう鬱屈した学生時代は大学生になって漸く霧が晴れるように目の前から去り、突然視界が開けるようになりました。みんなと一緒がいいわけじゃない、自分にしかできないことを一生懸命にやることが大事なんだと。

社会人になっても、そういう不器用な生き方は後を引きました。対人関係は最悪。何度も会社を辞めようと思っていました。
(まあ、転職は数回やっていますが、それは積極的な意味で)

そうこうしている内に、吹っ切れることがあり、今に至るです。

1の欠点をなくすのに100の努力をするくらいなら、
10の努力で10の長所を伸ばそう。
きっと10の長所はそれだけで価値があるだけでなく、
あなたの欠点を覆いつくして見えなくしてくれるだろうから。

これ、私のオリジナルの言葉なんですがね。少しはメッセージ性ありましたか?(^^;)

ちなみに、サブタイトルは私が敬愛する相田みつをさんの言葉ですが。。。

20180329_つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの_相田みつを

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